マスター

 ――この日を境に、鏑木と俺はこれまで以上に、密に連絡を取り合うようになった。

 朝起きた時、家に帰った時、夜寝る時、そしてウリの仕事がある日も、鏑木は隠すことなく俺に報告した。


 これまで俺は、鏑木がウリの仕事をする日は、親父さんからくるスナックの手伝いという名目のメールの日だけだと思っていた。しかし鏑木からの報告は思ったよりも頻度が多く、場合によっては長時間拘束されることもあり、鏑木からメッセージが来るたび憂鬱になった。


 前の時間軸の鏑木も、学校帰り俺にじゃあなと言って笑って別れた後で、ひとりで頑張っていたのかと思うとやるせない。過去の俺の能天気さを、悔やんでも悔やみきれない。


 いろいろと葛藤する日々を送り、ついに迎えた、あの松永の絵を破壊する日。


 前もって俺から話を聞いていた鏑木は、美術準備室にて、唖然とする松永の前で嬉々としてキャンバスを破壊し、あの例の写真を破り捨てた。


 2人とも冷静だったおかげか、なんと、松永からその写真を手に入れたサイトを聞き出すことに成功し、とりあえず警察に、匿名通報するところまではできた。本当に摘発されるかどうかは不明だが、松永含めこのクソみたいなサイトの利用者誰か一人でも捕まってくれたらしめたもんだ。


 そして12月の学期末。


 俺は丸ごと暗記していたテストの内容を鏑木に教え、鏑木は見事赤点を回避することに成功。


 及第点どころかいきなり高得点を取ったらどうしようと少し心配だったが、さすがに内容全部を暗記できるはずもなく、鏑木の点数は平均より少し下くらいで、誰からも怪しまれない程度の点数だった。


 答案が戻って来た日、鏑木は俺の作った問題集とテストの問題を見比べて、「すげーな、マジで一緒じゃん」と感心していた。


 これでとりあえず、今年のイベントはひとまず終わりだ。


 12月も後半。クリスマスから年末年始にかけて、繁華街は人で溢れ返る。

 スナックるいも例外ではなく、鏑木は連日パーティ続きの店を手伝うことになり、慌ただしい日々を過ごしていた。

 休みに入ったというのに、おかげで鏑木とほとんど会えない。


(とはいえ、寂しいとかつまんねーとか言ってらんねーな)


 あと数日もすれば年が明ける。もう時間がないのだ。のんきなことなど言っていられない。




 年明けまで残り二日となったこの日、俺は夜のバイトが始まる前、ある場所へと赴いた。


 繁華街近くにある古い雑居ビル。その脇にある細い階段を上がり、二階につくとすぐ黒い扉が目の前に現れる。扉には、ペンキを使い殴り書いたような筆記体で、お店の名前が書かれてある。


(ここに来るのも久々だな)


 まだ17時過ぎで、バーの開店には早い気がした。だがドアには鍵がかかっておらず、引くとドアが開いた。中に入るとマスターが、一人バーカウンターでタバコを吸いながら、「いらっしゃい」と俺に声をかけた。


「……おっと、客だと思ったら、君、未成年かな? あーここバーと言って、お酒を提供する店だから、未成年はお断りしてるんだよね」


 マスターがごめんねと俺に出ていくように促した。


 ――今回の時間軸では、最初の鏑木との追いかけっこを省略してしまったから、マスターと俺はこれが初対面だ。 ……前の時間軸での最後、あそこにマスターが現れさえしなければ、こんな気分でここに来ることはなかっただろう。


 あのとき、鏑木と仲の良かったマスターが、なぜあの場に呼ばれてきていたのか。俺はそれを知るためにここへきた。


「いえ、俺、ちょっとマスターに伺いたいことがあって、寄らせて貰いました」

「ええ? 俺に? 何だろう」


 はははと笑いながら、マスターはタバコを灰皿に押し付けた。


「まあ、今日はまだ客もいないし、とりえずどうぞ。お客さんきたら帰ってもらうからね」


 そう言って俺にコーラを出してくれたが、俺はそれに手をつける気はなかった。


「で? 何が聞きたいんだい?」

「……マスターはヤクザなんですか」

「ブッ」


 唐突にそう聞かれ、マスターは飲もうとしていた水割りを吹き出した。


「え、ちょっと急に何なに? もしかして、ネットとかで、この店何か変な噂が流れてる?」


 まいったなーと、ちょっと困ったような顔で笑うマスターは、いつものあの親切で優しくて感じのいいマスターだ。正直、ただのオシャレでかっこいいおじさんで、ヤクザには見えない。


「いえ――。その、マスターは鏑木を、鏑木春壱をご存じですよね」

「え? 鏑木って……ハルちゃん? ああ、知ってるよ。なんだ君、ハルちゃんのお友達? それなら早く言ってくれよー」


 突然訪ねてきた得体の知れない高校生が、〝常連であるハルちゃんの友達〟だと分かった途端、マスターの口調がちょっとだけ砕けた感じに変わった。


「へえ〜あのハルちゃんに友達がいたとはねー。驚いちゃったよ」


 嬉しそうにそう話すマスターは、本当に鏑木に友達ができたことを素直に喜んでいるように見えた。それはこれまで見てきたマスターそのもので、前回の最期は、本当は俺の記憶違いで、あれはマスターじゃなかったのかもしれないと、そう疑うくらいに。


「鏑木はマスターがヤクザだって知っているんですか」

「いきなり来といて、人をヤクザ扱いねぇ。さすがにハルちゃんのお友達でも、おじさん怒っちゃうよ」


 怒っていると言っている割に、マスターは気にもとめていない。


「とは言え、まあ似たようなもんかな」


そう言って、新しいタバコを取り出すと、トントンと軽くカウンターに叩きつけた。


「……ハルちゃんは、まあー……知らないだろうけどね。懐いてくれている子供に、わざわざ『おじさんはヤクザですよー』なんて言う必要ないだろう? 知ってる人は知ってるし、おじさんも隠して生活してるわけじゃないからね」


 マスターはカウンターに置いてあったゴツいライターを取ると、シュボッと重い音を立ててタバコに火をつけ、タバコを燻らせた。


「で? 君はハルちゃんに近づくなってことが言いたいのかな。でもあの子が勝手に懐いてるだけだよ。おじさんは、もう来るなっていつも言ってるんだけどな」

「……俺は、鏑木がやっている仕事のことを知りたくて来ました。もし何か知っていたら、情報がほしいです」


 マスターは片眉を上げ、考えるような仕草でタバコを吸うと、フーッと濃い煙を鼻と口から吐き出した。


「――君はさ、俺がヤクザだってどこ情報で知ったの? それでよくハルちゃんの仕事と俺が結びついたよね。俺はただの雇われマスターで、そっち関係の仕事はノータッチなんだけど」


やっぱりマスターは、鏑木の家のことを知っている。


「この辺一帯のビルが、暴力団関連の持ち物だというのを知ってピンときました。このバーのあるビルもそうですよね。それに鏑木はマスターにウリの話をしていない。それなのに今の話の流れだとマスターは知っているようにも聞こえました。無関係だとは思えないのですが」


 マスターはへぇと少し驚いたような顔で俺を見た。


「それだけの情報で、俺をヤクザだと断定したのかい。無鉄砲で思い込みの激しい奴ってのは怖いねー」


 なんだか楽しそうに、フーッとまたタバコの煙を吐いた。

 ビルの話は、田崎から聞いた話だ。でもこのビルのことについては、実はただの推察で言っただけだったのだが……当たって良かった。


「そうだな。まあ、あながち間違いじゃあない。スナックるいの鏑木親子のことは俺も知ってる。同じ雇われマスター同士だしね。でもあっちと俺とじゃ立場が違うねぇ。俺は上納する側で、あっちは債権を回収される側だな」

「やっぱり知っていたんですか」

「まあね。だからといっていじわるする必要もないし、ウチの常連さんはハルちゃんを気に入っているしで、邪険にはできないでしょ」


マスターは知っていて、鏑木には知らないフリを装っていたのか。


「鏑木の仕事を、やめさせることはできませんか」

「何度も言うけど、俺はただの雇われマスター。俺に口出す権利はないね。それにやめさせてどうするんだい? 借金はどんどん膨れ上がるよ。下手したら、ウリなんかよりも、もっと悪い条件の仕事に就くはめになる」


 それは田崎も言っていた。借金をどうにかしない限り、鏑木は逃げることができない。


「じゃあどうすれば……」

「これは鏑木の親子の問題であって、君がどうこう言える権利はないんだよ。高校生の君に何ができる? あの子の代わりに働くかい? 身内でもないのに? 君がしゃしゃり出たって、どうにもできないだろうね」


 マスターも田崎と同じことを言う。やはりそうなのか。どうすることもできないのか。


 俺の悩む姿を眺めながら、マスターは短くなったタバコの最後の一口を吸うと、煙を吐き出しながら灰皿でもみ消した。


「君が何を心配しているのか、俺にはよく分からないけどね。ウリが汚い仕事だとか、可哀想だとか、ろくでもない正義感を振りかざすなら、痛い目見る前にやめときなとしか言えないな。さ、もうそろそろ客が来る時間だ。もう帰ってもらえるかな」


 気がつくと、俺のバイトの時間も迫っていた。


 今日はもうこれが限界だ。これ以上何かを引き出せる気がしない。俺は「ありがとうございました」と一言残して、カウンターの席から立ち上がった。


「ああそうだ、一つ忠告だ。ハルちゃんが個人的に客を取らないよう注意しとけ」

「……どういうことですか?」 

「ウチみたいに、ちゃんとバックがついて管理している店は、売り物を大切にする。何かあればちゃんと対応するし、危険な客かどうかあらかじめ選別している。だが個人で客を取り始めたら、管理しきれない」

「……」

「金銭もそうだし、ヤク中とか、変態気質な奴とかね。仲介料浮かそうと直引きしたり、逆にふっかけたりとかして、トラブって泣きつく奴らがわりと多いんだよ。ルールとかマナーとかあったもんじゃない。気ぃつけな。それだけだ。じゃあな坊主、もう来るなよー」


 マスターはカウンターから出て来て扉を開けると、俺をグイッと外に押し出し、扉を閉めた。


 ――あの日、親父さんは他にも金を借りているということを言っていた。


(鏑木の親父さんは、他の取り立て屋とトラブルになっていたってことなのか。それならなぜ――)


 ウリの仲介とは無関係のマスターが、なぜあの日あの場に来たのか。俺は階段を降りながら考えた。

 もしかしてマスターたちは、死体処理に呼ばれたのではないだろうか。


 親父さんが鏑木の死体の処理に困り、それをヤクザである彼らにお願いした。だからあの日、状況を確認するために彼らは訪れた。


――今思い起こせば、マスターがあの日俺にかけた声は、ひどく残念そうだった。


 マスターは鏑木のことをいつも心配していた。今日マスターはあんなことを言ってはいたが、あれは絶対に、フリなんかじゃなかったと、俺は思う。


 階段を降り外に出るともう周囲は暗くなっていて、街灯が薄暗く道を照らし始めていた。


 俺はバイトに遅れないよう、走り出した。

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