鏑木の客

「え、か、鏑木……?」

「なんだ、ここにいたのか。探したんだぜー」


 どこからともなく現れた鏑木が、まるでなんでもないかのように俺に声をかけてきた。


「なに補導されてんだよー」と俺を茶化しながら、警察官に「すんません、コイツ俺と待ち合わせしてて……もう連れて帰りますんで、ご迷惑おかけしましたー」と頭を下げた。


「君、お友達? 家は近いの?」

「はい。すぐそこなんです。晩飯食べる約束してたんですけど、待ち合わせ場所まちがえたみたいで。保護者もいっしょなんで、もう大丈夫です」


 保護者? と思い、鏑木の後ろを見ると、少し離れたところに五十前後くらいの眼鏡をかけた黒っぽいコートを着たおっさんが立っていた。


 でもあれは鏑木の親父さんじゃない。


 警察官の一人が眼鏡の男の方へ行き、何か少し話しをすると、その警察官は戻ってきた。


「保護者の方が、君が帰宅するまで面倒を見るとお約束してくれたので、今回はこれで。高校生がこんな時間に一人で出歩かないようにね。次また通報があれば、学校と家に連絡をいれさせてもらうからな」

「……ご迷惑をおかけしました」


 俺が頭を下げると、警官たちは「気をつけて帰るんだよ」と、去っていった。

 警官の背中が見えなくなると同時に、鏑木が呆れたように大きなため息を付いて、俺を睨んだ。


「……木嶋、なんでこんなとこいんだよ」

「……たまたま、偶然……」

「嘘つけ。バイト先こっちじゃないのに、わざわざこんなとこ来るかよ。……ここのこと、誰に聞いたんだよ。俺が出てくんの待ってたのかよ」

「いや、ちが……」

「木嶋」


 鏑木がこれ以上ないくらい眉間にしわを寄せ、俺を睨む。


(まずいな。すげー怒ってる)


 なんて言い訳しよう。下手に言い訳してまた絶交とか言われたら……。

 ひとりオロオロしていると、鏑木に眼鏡の男が近づいてきた。そして、俺を睨みつける鏑木に臆することなく親しげにポンと肩を叩いた。


「俺をいつまで待たすんだい」

「あ……田崎さん。すいません……」

「もうお友達とはいいかな」


 急に鏑木の声のトーンが下がり俯くと同時に、その田崎という男が俺を見た。上から下まで、まるで品定めをするかのように、薄笑いを浮かべてゆっくりと視線を動かす。


「……ふーん、本当にハルイチの友達?」

「……はい」

「ハルイチに友達ねぇ。珍しいな。それにしても、ガタイのいい子だね。最近の子は足が長くていいなぁ」


 ニヤニヤと妙な笑いをするのが、なんだか嫌な感じだった。


「……何か?」

「おっと、せっかく助けてやったのに、その態度はどうかな」

「……すみません。助けて頂いて、ありがとうございました」

「ハルイチが言うから仕方なくだよ。じゃあもういいね、ハルイチ店に戻ろうか。君は帰りなさいよ。君を送ってやるほど、俺は親切な大人じゃないよ」

「……じゃな木嶋。俺まだ用があっから。……もうつけてくんなよ」


 俯く鏑木の肩を、これ見よがしに抱くと、田崎はスナックの方に向かって歩き出した。察しの悪い俺は、そこでようやくこの男が今日の鏑木の客なのだと気付いた。


(あの男が鏑木の客なのか)


 未成年を買うような男など、いかにもヤバそうな風体のヤツばかりだと思っていたが、眼鏡の男の身なりは良く、そんなことしそうには見えなかった。


(もしかして、鏑木のやっていることについて、あのおっさんから聞き出せるんじゃねえか)


 鏑木は俺に、ウリのことについて詳細を話す気がない。話を振ると、いつも不機嫌になって話を逸らしてしまう。

 かといって鏑木の親父さんから聞き出せるはずもなく、俺はこの先どうすべきなのか、行き詰まっていた。鏑木が死に向かう原因に、ウリが関係しているとしか思えないのに、その突破口が見つからないのだ。


 抵抗感しかないが、今はそれしかない。


 俺は、鏑木に釘を差されたにもかかわらず、二人に気づかれないよう跡をつける。

 二人はどこかに寄るでもなく、はたまた別れるでもなく、そのまま一緒にスナックるいに戻った。


 ドアを開けると、静かだった通りにホステスさんの「あらー田崎さん、おかえりー」という明るい声が、派手な音楽と一緒に漏れて聞こえ、ドアの閉まる音とともに消えた。


 ホステスさんが『客が店で金を落とす』と言っていたから、これからきっとスナックで飲むのだろう。

 スマホで時間を確認すると、もう22時を回っていた。


 俺はまた通報されるとマズいので、なるべく人に見えない場所に身を隠し、田崎が出てくるのを待つことにした。

 さすがに12月ともなれば、やはり夜はかなり寒い。 俺は両手をズボンのポケットに突っ込み、着ていたMA-1の襟に顔を埋めながら、意地でも待ち続けた。


 ――まだ鏑木はあのおっさんの相手を続けているのだろうか。

 そんなんだから、次の日に学校に出て来れないんだろうがと、待っている間俺はずっとイライラしていた。


 それから1時間ほど経過したくらいだろうか、この路地を出た先の広い道路に、1台のタクシーが止まった。

 それを見計らったように、スナックるいの赤いドアが開き、中から田崎が出てきた。


(やっと出てきた!)


 見送りはなく、田崎は一人だ。 今がチャンスとばかりに、俺はタクシーに向かって歩き出した田崎の前に走り出た。


「す、すみません!」

「ん……?」

「あの、ちょっとお話をさせてください」

「んーー? ……ああ、誰かと思ったら、さっきの僕ちゃんか。何? 君、まだ帰ってなかったの? 呆れたなぁー」


 田崎は俺の顔を見て、わざとらしく眉をひそめて見せた。


「ダメだろ? こんな時間に子供が一人でいちゃあ。また補導されちゃうよ?」


 心配するフリをして、口調はいかにも迷惑そうだ。まあ、当然か。


「その……。鏑木のこと、教えていただきたくて」

「……ふーん。それでこんな時間まで俺を待ってたって? お友達ならさ、本人に聞けばいいことでしょ? 違うかな」

「…………」


 諭すような、それでいて嫌味にも聞こえる言い方だ。俺が反論できずにいると、田崎は嬉しそうにくくくと喉で笑った。


「まあ、いいさ。ちょっと面白そうだからのってあげよう。おじさんは若い子には寛容だからね。何が聞きたい? 彼の私生活? それとも俺とどんなことしてるかって話?」

「……俺の知らないこと全部です」

「うーん、全部ねぇ。じゃあ、そうだな。今日はもう遅いから明日はどうかな? 土曜の夜、おじさんと一緒にご飯でも食べようか?」

「……! ありがとうございます!」

「待ち合わせ場所は……。そうだな、駅の改札を出たすぐのところにある喫煙所、分かるかな? あそこに18時にね」

「はい! ありがとうございます!」


 俺が思わず頭を下げると、田崎がおかしそうに声を上げて笑った。


「そういう若い子の熱い感じ、懐かしいねー。友達思いなんだなぁ。いいよ、君面白そうだからさ、特別にね。じゃあ明日。もう補導されないように気をつけて帰りなさいよ」

「はい!」


 後で冷静に考えれば、初対面の、しかもこんな怪しい男と2人っきりで食事だなんてどうかしていた。だがこの時の俺は、八方塞がりだった今の状況からやっと脱却できると興奮し、冷静な判断ができない状況に陥っていたのだと思う。


 翌日、俺は夜のバイトを休ませてもらい、ひどく高揚した気分で18時に駅に向かった。


 鏑木はというと、昨日のことで怒っているようで、俺がメッセージを送っても反応は薄く、何か言ってもふーんとかあっそしか返ってこない。それでも完全無視でないことが救いだった。


(今日田崎と会うってこと言ったら、すげー怒るだろうな)


 だから今日のことは鏑木には言ってない。隠し事はなしと自分で言っておきながら、少し後ろめたい気持ちで鏑木に『これからバイト』と嘘のメッセージを送った。


(でも言ったら余計怒らせるだろうし)


 今日のことを後日鏑木に言うか言わないかは、田崎の出方次第だ。

 大きな収穫は求めていない。せめて何か手がかりになるようなことだけでも分かれば。


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