告白

「な、なんだよ、木嶋。離せって……」

「……お前は俺を舐めてんのか」

「な、舐めてなんかねーって……」

「じゃあ勝手に話決めんな。いつ俺がお前と縁を切るって言ったよ」

「……でも……」

「確かにお前がウリやってるって聞いたとき、ショックだったさ。あんまりにもショックで、松永の絵を壊すくらいにな。でもな、それよりも、お前が俺に、何も言ってくれなかったことのほうがショックだった」

「木嶋、松永の絵を壊したのか…………」


 鏑木が俺の腕の中で、驚いたように目を見開いて見上げる。


 長いまつ毛に、黒目がちな大きな目。そしてまるでレタッチされたように、ニキビどころかヒゲの剃り跡すらない白くなめらかな肌。 いかにもそういうのが好きそうな大人に、目をつけられそうな顔。


「……鏑木は、俺にウリやってること知られると何かマズいことでもあるのか?」

「……いや、――でも……」

「でもじゃねぇし。ないなら遠ざけようとすんなよ。別に知ったからって、誰かにバラすようなこともしないし、軽蔑もしない。俺はお前のことが好きだ。だから勝手に俺の前からいなくなろうとすんなよ」

「木嶋――」

「なんだよ」

「……お前、俺のこと好きなの?」

「……え?」


 鏑木が目を丸くして俺を見ている。


「どっちだよ。友達としての好きなのか、それとも恋愛対象としての好き、なのかよ」

「え、いや、どっちって……」

『友情に決まってんだろ』


 ……その言葉がすんなり出てこずに、俺は一瞬言葉に詰まった。


 ――最初にリープしたとき、俺は鏑木のことは正直何とも思っていなかった。せいぜい〝リープの秘密を解く鍵〟程度で、ヤンキーだし、バカっぽいし、話なんか絶対合わねーと思ってた。……正直、小馬鹿にもしてた。


 それが実際は、鏑木と仲良くなり一緒に遊ぶようになって、家の事情も知ったし、同情もした。でもそれ以上に鏑木のいいところをたくさん知って、一緒にいて楽しいと思うようになった。


 だんだんタイムリープ終わらせるためとか、そんなの抜きで、鏑木といることが普通になってた。

 仲良くなったらすげー懐くし、やけに距離感近いし、笑うとかわいいし。


 ――あー……そう、これまで考えないようにしてたけど、こいつ、すげーかわいいんだよ。女の子みたいとか、そんなのじゃなくて、なんだかこう、かわいいんだよ。


 ずっと男友達をかわいいって感じるのはおかしいと思ってたから、あえて考えないようにしてたけど、すげーかわいいんだ。


 ……だからこそ、俺の鏑木をあんな目で見る松永が許せなかった――。


 あの絵だって放置しとけばどうせ鏑木が壊すんだから、俺がわざわざ壊す必要なんかなかったんだ。

 それなのに、教師を相手に、あんなに大暴れして……。下手すると停学処分だ。それにいつもなら、たとえ相手に非があったとしても、見て見ぬフリをし、ただ相手を軽蔑するだけで終わっていたのに。


 ――俺は友情を通り越して、鏑木のことを好きになってた。


「――俺、恋愛対象として、鏑木が好きだ」


 口に出して、さらにはっきりと確信した。


「――マジでか」

「マジで」


 鏑木はまん丸に見開いた目で、真意をはかるように俺の目をじっと見た。


「じゃあさ、俺にキスできるのかよ?」

「は――キ、キス!?」


 いきなりのキス発言にうろたえる俺。対して鏑木は、悠然としている。むしろ煽るように俺のほうに体を近づけてくる。


「木嶋はさー、正義感とか友情とかがごっちゃになってんじゃねーかなって、俺は思うんだよなー。俺を助けてやりたいとかさ、勢いでそんなこと言ってるつーかさ。それに男相手にウリやってるやつ相手に本気で好きとかってさ、ちょっと頭おかしーんじゃね? って思うわけ」

「…………」

「それにさー、お前絶対女の方が好きだろ。そんな気するもん。つか絶対そう」


 元々恋愛対象は女なだけに、反論はできない。


「男で、ウリまでやってる俺にキスできんの?」


 ふんと鼻で笑う鏑木の挑発的な態度に、ちょっとカチンときた。


「……できるに決まってるだろ」

「嘘つけー。すげー顔あか…………っ」


 鏑木の顔を無理矢理両手で上に向かせると、勢いだけでキスをした。

 でもそれはキスとはいえないくらい、唇と唇を押し付けただけのキス。

 唇が重なった瞬間、その柔らかさに俺はびびって、すぐに飛び退いた。


「……めっちゃ顔、赤いし、木嶋……」


 言われなくてもこれだけ顔が熱けりゃ、顔が赤くなってることくらい嫌でも分かる。


 ……正直いって。俺は恋愛ごとに慣れていない。


 彼女がいたときもあったが、告白されて嬉しくてたらすぐに食われてポイされただけのトラウマ級の黒歴史だし、自分から好きを自覚した上でのキスは、今回が初めてだった。


「なあ、今のってキス?」


 鏑木がヒャヒャッといつものように笑い出す。


「めっちゃ顔赤いし! 耳の先まで赤いし、ウブすぎかよ~~~!!」

「うるせーっての!」

「ててっ」


 笑いころげる鏑木を止めようと、顎を片手で掴んで持ち上げると、鏑木と目が合った。

 吸い込まれそうなくらい大きな黒い目に、俺の顔が写ってる。


 驚いたようにパチパチと何度か瞬きし、長いまつ毛が瞳を覆う。瞳を覗き込んでいたら、気がつくとやけに顔が近くなってて、鏑木が目をつむった。そしてそのまま唇と唇が重なって……。


 もう少しで唇が重なるってとき、急に玄関のチャイムのデカい音が台所中に鳴り響き、俺の体がビクンと大きく跳ねた。


「はひっ!?」


 ドアの外から「木嶋くん? 大家の土田だけど、いるかな? 喧嘩してない? 大丈夫かな」と声がかかり、俺は「はいっ」と不自然なくらい大声を出し、慌てて鏑木から離れた。


「います! 喧嘩してません!」


 扉を開けると、すぐ近くに住むこのアパートの大家さんが、心配そうな顔で立っていた。


「ご近所さんから、木嶋くんとこがうるさいって苦情がきてるよ。本当に大丈夫?」


 どうやらさっき言い争いをして、鏑木を壁に押し付けたときの音が思いのほか大きかったみたいで、アパート中に音が響き渡っていたらしい。大家さんは、俺の後ろで爆笑している鏑木を見るとホッとしたような顔になり、『お友達と遊ぶのもいいけど、静かにね。ここ響くから』と、それだけ優しく言って帰っていった。


「むちゃくちゃ面白かったし、今の~~! 『はひっ』だってよはひ!」

「うっせーなー、仕方ねーだろ! また騒いでると大家さん来ちまうぞ」

「つーかさ、お前、俺に壁ドンって……ぷぷっ」

「はぁ!? 壁ドン!? ……あ」


 言われて初めて気がついた。さっきのあれがいわゆる壁ドンというポーズだということに。


「あんなのマジでやる奴いるんだって、俺びっくりしたわ~~~!」


 後ろで鏑木が文字通りゲラゲラと腹を抱えて笑っている。

 説得して告白して、言われるがまま下手くそなキスまでやって、俺としては大真面目だったのに、こう大笑いされるとさらに恥ずかしくなる。


「うっせーよ! もういいだろ!」

「ひひっ、だってさ~~」


 くくくと笑い転げながら、鏑木は壁に背をつけてズルズルと台所の床に座り込んだ。


「俺さ~、初めて人から好きだって言われちゃったしさー」

「――へ」

「俺、人から告白されたの初めて」

「そ、そうなのか」


 ……ああいう仕事してるからってわけじゃないけど、言われ慣れていると勝手に思ってた。


「ん。つーかさー、俺、母親は小さい頃に勝手にどっかいっちゃっていないし、親父はあんな感じだし、体目当ての変なやつらしか周りにいなかったし。やっとできた友達が木嶋だったんだよなー」


 そしてその友達から告白されてしまったと。

 考えてみれば、俺は前の時間軸で鏑木と過ごした時間もある。あれがあったからこそ、鏑木への恋心が生まれたわけで。

 今の鏑木からしてみれば、急に友達になったやつに執着された挙句、好きだと告白されたってことなんだよな。


「……なんか、すまん。鏑木」

「いやー、今日でサヨナラのつもりだったのに、どうしよーって感じになったわ」


 ヒャハハと鏑木は冗談めかして笑うと、小さくため息をし、そのまま口をつぐんだ。

 さっきまで賑やかだった室内が、急に静かになる。


 俺は鏑木のそばにしゃがみ、顔を覗き込んだ。

 鏑木はぼんやりと視線を床に向けたまま、俺のほうを見ない。


 たぶん困ってんだろうと思う。


 でも告白した俺のことをキモいとか思ってるなら、鏑木のことだ、はっきりと『キモい』と言い放って、さっさとここから出ていってるだろう。

 こうして悩むってことは、気持ちが揺れてる証拠だ。……と、俺は信じたい。


「――なあ、今日さ、うち泊まってくか」

「え」


 やっと俺の顔を見た。


「もう遅いしさ、鏑木の親父さんが許してくれるなら、今日泊まっていけよ。俺がメシ作ってやっから」

「いや、でも俺――」


 サヨナラを言いに来たのにと、鏑木の瞳が揺れている。


「もうさ、いいじゃん。お前がウリやってること知ったからって、俺は何も変わんねーよ」

「キスしたじゃん。それでも変わんねーの?」

「…………」

「俺、まだウリ続けるぜ? お前俺のことが好きなんだろ? 俺がお前以外の男と寝てんのに、それでも一緒にいれるのか?」

「それは――」


 今はまだあの写真と絵を見たくらいで、正直鏑木が男と寝ているなんて実感がない。

 きっとこれから現実を目の前に突きつけられるたびに、俺と鏑木の仲はこじれていくのかもしれない。

 それでも俺は、鏑木と一緒にいたい。そして鏑木が死ぬあの日を回避して、共に未来を歩みたい。


「……正直にいえば、鏑木がウリをするのは嫌だ。お前が他の男といるところを見てしまったら、正気でいる自信はない。でも、それでも俺は鏑木と離れたくない」

「……木嶋――」

「ん?」

「お前……よくそういうセリフ平気で言えるな」

「お、おま……っ」


 俺が怒ってみせると鏑木はプッと吹き出した。

 そしてひとしきり笑った後の鏑木は、やけにスッキリとしてみえた。


「んじゃ、今日は泊まろっかなー。つか木嶋、今日はエッチなしだからな。期待してんじゃねーぞ」

「な……! 俺だって、期待してねーよ! つか、今日まだ晩メシ食べてねーだろ。俺も食ってねーから、なにか作ってやるよ」

「マジ!? やり~~~!」

「焼きそばでいいか?」

「焼きそば作れんの? すげーな」

「まあな」


 ふふんと威張ってみせたが、つか、焼きそばなんかフライパンで麺とソースを炒めるだけだけどな。


「手作りのメシすげー嬉しい! 木嶋の焼きそば、めっちゃ楽しみ~!」


 子供のようにはしゃぐ鏑木の様子を見て、俺ははやや浮かれ気分で、冷蔵庫から焼きそばの麺を取り出した。

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