消えた鏑木

 そうして2月も末となり、あのくだんの3月4日まで、残りあと一週間となった。  

 今のところ鏑木に大きな問題は発生していない。

 今日鏑木は風邪をひいたとかで休みだったが、バイトの前にスマホでメッセージを送ったらすぐに返信があったし、心配はなさそうだった。


(前の時間軸でも休んでいたのは、風邪ひいてたのか。明日には行けそうだって言ってたし、この分だと、今回こそループから抜け出せそうだな)


 居酒屋の厨房で、俺は機嫌よく鼻歌交じりに皿を洗っていた。


 最近じゃ、料理の手伝いも少しさせてもらえるようになって、包丁の使い方とかも教えてもらえるようになった。魚の捌き方とか、野菜の切り方とか、味付けのコツとか、揚げ物の作り方とか、やっぱりプロに教えてもらうのが一番早い。

 俺もそろそろ焼く・炒める以外の料理を覚えたいしな。 そんでここで覚えた料理を、鏑木に作ってやろう。


(鏑木が死ぬのは、俺がループされる3月4日の前日3月3日のはずだ。この日は一日一緒にいて、夜も俺のうちに泊めて、とりあえず目の届くところにいれば何とかなる)


 鏑木は元の時間軸、そして前回の時間軸では全くもって親しくなかった上、頻繁に学校を休んでいて、鏑木の行動の予測がまったくできなかったが、今回は違う。

 しっかり行動を把握し、何かあっても俺が死なないよう回避してやれば、魔の3月4日を乗り切ることができるはずだ。


(このクソみたいに長いループからやっと解放されるのかー俺。10月から3月って、マジでクソ長かった。本当なら俺はもう3年で、卒業でもおかしくないんだよな)


 鏑木という友達も得たわけだし、切実にこれで終わらせたい。

 鏑木には、3月3日は俺の家に泊まりに来ないかという話は、もうしてある。


(鏑木がチャーハン食いたいって言ってたから、前日までにチャーハンの具材を揃えないとな)


 そんなことを考えながら次から次へと運ばれてくる皿をガチャガチャと適当に洗っては、洗い場に備え付けられたでかい食洗機にぶち込んでいく。

 食洗機がこの日何度目かの稼働をしたとき、バイトリーダーが厨房入り口から顔を覗かせ、「木嶋くん! それ済んだらあがっちゃって!!」と叫び、また忙しそうにフロアへ消えていった。


「うっす」と、バイトリーダーの残像に向かって返事をすると、俺は手早く今手元にある食器を洗ってカゴに入れ、それから厨房のスタッフに「上がりまーす」と声をかけた。


「木嶋くん、お疲れ~」

「お疲れさまっしたー」


 エプロンを脱ぎ、ロッカーからエプロンと引き換えにリュックを取り出すと、タイムカードを押して裏口から外へ出た。

 外では、幹線道路を走り抜ける救急車のサイレンが遠くに響く。俺はそれを聞きながら、スマホを見た。


 待ち受け画面には、画面表示の2月25日(木)20時14分の文字と、母親からの連絡メールの通知が浮かび上がる。


(あー……、忘れてたな。あとで連絡しとくか)


 内容は、月一回の定期連絡の催促だ。

 今月はまだしてなかったから、心配して連絡したんだろう。


 〝毎日とは言わない、月一回は必ず連絡すること。そしてご飯はちゃんと三食食べること〟


 これが俺が一人暮らしすると言ったとき、母親が出した条件だった。

 ほとんど定型文と化した文を返すだけだが、それでも連絡しないよりはマシだろう。

 俺はスマホをスリープにしてリュックにしまうと、俺は家路に着いた。


 そして翌日。


 ループの期限である鏑木の死までまだ6日ある。

 俺はこの日も余裕ぶっこいて、呑気に過ごしていた。


 この日も結局、鏑木は風邪が治りきらなくて学校を休んだが、俺はたいして気にしていなかった。昼にメッセージを送ったら、『ずっと寝てて暇ー』ってすぐ返信があったし、普段と変わらない様子で心配はいらなそうだったし。

 それでも何かあったらと、明日は土曜で学校が休みだからとりあえず会いに行っとくかって感じで、明日昼のバイト終わりにお見舞いに行くと伝えて、その日を終えた。


 そして残りは5日。


 土曜日、俺は居酒屋のランチ営業が終わった後、約束通り見舞いと称して鏑木の家に行った。

 一人で鏑木の家に行くのは初めてで、どうやって二階の鏑木に合図すればいいのか分からず、とりあえずスナックのところどころ色の禿げた真っ赤なドアをノックしてみた。


 だがしつこく何度もノックをしたが、いくら待っても誰も出てこない。


(二階だしなー。ここノックしたくらいじゃ聞こえねーのかも)


 それにスナックの営業が18時からだから、まだホステスさんも来ていないだろうし、ノックくらいじゃ誰か来ても分からないだろう。


(いつも来客のとき、どーしてんだ? えーっと、インターホンって……これか?)


 ドアの横に小さなブザーがあった。おそらくそれだろうと押してみるが、特に反応もなく、しばらく待っても誰も出てこない。


(ブザーって鳴ったかどうか分かんねーな。ちゃんと鳴ってんのか?)


 古すぎて、何が正解か分からないから、壊れていても分からない。

 とりあえず鏑木にはメッセージを送ってみたが、既読にならない。


気づいていないのかもしれないと、直接電話をかけてみたが、呼び出し音が鳴るばかりで出る気配はなかった。


(おっかしーな。夜、スナックが開いている時間にもう一回来るか)


 既読にならないメッセージに、追加でもう一度メッセージを送る。

 もしかすると気がついていないだけかもしれないし、風邪ぶりかえして寝ている可能性もある。それなら起きたら返信してくるだろう。


 だが夜のバイトが終わった後、開いたアプリのメッセージは、未読のまま残っていた。


(鏑木、まだ治ってないのか。大丈夫なのか? まあ、スナックのホステスさんに聞けばわかるだろ)


 これまで鏑木へのメッセージで未読のままなんてことは、一度もなかった。

 俺はなんとなく不安になって、手早くリュックを背負うと、夜の街を急いだ。


 鏑木から聞く限り、スナックはこれまで一度も夜営業を休んだことなどない。しかも今日は土曜の夜だ。絶対にやっているはず。


 ……それなのに、スナックの営業中を示すドアの明かりは消えたままひっそりとしていて、何度ドアを叩いても、誰一人出てくることがなかった。


(は……? なんでだ? こんなときに限って休みって……)


 翌日も、俺は昼のランチバイトの終わりと、夜のバイト終わりにスナックへ行ったが、なぜかこの日もスナックは営業しておらず、鏑木とも連絡が取れないままだった。

 まだ時間はある。まだ大丈夫だ。明日になったら、きっと鏑木は学校に来る。俺はそう信じて、その日を終えた。


 ――だが、残り3日となった月曜、鏑木は学校に来なかった。


 もう期限が迫っているにも関わらず、鏑木の居所は依然として掴めない状況に、俺は不安でいっぱいになっていた。


 担任に確認するが、鏑木が休むことはよくあることで、しかも先週から体調を崩して休んでいることもあり、何も知らない先生は「お父さんからは、良くなるまで家で安静にしときますって先週連絡があったしな。体調がどうか、あとでお父さんに連絡しておくから」と楽観的だった。


 この日俺は、学校が終わるとすぐに、スナックへ行った。

 だが昨日と同じく、スナックのドアは固く閉ざされていた。スナックのドアの前には、新しいおしぼりのカゴが積まれているが、夜のバイトが終わった後もそれが回収された様子はなく、野ざらしとなっていた。


 突然消えた鏑木。


 俺の家に泊まりにくると言った、3月3日。鏑木が来ないのを確認すると、俺は学校を早退し、必死になって鏑木を探した。

 桃の節句だかなんだか知らないが、桃の木らしきピンクの花の造花が至るところに飾り付けられた商店街を走り、路地を抜け、行きそうなところを全部まわった。


「ハルちゃんかい? ここ最近は見てないな」


 バーのマスターや激安タナカマートの店員にも、鏑木を見なかったか聞いて回ったが、誰も知らなかった。


 鏑木のスマホへ何度もメッセージを送ったが、既読にはならない。

 電話は――呼び出し音が鳴り続けるだけで、繋がらなかった。


 まさかと思い松永にも聞いてみたが、鏑木とは接触していないと言い、手がかりを全部失った。


 街中を探して、情報を必死で集め、最近の出来事で頭に引っかかったことは、この間の救急車の音。あれは近くのビルで飛び降りがあり、若い男性が一人死んだのだという。

 聞いた話では、かなり高いところから落ち、ブロックに打ち付けたせいで頭が派手に割れ、顔はめちゃくちゃになり、身元不明で新聞に載っていたということだった。


 だがあれは、鏑木と連絡が取れなくなるより前の話だ。


 鏑木はどこに行ったのか。

 なぜスナックは急に閉店したのか?

 親父さんはどこにいったんだ。


 わからない。何もかもがわからない。

 鏑木は今どうしているんだろうか。


 今頃何かに苦しんで、一人で死のうとしているんじゃないだろうか。

 俺は、なんでこんなにも呑気にしていたのか。


 気が狂わんばかりの3月3日を終え、とうとうその日を迎えた――。


 3月4日。


 この日俺は、一睡もできないまま朝を迎えた。


 何度も鏑木のスマホに連絡し、既読のつかぬメッセージを大量に残した。


 学校に行く時間がきても支度をすることすら憂鬱で、いっそのこと休んでしまったらいいのではないのかと、そんな考えが頭をよぎったが、どうせループになるのは決まっている。


 ――いや、ただ行方不明なだけで、もしかすると今回は机の上には花が置かれていないかもしれない。だからきちんと学校へ行って、この目で確認すべきだ。


 そんな僅かな希望も、まだ俺の胸にあった。


 前日から何も喉を通らず、朝メシの代わりに水道の水を口をつけて飲む。3月の冷たい水が、寝不足の頭を少し覚醒させ、俺はなんとか支度を終えると、足取り重く学校へ向かった。

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