ささやかな夢
「すげーな木嶋、料理めちゃうまじゃん」
「そうか?」
素直な感想に、少し照れる。
今の時間軸で、俺は初めて鏑木にメシを作ったことになる。
前回は鏑木のリクエストで、たしかチャーハンと餃子を作ったはず。
でも今回は米の準備がなくて、たまたま買い置いていた麺があったから、焼きそばになったわけなんだけど。事前準備もできず、玉ねぎとちょっとの肉しか入ってない、屋台の焼きそばよりも簡素なシロモノだったけど、それでも鏑木はうまいって喜んで食べていた。
そして前回は一緒に入った風呂について、今回はどうなったかといえば……。
今回は鏑木からの「一緒に入ろう」というお誘いはなく、着替えの際「こっち見んなよ、えっち」という言葉を残し、鏑木は一人で入っていった。
前回あれだけしつこく誘ってきた癖に、ちょっと拍子抜けした。まあでも今回はどうやって切り抜けようかと悩んでたとこだったし、助かった。
さすがに好きを自覚して、風呂を一緒には無理だって。
もうどこを見ていいかもわからないし、逆にこっちを見られても困る。何がどう困るのかは言えないが、困る。
そして最大の難関。
――なぜ俺は泊まっていけって言ってしまったのか。今猛烈に後悔している。
「なー木嶋ぁ。早く寝よーぜ」
嬉しそうにすっぽりと首まで布団に入った鏑木が、自分の隣をぽんぽんと叩いて俺を誘う。
「布団……二人じゃ狭いから、敷布団横に使おうかなって思ってたんだが」
「でもそれじゃ、下半身が敷布団から出てんじゃん。朝寒いって。ひっついて寝りゃ大丈夫だって」
それが無理だから敷布団横にして寝ようって言ってんのに。
「ほれ。入れ木嶋」
鏑木がひょいと布団の端を持ち上げて、俺を呼ぶ。
「……」
仕方がない。
電気をパチンと消すと、俺は持ち上げられた布団に入り、横になった。
いつもなら冷たい布団の中が、すでに温かい。
そしてすぐ横の鏑木の頭からは、嗅ぎ慣れた、俺の使ってる安いシャンプーの匂いがした。
「へへへ。俺、こうやって友達んちにお泊まりすんの初めて。めちゃ楽しい」
そう言って、子供のようにはしゃいで足をバタつかせ、俺の足を蹴った。
「おい、狭いんだから暴れるなよ」
「でもなんだか変な気分だなー。木嶋と喧嘩してたのに、今は一緒に寝てんだもんな。しかも木嶋とチューしたし。もっかいチューする?」
「やめろ。ほんとマジでやめろ」
大袈裟に口先を尖らせて、グイグイ顔を近づけてくる鏑木を押しのけると、鏑木は「照れてやんのー」とヒャハハと笑った。
「別にチューくらい、いっけどなー。木嶋は、もっとその先までやりてーのかと思ってたしー」
「お、俺は……!」
「まあ、チューくらいで顔真っ赤にしてるやつがやんねーか」
「お前なぁ……」
俺の反応を見て、鏑木が布団の中で上機嫌にヒャッヒャッと笑う。
「……俺さー木嶋にはほんと感謝してんだー。俺んちちょっとアレじゃん。それでも木嶋気にしねーし、俺がウリやってるって言っても一緒にいたいって言ってくれたし。……いつかさー、木嶋とどっか旅行行きてーな。たまにさ、客に小遣いもらえんの。親父さんには内緒でって。ちょっとの額なんだけど、俺それ貯めてんだ。んで、その金で高校卒業したら一人暮らしして、自動車の学校行って、車関係の仕事就くんだー。俺の給料出たらさ、どっか旅行に行こうぜ」
「……だな。じゃ、俺も金貯めなきゃ」
「どこ行きたいかさ、考えとこーぜ! 俺はさ、海外行きてー!」
「国内じゃねーのかよ」
「やっぱ海外だろー」
「そりゃ就職しても、行けるようになるには当分先になりそうだな」
「そんなことねーって」
上機嫌で笑う鏑木を見ていると、俺まで嬉しくなる。
普段はあまり表情のない分、笑顔の破壊力がすごい。屈託ないっていうのか、マジですげーかわいい。同じ布団というのは正直ヤバい。でも今は耐えなければならない。
(それにしても、客から小遣い、か……)
前のとき、鏑木は『チップをスナックの客から貰う』と言っていた。
だが今回は『ウリの客から小遣いを貰う』と言った。
前のときもスナックの手伝いではなく、ウリの仕事だったのを俺には言えなかったら、スナックの手伝いと誤魔化していたんだろうか。
親父さんからの連絡があったときの鏑木の憂鬱そうな顔を思い出す。あれは本当にスナックの手伝いの要請だったのだろうか。
……俺は鏑木のこと、何にもわかってなかったんだな。
「鏑木――」
「んー?」
もう眠たくなったのか目を瞑ったまま、鏑木が返事を返す。
「これからは隠し事はなしな。何かあったら俺にもちゃんと言ってくれ」
「んー……」
しばらくして布団の中からスースーという小さな寝息が聞こえてきた。
その寝息を聞きながら俺も目を瞑った。
――その夜、前の時間軸の鏑木の夢を見た。
なんで前の時の鏑木だと分かったのかは自分でもよくわからないが、夢の中でこれは前の時間軸の鏑木だと、そう自然と感じていた。
鏑木はいつものように屈託なく笑って、俺の名を呼んでいた。
『また明日な』って笑って別れて、そのまま会えなくなっていなくなってしまった鏑木。
今の鏑木と同じようで違う鏑木。
もう一度会いたいけど、もう二度と会えない。
……目を覚ますと部屋は真っ暗で、すぐに目の前で今の鏑木が寝息をたてていた。
目の前にある鏑木の顔が、涙の膜でぼやけて歪む。
そっと指で頬を触ると、柔らかい生きている感触がした。
絶対にこいつを死なせない。
一緒に卒業して、就職して、金貯めて、海外でもなんでも鏑木が行きたいところへ一緒に行って、たくさん思い出を作るんだ。
そう心に誓った。
――その後、鏑木とはこれまでと同じような関係に落ち着いた。
期待していたわけではないが、鏑木から俺の告白の返事はなく、キスとかそれ以上のこととか、そういうものがあるわけでもなく、ただの仲のいい友達としての付き合い。
しかし今回の一件で、ウチの居心地よさを知った鏑木は、アパートへ遊びに来ることが多くなり、泊まりにきては俺の作るメシを食うようになった。
一緒にいる時間が増えた俺たちは、街をぶらついて本屋やコンビニで漫画を立ち読みしたり、激安タナカマートでおやつを買って、スナックの二階でテレビを見たりして、一緒に笑って、時には勉強もしたりして、そんな穏やかな日々が続いていた。
それでもやっぱり気になるのは、鏑木のウリのことだった。
たまにくる親父さんからのメール。
俺はもうその急な呼び出しが何なのか知っているのに、なぜか鏑木は俺にはっきりと「ウリの仕事が入った」とは言わないのだ。
だから正直、鏑木がウリをやっているなんて、実感がないのが本音だ。
本当にそれは親父さんからの呼び出しメールなのか? 本当は違うんじゃないか? 他にも俺の知らないことがあるんじゃないか?
一緒にいる時間が増えた反動なのか、そんな猜疑心に苛まれるようになった。
『今日はちょっと無理』と言われるたび、嫉妬心とか不安感だとかそんな溢れ出る感情を、鏑木に悟られないよう必死で飲み込んでいた。
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