9.黄昏と黒騎士
昼食を終えると、僕たちは再度同じ作業に戻ることにした。
僕はさっきと同じように試行錯誤、姉さんはインプラントの操作方法を理解したので、そこから更に先に行ってワーカーの整備方法や内部・外部の機構について教えてもらっている。
姉さんはスポンジが水を吸うようにぐんぐん知識を吸収。浮上する「記憶」と併せて、急場しのぎの素人レベルながらもワーカーを操縦することすらできるようになっていた。
僕は……全然だし、散々だ。なんか電気っぽいものが出たかも、と思ってたら静電気だったし、瞑想しても何の意味があるのやら。
漫画やゲームですぐにそういうのが感じ取れるようになるキャラクターたちってすごいね……。
「外部からの刺激を感知して信号が飛ぶようにできたよ~。これでバレた時、遠隔で対処できるようになるね」
「どうしようナルミ、もう既に俺よりカナタさんの方が詳しい」
で……姉さんは、知識を吸いすぎていた。
半分は「記憶」のおかげだろうけど。
「こうなると思った」
「昔からこうなのか?」
「一回見聞きしたらもう忘れないからね~」
「天才なんだよ、昔から」
そう補足すると、姉さんはあからさまに嫌そうな顔をした。
そういやこの類の表現、中学生の頃から嫌ってたっけ。まあ他人に説明するのに、こっちの方が分かりやすいから使わせてもらうけど。
「もしかしてナルミもか?」
「いや、僕は全然そういうの無いんだ。自慢の姉だよ」
「…………」
僕は計算がちょっと得意なくらいで、姉さんに比べたら大した人間じゃあない。大学も別に帝都大レベルのもの受けるつもりは無いし。
医者になろうと決めて実際にその道を邁進していることも尊敬している。僕ができるのはせいぜい、その歩みを支える程度のことだ。
……いや、どっちも過去形か。今の世界情勢を考えると、今後何がどうなるとも知れないし。
「そうか」
「そんだけ?」
「まあ……そういう人もいるだろうとは思うが」
「そっか」
「ところでこれからどうするんだ? もう日も傾いてきたぞ」
「なんかディセット目に見えてテンション上がってない?」
「……あー。晩ごはん」
「い、いいだろ少しくらい……」
もちろん構わないし、それ自体はむしろ良いことだ。食を楽しむというのは精神的にある程度余裕があってはじめてできることなのだから。
今日は何にしようかな。海のものがある程度大丈夫なのはおにぎりのおかげで証明できたし、シーフード系を試してみるのもアリなのかな。
イカやタコはまだ早そうだけど……魚ならアリか。ムニエルとか煮付けとか、油残ってるし、揚げ物もありかな?
「そろそろ帰ろっかぁ。なっちゃん、あんまり気をもみすぎてもダメだよ~」
「わかってるよ……」
別に普段作りがいが無いというわけじゃないけど、こうもあからさまにうまいうまいと言ってくれる人がいると身の入り方が少し違う。家路につく中、僕も少しだけ足取りが軽くなっていた。
ところで、僕らの住んでる市は23区外ではあるものの、都内ではあるので人通りは少なくない。日が傾いてきた夕暮れ時ともなれば、なおのこと。帰宅する人の数は結構なものになる。はずなんだ。
だから、帰るのに一定以上の注意を払い、身を隠したり目立たないようにして進む……そのつもりだった。
「……?」
夜闇が黄昏時の赤い空を染めていく中、異変に気づく。
人の姿が、無い。
狭く、できるだけ人のいない路地を選んでいることを差し引いても、あまりにも人がいなさすぎる。
姉さんは気付いているのだろうか? ディセットは、こちらの世界の常識や世情に疎いからこういうものだと認識しているフシがあるが……。
(何かがおかしい。妙に……イライラ? する)
首筋がなんかチリチリして、周りに何か……良くないものを感じる。神経が逆撫でされているようだ。
ただ、それが「何」なのかはうまく言語化できない。D粒子、ではないと思う。なぜかそのことは本能的に分かる。
奇しくもそのことが、周囲に満ちる何かと自分の体から放出されるものをより鮮明に感じ分けられるきっかけとなったが――重要なのはそこじゃない。
「止まって」
僕はその奇妙な感覚に従うことにした。一歩前に出て手で制すると、二人ともいぶかしげにしながらも立ち止まってくれた。
「何だ?」
「どしたの急に~?」
徐々に深まっていく夜闇。夕方という時間帯もあるが、それにしたって早すぎる。明らかにその速度が早い。
そんな中、黒い何か……先程感じ取った良くないものが大気中に凝るのを感じる。
――そして、空間に開いた「穴」をこじ開けるように、影が姿を表した。
異様な姿だった。
男とも女ともつかない真っ黒な全身鎧の人影。関節や鎧の隙間からは吐息のように黒い霧状の何かが吹き出ており、中に人がいるのかどうかすらも定かではない。
僕の感覚は、その黒い霧に大きな警戒を向けていた。
右手には、機能性のみを追求したかのような無骨なロングソード。その色もやはり黒く、吹き出す霧のせいでその輪郭を掴むのが難しい。
幽鬼のようにゆらりと体を揺らした騎士? は、一瞬頭をこちらに向けたかと思うと――爆発的な勢いで、一気にこちらに詰め寄ってきた!
「なっ――」
「!!」
咄嗟に腕が出た。
腕で――剣を受け止めた。
斬れていない。折れてもいない。刺さってもいない。それどころか痛みも薄い。
動揺や困惑が頭に大量に湧いてくるというのに、体は勝手に動いた。空いた右手に粒子が収束する。「コレ」を放置できないという、半ば強迫観念にも近い思いと共に手を突き出すと、およそ人間が出してはいけない類の音と共に光が弾け、鎧を大きく弾き飛ばしていた。
「――――――」
「…………」
何が起きたのか、理解が及ばない。それ以前の問題で、この状況が全く意味が分からない。
分からないけど、なぜか体は臨戦態勢を解かない。
――吐き気がするほどの嫌悪感も、今は無い。
人じゃないのか? あくまで応戦だから何も感じないのか? 鎧越しだから? 状況のせいでそれどころじゃない?
それとも――――「混ざった」ことで、本当に自分の性質が全く別のものになってしまったのか?
(……捨て置く!)
その全ての疑念を僕はあえて切って捨てた。
父さんも前に言っていた。「『なぜ』という疑問や気付きは大事だけど、優先順位というものはある」――だそうだ。
今はこの鎧男をどうにかしないといけない。それに考えたところでどうせはっきりした答えなんて出るわけがない。時間と思考キャパの無駄だ。
「な、何!? あっ……なっちゃん、腕は!?」
「平気」
「っ……ナルミ! 何だあいつは!? お前も……今何した!?」
「分からない。けど、あんな物騒なもの振り回すようなの」
とにかく鎧の吹き飛んでいった先を見る。今の一発、普通の人間が受けたら間違いなく物理的に爆発四散するほどの威力があったはず。
血すらも流れず、吹き飛ぶだけで済むようなものが……。
「――マトモなわけがない」
案の定、鎧は倒れてすらいなかった。
どうやら空中で体勢を立て直し、剣や足を使って勢いを殺したらしい。アスファルトに刻まれた深い痕跡の先で、鎧は手をついた状態でこちらを見据えている。
思わず顔をしかめる――その次の瞬間、小さな破裂音がした。二発の弾丸が鎧男に迫るが、吹き出してきた黒い霧がそれを防いだ……のだと思う。鎧の外装よりも遥かに手前で火花が散り、ごく小さな金属音が聞こえた。
「……ダメか」
後ろに視線をやれば、ディセットが銃を抜いていた。判断が早いし銃撃に迷いが無い。あっちの世界の人ってこのくらい標準的なのだろうか。
しかし、どうやらほとんど効果がないようだ。小口径だからという理由ではなく、もっと別の……条理を外れた力の有無が問題だろう。
「ディセット、姉さんを連れて下がって」
「待て! 一人でそんなことさせるわけ……」
「――ディセくん! 今は下がろう!」
「カナタさん!?」
「多分わたしたち邪魔!」
「えっ」
語感は酷いかもしれないけど実際その通りではある。
ディセットの判断力や戦いに慣れた点は頼りになるが、恐らくあくまで普通の人間の身体能力しか持っていない彼がこの場にいるとちょっと足手まといだ。
姉さんにしても言うに及ばず。エルフっぽい見た目してるけど魔法みたいなものを使えるわけでもないのだから。
半ば強引に引っ張るようにして姉さんがディセットを連れて行く。横目にそれを見ながら、鎧を観察する。
逃げる姉さんたちを追いかける素振りは見えない。さっきの……ワープ? 空間転移? じみたやつもしてこないから、考えうる理由は三つ。
一つ、使用条件があるなどで使えない。
二つ、狙いが僕なので使わない。
そして三つ……使う必要が無い。伏兵などがいるので、追う必要が無い。
三つ目の可能性はもう考えない方がいいだろう。そうだったら最初からどうしようもない。一つ目なら考慮する必要自体が無い。
問題は二つ目。空間にできた穴を強引に割くように開いていたことから予備動作が必要になると考えられるが、もし自由自在に使えるのだとしたら死角からの攻撃にも警戒する必要がある。
(戦い方なんて知りもしない僕が余計なことを考えても仕方がない)
左手を前に、半身になって構えを取る。どうせ高すぎる身体能力を御する方法なんて分からん。あとは「身体」に任せる。
「一応聞くけど、あなたは誰?」
「…………」
当然だが、鎧は疑問に応じない。しかし、僕の言葉に対して何らかの息遣いを感じる。生物……ではあるのだろう。
言語が通じていないだけという可能性もあるが、中身は人間なのだろうか。
鎧は剣を構え直し、腰を低く落とした。今にも踏み込んできそうなほどの威圧感がある。
――そして一瞬の後、想定通りに鎧は一足のもと踏み込んできた。
先程よりも遥かに速い。こちらが一度は反撃してしまったためだろう。さっきの困惑している最中ではよく分からなかったが、少し冷静になると術理が分かる。黒い霧の噴出による反作用だ。
煙。あるいは霧……考えられる範囲の物理的現象だと、先程のように銃弾を弾くのは不自然だ。想定しうる特性は二つ。自由自在に操れる特異現象であることと、一定程度、物理法則に影響を受けること。
鎧が僕の目の前に来るのはまさに一瞬のこと。身体は機敏にそれに反応し、かける。
そういえば今、尻尾を隠すためにロングスカートなんだった。隠蔽のためには仕方ないとはいえ、動きづらくてかなわない。
姉さんには悪いけど予備はあるし、下もハーフパンツ。今優先すべきなのは羞恥や金より命の安全だ。迫ってくる鎧の頭部スリットに帽子を投げつけて視界を塞ぎ、スカートを破り捨てながら回転。横っ面に蹴りを叩き込む!
「――――」
再び、インパクトと共に電気が炸裂。鎧が吹き飛んでいくその直前に、それは小さくうめき声を発した。
言葉を発することができる、声帯があるということは少なくとも生物ではあるようだ。
そうなると今の二発の攻撃を受けて立ち上がってくるのが不可解だ。どちらもほぼ確実に人間なら即死する威力だったはず。
ディセットの世界のサイボーグ――インプラント? サイバネ? 技術ならそれも納得はできるかもしれないが、そうなるとあんな古めかしい鎧姿なのは意味が分からない。
この鎧もあの怪鳥と同じ世界からやってきたと考えると、それも納得はいくかもしれないが……。
(ああもう、考えすぎ!)
正体はほっとこう。倒してから鎧と兜を引っ剥がしてしまえばいい。
今度はこちらから攻撃を加えるべく、アスファルトが陥没するほどの勢いで踏み込んだ!
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