10.緑風と雷撃



 夕闇に沈みゆく街を、若草色に染まった長髪をたなびかせながら少女が行く。

 住居の屋根、電柱、あるいは建物のわずかな凹凸に手足をかけ、空を駆けるようにして目的地に向けて直進する。

 彼女の右手には、華美な装飾の施された大剣が提げられていた。着用しているパーカーとブラウス、スカートといったごく普通の服装とはあまりにミスマッチなそれが、少女の境遇と現状を物語る。


「あっち……」


 少女の視線の先にあるのは、白い紙に墨汁を一滴垂らしたかのような、黒いドーム状の空間だ。

 忌々しくも理解し難い異空間だ。少女の両親はそこで殺され、彼女自身もまた殺されかけた。剣を握る手には力が込められ、瞳には憎悪の炎が宿る。

 異空間から逃れ出た男女を見送って、少女はドームの天辺から黒い異空間へと突入した。

 ――そこは、当初の想定とは異なり、激戦の最中だった。


「はぁっ!」

「――――!!」


 月光のような色合いの髪と同色の尾、黒い角を持つ竜の少女が走る。両の腕を包む稲光が残光となって闇に包まれた空間に刻まれ、騎士の鎧に幾度となく炸裂した。

 しかし、騎士は退かない。既にその攻撃は体験しているからこそ、耐えるために体勢を整え、あるいは引き起こした現象をもって対処する。そして闇そのものとも形容すべき黒い霧を纏った騎士の斬撃が、残光を引き裂き竜の喉元に迫った。

 まともな人間であれば確実に死に導かれるであろう一撃に対し、竜――ナルミは一切退く様子を見せなかった。剣と首との間に差し込んだ掌が、出血を伴いながらも剣を受け止めた。

 更に、粒子を収束させ電撃による痛烈な一撃を加える。わずかに行動が阻害されたその瞬間、少女は仕掛けた。足元に「エーテル」の光のラインを描き式とする。活性化したエーテルは式を通し術と化し、極めて局地的な突風という現象を引き起こした。

 文字通り、風のように駆け抜けた少女は瞬きの間に騎士の背後にまで到達した。突然の闖入者に驚き目を見開くナルミを尻目に、鎧の首筋の隙間を狙い振り下ろされた大剣は、しかし噴出した黒い霧に阻まれ外装を傷つけるのみに留まった。


「浅い……!」


 騎士は鎧の重量を感じさせないほど軽い体捌きで、即座にその場を離脱。ナルミたちを同時に視界に収められる位置に着地した。

 対する二人は騎士に向き直りながら、強い困惑をそのまま口に出していた。


「誰だ……!? あ、と、え!? っと……!?」

「まさかヴァルトルー……え、でかっ……誰!?」


 ナルミも少女も、互いの持つ要素について見覚えがある――だからこその困惑。

 少女にとってナルミの外見は、髪色や竜のような身体的特徴、扱う術に至るまで少女の知る人物とそっくりだ。だというのに妙に全体的にサイズが大きいため、どうしても別人であることが察せられてしまう。

 対するナルミは、まず少女の顔に目が行った。薄暗い上にナルミ自身が光源となってしまっているためよく見えないものの、声も聞いたことがあるような気がする。しかし思い当たる知人はここまで派手な髪色をしていなかったし、声を荒げるような性格でもない。この微妙な食い違いが知人と少女とを結びつけることを許さない。

 ひとつだけ理解できることは、この騎士が両者にとって敵であるという事実だけだ。一拍置いて互いにその事実さえあればとりあえずは良いと割り切った彼女たちは、互いに頷きあうと再び臨戦態勢を取った。


「動きを止めて。あたしがやる」

「右から行く」

「合わせる」


 ごく短いやり取りの直後、二人は弾かれるようにしてそれぞれ左右に分かれて駆けた。

 向上した身体能力に任せた極めて強引な踏み込みと、風を利用した高速移動。力の根源は異なるが、ほぼ同じ速度で動く二人を同時に捉えることは難しい。

 だからこそ、ナルミは雷光をより強くその両腕から迸らせる。より自身に注意を向けるために、あるいは自身を目立たせることで逆に少女を際立たせ、隙を作るために。


「■■■……ッ!!」


 腹立たしさを示すようなうめき声と共に騎士の足元から黒い霧が吹き上がる。それらが剣に収束すると、騎士がその身を回転させるのと共に爆発的な勢いで噴出した。

 前後から敵が挟んでくるのならば、それらを迎撃すればよい。あまりに大雑把かつ場当たり的な対処ではあるが、この状況では殊の外有効だった。

 ナルミは肉体のスペックを十全に把握しておらず、戦いにも慣れていない。明確な攻撃の予感には身がすくみ、直撃すればどうなるとも分からない得体のしれない物質の塊だ。自然と防御の姿勢を取っていた。

 他方、少女はナルミと異なりあくまで人間の範疇から外れない自身の肉体が、「それ」に耐えられないことを自覚している。大剣を盾代わりにした上で再度式を編み、現象を引き起こす。

 ――直後、騎士の一撃が周囲をまるごと薙ぎ払った。


「うあっ……!」

「ッ……!!」


 防御の上からだというのにその威力は凄まじい。ナルミの腕にはヤスリで削り取ったような傷が刻まれていた。

 少女は目立った傷こそ無いものの、全力で放出した暴風と熱波で相殺してようやく防ぎきったという状態だ。

 玉のような汗が額に浮かぶ。一瞬でも反応が遅れていれば、少なくとも四肢のいずれかは確実に削り取られていたことだろう。


(痛い……! くそ……! 何だってんだよこいつ……!!)


 ナルミは、自身の胸の奥に怒りの炎が宿るのを感じた。

 何なんだ、この騎士は。なぜ自分が突然こんな目に遭わなければならないのか。自分は殺されなければならないようなことを何かしたのか?

 あまりにも暴力的で、一方的で、不可解だ。


(いきなりわけわかんないまま殺そうとしてきて……僕まで振るいたくもない暴力まで振るうハメになって最悪の気分だ……!)


 ――こんな理不尽を許しておける人間が、いるものか。


「そっちが始めたことだからな……!!」


 感情の爆発と共に、ナルミの両腕から発せられている電光がその強さを増した。

 ドラゴンの発する電気の由来、磁力との関係、理論的に解釈しようとした全てを投げ捨てる。結局のところ、電気を発生させ、操ることができるようになったのは咄嗟の行動がきっかけだ。

 本能に身を任せた彼女の動きは、音を置き去りにした。正しい型も歩法もあったものではない乱雑な疾走。その速度から放たれるのもまた、乱雑で強引な打ち下ろし。

 拳撃ですらない、どちらかといえば引っ掻くのに近いそれは、ひどく直線的であるが故に騎士にもその軌道は読めていた。紙一重のところで腕が空を切り、致命的な隙を晒す。


 ――直後、塊となった雷が騎士に叩きつけられた。


「――――――!!!!」


 単なる発電に留まらない、その発露。形状など存在しない電気に形を与え、自在に動かす規格外の能力。

 質量などあるはずも無いそれに晒されて、しかし騎士は確かにアスファルトに押しつけられていた。

 電気だけではなく、D粒子をも用いているからこその異常質量。同時に電気の特性をも持ち合わせていることで、騎士が動くことを許さない。


「■■■――――!!」


 この拘束から逃れなければ死ぬ。その確信があったためだろう、騎士は全力で己の身に黒い霧を集中させた。

 通電性の低い黒い霧を全身にまとうことで雷の影響からわずかに逃れ、全身から噴出することで後退する。

 その瞬間を見計らったように、少女が飛ぶ。大剣が形を変え、することでその内部機構をわずかに覗かせる。そこから伸びるのは大気中の分子を固めた極めて薄い透明な刃だ。


った!!」


 断頭台の如き一撃。漲る殺意――故にその軌道は分かりやすい。少女の攻撃のために雷が消失する瞬間、騎士は地を這っていた姿勢を反転させて黒い霧をまとった剣でそれを受け止めた。


「まだ!」


 直後、騎士の動きが止まる。その理由が、騎士自身には分からない。何らかの力が加わっていることは分かるが、その実体が視認できないため理解できないのだ。

 ナルミが操作できるのは、「電磁」の名が示す通り、電気と磁力。これ見よがしに電気の塊を操作して見せていたのは、磁力という能力の側面から目を逸らすためでもあった。

 鋼鉄の鎧を全身に身に纏っている騎士では、それに抗うことが難しい。少女は瞬時に標的を変更。剣を持った腕を斬り飛ばした。


 ――二人の顔が驚愕に歪んだのはその直後のことだった。

 騎士の腕の断面から噴き出すはずの血液が一瞬にして止まる。代わりに出てくるのは、コールタールめいた黒い液体だ。それは吹き飛んだ方の腕の断面に入り込むと、見る間にこれを繋ぎ直して元の状態に戻してみせた。


「――アレ、本当に生物?」

「血は出てる」


 霧散した雷の塊がナルミの背後に光輪を描く。血がのぼっていた頭が冷えるほど、先の光景は異様に映った。

 無論、少女の言う通りに血が出ているということは生物ではあるだろう。しかし、今の治癒……あるいは修復能力は、生物の範疇を超えている。

 ドラゴンをその身に宿すナルミを真っ先に狙ったことといい、以前ディセットが口にしていたイーバの方が近いのではないか、イーバとの混ざりものなのではないか……そう考えたが、明らかに違う。ナルミの感覚の一部が、騎士は「そう」ではないと訴える。

 騎士は確認するように一度腕を振ると、電気の影響によってわずかに震える足を抑え込むように、その場でアスファルトを思い切り踏んだ。


「もう一度挟む?」

「磁力の通りが悪い。同じ手は通じそうにないと思う」


 鎧を包む黒い霧の濃度が上がるのと共に、ナルミは眉根を寄せた。

 通常、磁力というものは多少の障害物を貫通して作用するものだ。しかし、たかが黒い霧で覆う程度のことでそれが軽減、または遮断されている。

 先程のように衝動に身を任せた状態ではない上に、思考が先行して電磁操作のコツも徐々に見失いつつある。カナタほどの記憶力が無いナルミにとって、勝負が成り立つのはこの数分のみだ。

 その時、ふとナルミの感覚が「何か」を捉えた。


「――ひとつ手がある。あいつを上空に吹き飛ばしたい」

「飛ばす『まで』なら、ギリギリ」

「分かった、そこまでで十分。あとは僕がやる」


 僕? と、一人称に疑問を呈する少女をよそに、ナルミは大きく踏み込んだ。

 残光のみがその軌道を示すほどの高速移動。対する騎士は広く黒い霧を散布し待ち構えた。

 激突はほんの一瞬だ。雷の爪が剣と打ち合った次の瞬間、幾多の攻撃の応酬が互いの間で繰り広げられる。


(さっきからべしべしべしべし、痛いんだよコイツ!!)


 ナルミの全身に刻まれる傷は、先程と同様の削るようなそれだ。素手で打ち合い続けてしまうと、剣や鎧に直に触れることになってしまうため延々とこれを繰り返す羽目になる。かと言って剣道などの心得も無いのだから、たとえ雷を剣の形状にしたとしても使いこなすことはできないだろう。膠着状態すら保てない可能性が高い。


「……――――……!!」


 しかし同時に、雷を伴う打撃を幾度も受けている騎士も、無傷で済むことは無い。電熱が身体の末端を焼き、通電による神経損傷は彼の身体を確実に蝕み、苦悶の声を上げさせている。このままではどちらが先に死ぬかを競う地獄の我慢比べだ。

 この状況を破ったのは、吹き抜ける突風だった。


「これでどう!?」


 人間一人を容易に吹き飛ばすほどの風。本来、機動力向上のために用いられるそれを意図的に騎士の足元に展開したのだ。


「完璧!」


 数メートルほどの高さに吹き飛ばされる騎士に対し、ナルミは雷の槍を投げ放って追撃を行う。しかし、騎士も無抵抗ではいない。攻撃の際にも使っていた黒い霧の噴射で体勢を制御しながら雷を切り払っていく。

 同時に、先に騎士の放った広範囲の斬撃によって切断されていた街灯の残骸が、磁力に乗せて撃ち出され騎士を空中で固定した。


 ――その瞬間、空間を包んでいた黒いドームが

 ガラスが崩落するように星空があらわになり、姿を晒したのは鋼鉄の巨人ワーカー、ガルデニア。

 ナルミの感覚器官は、その巨体が発する膨大な電磁波を数十秒前から捉えていた。


「わざわざ『守る』ってことは!」


 ディセットたちは確かに一度は逃走した。しかし、同時にナルミを見捨てるようなことはできなかった。一度この黒い半球から脱出した段階で、先にカナタが構築したプログラムを用いてガルデニアをAI操縦で呼び出したのだ。

 黒い霧は物理的に不可解な性質を有するが、物理現象に影響を受けることだけは確かだ。小口径の銃弾を弾くほどに強固だが、ナルミの拳やその衝撃は止められていない。防御能力の限界はその程度だ。つまり、キャパシティを超える攻撃を加えることができれば――。


「『当たれば効く』ってことだろうがぁ!」


 ――その攻撃は、必ず通じる。


 切り上げるようなブレードの一閃が、火花を伴い夜空を裂いた。


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