殺戮の王位簒奪

「アルマデス陛下! どうかお願いでございます! 貧民地区の者たちに早急に食料と金銭の支援を施してください!!」


 ミチュアプリス王国の玉座の間で、宰相ティモンの懸命な声が轟いた。

周囲にいる王の親衛隊たちも、固唾を飲んでティモンの進言を聞き入っている。


「現在ミチュアプリス王国の貧民地区では、もはやこれ以上収容ができないほど貧しい者で溢れかえっております! 彼らは2年前の疫病の後遺症で、まともに働くことすらできないのです! このままでは、貧民地区の者たちは皆死んでしまいます!」


 宰相ティモンは、必死にミチュアプリス王国の逼迫した現状を訴えかける。

だがそれをずっと玉座に座って聞いていたアルマデス王は、ダン! とひじ掛けを叩いた。


「いい加減にしろティモン! 貴様は何度その話をぶり返せば気が済むのだ!? ミチュアプリス王国は今、カマセドッグ帝国への来貢で大量の金品を差し出さなければならん! とにかく金が要る! 金が要るのだ!! 貧民風情などに構ってられるものか!」


 アルマデス王は苦悶と怒りで声を荒げながら進言を却下する。

王はもはや誰の言葉にも耳を貸さないほど心に余裕などなかった。

それでもティモンは諦めきれず、もう一度必死な声で王を説得しようとする。


「で、ですが、国民なくして国家の存続などありえません。我々がいま国民を救わねば、国民はますます困窮の一途を辿るでしょう。彼らは今路頭に迷っており、もはや野盗に成り下がるしか道はありません。そうなれば国家の治安はますます乱れてしまい、ひいてはミチュアプリス王国に大規模な内乱を招くやもしれぬのですぞ!」


「ええいうるさいわっ! 貴様の御託など聞き飽きたわ! ああ、ユーサ、マルク、ミルガ……。何故お前たちは死んでしまったのだ? 儂にもう一度その笑顔を見せておくれ……」


 怒り狂っていた王は、そこでさめざめと涙を流し始める。

項垂れて額に手を当てて、ただひたすらに自らの悲嘆に染まった世界に閉じこもってしまった。


(なんとういうことだ……アルマデス陛下は、あの疫病でご逝去された王妃さまとご令息さまたちの思い出にばかり囚われている。もはや誰よりもこの国のことを思いやり、善政を敷いてきた仁君アルマデスは死んだのだ。この玉座に座っている男はもはや自分の悲しみにしか目をくれず、国民を省みなくなった暴君でしかない!)


 そこでティモンは、懐に忍ばせた短剣に手を伸ばす。

顔を伏せ、ひたすらすすり泣くアルマデス王はそれに気づかない。

無防備にも王は、その首筋を殺気だったティモンに向けていた。

ティモンの異変に気づいていた親衛隊たちも、誰も止めようとしない。


(……いや、待て。ここでアルマデス陛下を殺して何になる? お世継ぎが全員亡くなってしまった今、この国で王の位を務められるのはアルマデス陛下しかいないのだぞ。感情に任せて王を殺しても、ミチュアプリス王国はただ混乱に陥るだけだ)


 緊迫した玉座の間で、ティモンはそっと懐の柄から手を離す。

この国の宰相である以上、どんな非情な王であれ支えるのが自分の役割だ。

冷静に考え直すと、忠臣を演じ続ける道を選ぶ他なかった。


 だがその時、ティモンは周囲の異変に気づく。


「な、何だあれはッ!?」


 親衛隊の一人が指を差して叫ぶ。

見ると玉座の間の中央には、人一人分ほどの大きさの黒い靄が浮かび上がっていた。

その靄の中からコツ、コツ、コツ、と足音が聞こえてくる。


「うほっ! 本当にワープ出来てるじゃん! やっぱり俺って天才だな!」


 見慣れない若者が一人現れた。

顔は美麗であるが、どこか醜悪な笑みをヘラヘラと浮かべている。


「あっ、そこにいるのがアルマデスって奴ね。神様が殺せって言ってた暴君だとかいう奴」


 若者は不躾な足取りでアルマデス王に近づく。

途端に玉座の間は色めき立った。


「この不審者めっ!! ひっ捕らえてくれるわ!!」


 親衛隊の一人が若者に向かって飛び掛かる。

だがそれを視認した瞬間、若者は叫んだ。


「クラフトニードル!」


 広げた手のひらから、黒い大きな針が射出される。

その獰猛な鷹のように飛来した針は、駆け出した近衛兵の左胸に襲い掛かった。


 ドシュッ!!


 血飛沫を散らしながら、近衛兵が壁際に叩きつけられる。

そのままだらりと人形のように手足が垂れ落ち、近衛兵はピクリとも動かなくなった。


「あれぇ? もしかして俺人殺しちゃったぁ? 初キルボーナスじゃん」


「こ、攻撃魔法だとッ!!」


 親衛隊の一人が絶叫する。

玉座の間には一瞬で殺伐とした気配が走った。


「気をつけろぉ!! 奴は魔術の使い手だ! 盾を構えて包囲しろ!!」


 親衛隊たちが一斉に剣と盾を抜く。

一糸乱れぬ統率の取れた足取りは、瞬く間に殺戮者の若者を取り囲んだ。


「あれぇ? もしかして皆さん、俺を殺る気まんまんな感じでちゅか~?」


「かかれぇッ!!」


 親衛隊長の号令とともに、一気に兵士たちが若者に突撃する。

敵との距離は短く、すぐに剣撃の射程範囲に入った。


 だが一斉に兵士たちが剣を振り下ろそうとした、その時だった。


「クラフトニードル・サウザンド!」


 若者の周りに、先ほどの黒い針が四方八方に出現する。

おびただしい獰猛な針の大群が、兵士たちの全身に高速で迫った。


 ドシュシュシュシュシュッ!!


 血飛沫を撒き散らしながら、親衛隊たちは皆吹き飛ばされる。

構えていた盾に幾本もの針が刺さり、だがそれでは防ぎ切れず鎧と生身の身体を貫かれた。

玉座の間は一瞬で血の海となり、人型のハリネズミが大量に転がり回る。

王国屈指の精鋭が集結した親衛隊は呆気なく全滅した。


「あれぇ? 俺、また何か殺っちゃいましたぁ?」


 惨劇の海の中央に立つ若者は、全身が血塗れになりながら頭をさすさすと撫でる。


「うわっ! 人間の血ってくっせぇなぁ。せっかく上等な服着てるってのにこりゃもうダメだわ」


 若者は上着を脱ぎ捨てて、玉座にゆっくりと迫り歩く。

血だまりを踏みしめ、針を蹴飛ばしながら愉快そうに口元を歪めた。


「あれぇ? お前まだ生きてたのぉ? てっきり俺のチート魔法に巻き込まれて死んだのかと思ってたわぁ」


 針まみれの玉座の裏には、背もたれを盾にして生き延びたアルマデス王がいた。

だがもはや王の身体は極寒にいるかのごとくガタガタと震えており、血走った眼で若者を見ることしかできなかった。


「き、貴様は一体、何者だ!?」


 震える声をアルマデス王は絞り出す。


「あっ、俺ぇ? タナカカクト。この国の王」


 玉座の目前に立った若者は、背後で隠れているアルマデス王に向かってゆっくりと手のひらを広げる。


「くっ! おのれッ!!」


 だがアルマデス王は若者の隙をついて、玉座の裏から飛び出す。

若者の横を通りすぎ、屍の群れに躓きながら逃走した。


「クラフトニードル!」


「ぐわぁッ!!」


 だが若者は即座に呪文を唱え、床に黒い針を一本だけ出現させる。

アルマデス王はその罠を踏みしめてしまい、痩せ衰えた右足には激痛が走った。

皮膚も肉も骨も全てが突き破られ、兵士の死体の上に勢いをつけて倒れ伏す。


「あのさぁ……お前、そんなトロい足で俺から逃げられると思ってんの?」


 若者は侮蔑的な眼差しで見下ろしながら、使い物にならなくなった足をかばってうずくまるアルマデス王に迫りくる。


「うぅ……うぅ……」


 アルマデス王は這いつくばりながら、節足動物のように四肢をくねらせてもがき進む。

死体の群れを避け、血の海に玉衣を汚しながら生き永らえようと逃げ惑う。


「クヒャヒャヒャヒャ! まるで芋虫みたいだなお前! 王様だって聞いてたけど、ただのジジイにしか見えねぇや!! 踏みつけただけで死ぬんじゃねぇか?」


 若者はノロノロと這いまわる王に近づくと、股を広げて晒された局部を蹴り飛ばす。

睾丸と陰茎に激痛が走った王は、股間を抑えながら血の海をのたうち回った。


「がああああああッ!!」


「クヒャヒャ! 今度は子犬みてぇだな!! 男の癖にキィキィうるせぇんだよジジイ! んじゃ、そろそろ飽きたから殺すか。クラフトニードル!」


 ドシュッ!!


 王は心臓を突き刺され、呆気なく絶命した。

もはや君主としての威厳も尊厳も失われ、死体の群れの中の肉塊のひとつにすぎなくなった。


 若者は先ほど殺した老人を束の間だけ見下げると、すぐに興味を失い踵を返す。

そして死体の群れを蹴飛ばしながら突き進み、針だらけの玉座の上にどっかりと座った。


「んじゃ、今日から俺がこの国の王になるとすっか! 王様って何すんのか知らねぇけど、まぁ日本のクソ社会よりは楽しいだろ!」


 クヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャ!

玉座を乗っ盗った男が腹を抱えながら高笑いする。

その王位が簒奪さんだつされる瞬間を目の当たりにした者が、ただ一人だけ生き残っていた。


(……一体、何が起こっているというのだ? 兵士たちが全滅している。アルマデス陛下も死んでいる。玉座の上には訳のわからぬ男しかいない。こんな頭の狂った男が、本当にこの国の新たな王になるというのか?)


 頭を抱えて床にひれ伏していた宰相ティモンは、ただ暴虐な王の誕生に震えあがることしかできなかった。

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