これまでのこと

 翌日、鏑木は約束通り、授業が終わっても1人で帰らず、ちゃんと俺を待っていてくれた。


 俺に心を許す前のブスくれた無愛想な表情だったが、いつも鏑木がそうしていたように、廊下の壁に寄りかかって俺を待つ姿に、嬉しくなって目の前が少し霞む。


「――すまん、待たせた」

「ん。で? 家どこなんだよ」

「学校からすげー近く。裏門から近いんだ。前の時間軸でも、お前何度も遊びに来てるんだぜ」

「……へー」


 気味悪そうに俺を見る鏑木だったが、それでも行くと言った手前、黙って俺の後について歩き出した。




「……おじゃましまーす」


 鏑木は、靴を脱いで玄関から台所に上がると、物珍しそうにキョロキョロと部屋の中を見回していた。


「一人暮らしっていいなー。部屋めっちゃきれいじゃん」

「物がないだけなんだけどな。まあお前んちよりはきれいだよな」

「……お前、やっぱ気味わりぃな」


 誰も知らないはずの自分の家のことを、見知ったように話す俺を、鏑木は薄気味悪そうにしている。


「これからちゃんと話すから。畳の部屋で座って待っててくれ」


 これから話す内容を聞けば、その理由も分かるだろう。だけど、鏑木がその話を信じてくれるかはわからない。それでも俺は話さなくてはいけない。


 俺は冷蔵庫から麦茶を取り出してコップに注ぐと、それを持って畳の部屋へ行った。そしてそれを、テーブルの前で遠慮気味に座る鏑木の前に置いた。


「麦茶しかなくてごめん」

「ん。いーよ。で?」


 座るなり鏑木に促され、息つく暇もなく俺は、これまで俺に起こったこと、そしてそこで知り得たことを、その当事者であるはずの鏑木自身にぶちまけることになった。


「はじまりは3月4日の朝、――来年のな。学校へ行くと、鏑木の机の上に花が飾ってあって、クラスのみんなの噂話で、鏑木が死んだことを知った」


 そして気がついたら10月12日に戻っていて、それが最初のタイムリープだったこと。


 最初こそ適当にやり過ごしたけど、鏑木の死がリープを発生させることに気がついて、2回目からは鏑木と仲良くなれるように頑張ったこと。


 鏑木は俺の話に、最初こそへーとかはーとか、作り話だろと言わんばかりにものすごく適当な相槌を打っていた。だがそれも、3回目のリープの話になると、その表情は一変した。


「――で、松永がお前にその写真と絵を見せたってのかよ」

「見せてくれたというか、見てしまったという感じだがな。鏑木の写った写真とそれをモデルにして描かれた絵を俺は見た。本来の時間軸では、その絵は鏑木本人が壊すはずだったが、3回目のときは俺が壊した」

「……その絵どこにあんだよ。美術の準備室に行けばあんのかよ」

「たぶん。でも準備室は松永が管理しているから勝手には入れないし、それに現時点でどのくらい完成しているか、俺は知らない」

「…………」


 それまで、近い未来に死ぬんだと聞いて他人事のような顔をしていた鏑木も、松永の話になると急に真実味が出てきたのだろう。話に食いついてきた。


「鏑木。お前、松永にその写真のことでいろいろ言われていたんだろう。昨日の松永とのいざこざも、このことが原因だった。そうだろ」

「…………」


 鏑木は返事をしなかったが、その厳しい顔つきがそうだと言っていた。


「……んで? 続きは?」

「その写真のことで鏑木と話をしたとき、男相手にウリをしていることをお前ははっきりと認めた。家に借金があって、それを返すためにやっていると」

「…………」

「そして俺は、お前の客とも会ったことがある」

「……は?」

「前のとき鏑木には言わなかったんだが……。どうしても気になって、お前が普段、ウリの仕事で利用しているホテルの前で、出待ちしていたことがあって」

「は!?」

「そのときお前を買った相手と、後日会った」

「はあ!? んだよそれ!? つか、誰だよ! 誰と会ったんだよ!?」


「田崎さん」


 鏑木はあんぐりと口を開けて俺を見た。そしてものすごい剣幕で、捲し立てた。


「は、はあ!? 信じらんねー!! おめーな! マジでストーカーかよ!? つか、俺の客に会うってなんだよ!? 田崎さんも田崎さんだよ! なんでお前と会うとか、そんなことになんだよ!?」

「田崎さんに、肉奢ってもらった」

「はぁ〜〜〜!? 肉ぅ!? てめー肉奢ってもらうとか、マジで信じらんねーし! 変なこと言われたり、手ぇ出されたりしなかったろーな!?」


 鏑木がテンパって、俺が勝手に田崎に会ったことを怒りつつ、最後は俺の身を案じてくれたのがちょっと面白かった。


「俺の言うこと、信じる気になったか」

「信じるも信じねーも! ……つか、でも、調べればそれくらいは出てくるだろーし。完全に信じたワケじゃねーよ。でもまあ……話に信憑性はあるっつーか。みんなは松永のことすげー信頼してっけど、本当のあいつはやべーヤツだってこと知らねーしな。田崎さんのことだって……まあ、な」


 そう言って、鏑木はちょっとバツが悪そうに頭を掻いた。


「……つか、なんで田崎さんに会ったんだよ。俺がウリやってるって、どんな感じか知りたかったのかよ」

「違う。お前がどうやったらウリの仕事から離れられるか、知りたかった。田崎さんに会って話をしたら、何かヒントになるかと思った」

「おめーなんで、そこまでやんだよ。いくらタイムループを止めるためって言っても、自分の身が危なくなるって思わなかったのかよ。田崎さんだったからまだよかったけどさ、他のヤツだったらお前単純バカそうだし、騙されて、ヤられてたかもしんねーのに」

「…………」


 田崎に会ったのは、鏑木にウリをやめさせて、未来を変え、タイムループを止めさせるヒントが欲しかったからだ。

 でもそれは建前で、本音は違った。


「――俺、鏑木のことが好きだったんだ。だから、鏑木を買った男に、もうお前に手を出さないように釘を刺すつもりだった」


 実際は、釘を刺すつもりが、逆に刺されたというか、俺みたいな子供がどうこうできる相手ではなかった。鏑木から手を引かせるどころか、自分がどれだけ弱く情けない存在か、思い知らされ、苦い気持ちだけが残ってしまった。


「……はぁ? 好きって、なんだよ。どういう意味での好きだよ? 俺の親友気取って、ウリやって挙句死んじゃうカワイソウな俺を守ってやんなきゃってやつか? それとも何か? 松永みてーに、ウリやってる男ならヤらせてくれるとか、そんな感じかよ」


 ハッと皮肉げに笑い、俺を睨む。


「……純粋に好きだったんだ。告白してキスだってした。……一回だけだったけど。恋人にもなれなかった。それでも一緒にいれて楽しかった。俺は前回のリープで終わらせるつもりだったんだ。――でも、俺はしくじった」

「しくじった? どういう意味だよ。俺が自殺したからまた戻ったって話か」


「――鏑木。俺は2回目までは、ずっとお前が自殺すると思っていた。だがな、自殺じゃなかった」


「自殺じゃない? どういう……」

「3回目の最後、お前は殺された」


「は」


 それまで疑い深く俺を睨んでいた鏑木の目が見開かれ、唖然とした表情になった。


「……なんだそりゃ。俺、殺されんの?」

「3回目の終わりは、これまでとは違った。いつもは学校でお前の死を知ったところでリセットがかかっていたのに、前回俺はお前の死体をこの目で見た。……そして俺はそのことに逆上して、お前の親父さんを殺し、そこでようやくリセットがかかった」

「――ちょっと待て。逆上して殺したってことは、まさか、俺の死に親父が関わっているって、そういうことかよ」

「そうだ」


 あまりにも突拍子がなさすぎて、鏑木は唖然を通り越し驚愕といったところなのか、言葉すら出てこないようだった。そりゃそうだ。こんなこと、俺だって当事者でなければ、信じられないだろう。


それまでまったく接点のなかったクラスメイトに、いきなり馴れ馴れしく話しかけられ、タイムリープしただの、お前は近い未来親父に殺されるだの、そんな妄想話をされたら引くに決まってる。


 だから信じてくれとは言わない。ただ、死なないでくれ。それだけが伝わればいい。


「鏑木。これが、これまで俺が体験した話だ。これを信じてくれとは言わない。お前が死ななければ、この話はすべてただの俺の妄想で終わる。俺としても、今度こそそうであって欲しいと願っている。お前ともこれまでのように親友になって欲しいとか、……その、好意だとか、そういう気持ちの押し付けもしない。ただ、来年の3月4日まで俺に協力をしてほしい。この通りだ」


 俺は鏑木に向かって姿勢を正すと、頭を畳にこすりつける勢いで頭を下げた。

 鏑木の表情は見えないから、今どんな顔をしているのか俺には読めない。


「……あのさー、ずるいって。木嶋。頭あげろってー」


 鏑木の、呆れたようなわざとらしくでかいため息を吐く音が聞こえ、俺はそろそろと頭を上げた。


「わーったよ。協力すりゃーいいんだろ。あと半年? 五ヶ月くらい? その間お前の言うこと聞いて、俺が変なことに巻き込まれなきゃいーって話だろ? つか言っとくけど、今んとこ、親父ともそこまで仲が悪ぃわけじゃねーし、死にたいとかそういうことも思ってねー。だからお前の言うことは信じてねー。でも、俺の今生きてる環境が、人とは違うのは知ってる。正直、将来的に何が起こるかわかんねーってのはある。だからまあ危機回避できるって考えれば、お前に付き合ってやってもいいかなって」


「本当か、鏑木!!」


 感極まって思わず抱きつくと、鏑木がわーっと喚いて俺を押し退けた。


「おめーな! もう二度と抱きつくな!! 俺はお前と親友ごっこも恋人ごっこもやるつもりはねーからな!!」

「すまん、つい」

「つか、前の俺? 違う世界の俺? は、そんなにほいほいお前に抱きつかれてたのかよ」

「どちらかというと、鏑木のほうが距離は近くて、すぐに肩を組んだり、寄りかかってきていた」

「はぁ〜〜〜!?」


 眉間に皺を寄せ、嘘つくなよこの野郎と言わんばかりの表情で俺を見られても、本当なんだから仕方がない。


 心を許すと鏑木はそうなるんだ。でも今回の鏑木とは、そんな関係にはなれないかもしれない。

 それでも鏑木が生きることができるルートを辿れるなら、それでいい。


「とりあえず、これから起こるだろうことをもう一度話す。それで鏑木が思ったことを話して欲しい」

「ん」


 そう言ったとき、鏑木の腹がグーと鳴った。


「……俺、腹減ったわ」


 時計を見るともう19時を過ぎていた。

 話をすることに夢中で、時間を見ていなかった。


「あー、じゃあ俺なんか作るわ。なんでもいいか」

「なんか作れんの?」

「今あるものでって言ったら、チャーハンくらいか」

「チャーハン作れんの!? マジかすげーな」

「まあな。いつもメシは多めに炊いて冷凍してんだ。あんま具はないけど。すぐ作るから、ちょっと待っててくれ」


 今回はチャーハンの素がないから、シンプルに塩こしょうだけの味付けにしよう。

 これまで鏑木に何度も作ったから、チャーハンは結構うまく作れるようになっていた。


 タイムループで持ち物や環境は元に戻るけど、記憶は引き継がれ知識はアップデートされていくのはありがたい。――だがそれだけに、毎回やり直しはかなりきつい。


(……チャーハン、最後食わせてやれなかったもんな。今回の鏑木も喜んでくれるかな)


 俺は冷凍していた米を解凍しながら、うまいうまいと、かきこむようにチャーハンを食べる鏑木の姿を、思い出していた。

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