12

「零くんっ!」

 電源を入れたままのパソコンを抱え、私は待ちきれなくて、家の外に飛び出す。

 でも、零くんの姿を見つけた瞬間、足が止まってしまった。

「……五時間三十二分か。頑張ったな、ヒロイ」

 腕時計を確認してふっと笑ってくれる零くんは、体中傷だらけだった。

 服はボロボロで、袖から見える腕も、顔も、血が滲んでいる。

「ちょっ……え!? 零くん、なにその怪我!?」

「気にするな、編集作業中はよくあることだ。それに、まだ軽かった方だぞ。お前のキャラの作り込みが甘かったおかげで助かった」

「はっ……はあ!?」

 怒りたいのと、心配なのと、もうなんだかよくわからない気持ちがぐちゃぐちゃになって、私はとっさに零くんの腕をつかむ。でも、それ以上何も出来ない。

 なのに零くんはほんとに何も気にしてなさそうな、しれっとした顔で言った。

「それより、ヒロイ。どこか誤字脱字があるんじゃないか? まだ小説世界が消えてないぞ」

 海賊の皆を見回しながら言われ、私は「あ」と呟いた。

「それは……私、最後の一文字まで打ったんだけど、その後の句読点だけつけてないから、実質まだ小説はできてないんだよ。ほんとに完成させちゃったら、もう皆と会えなくなっちゃうと思って……皆が現実世界にいてくれるうちに、話したいことがあったから」

「……なに、恨み言かな。お友達も編集者さんも、いっぱい傷つけちゃったもんね、私」

 ふらりと、ダイヤモンドが立ち上がった。その目は、静かに凪いでいる。

「はあ!? ダイヤモンドに恨み言なんて許しませんわよ!」

「それを言うなら僕たちだって同罪です。責めるなら全員を」

「ううん、違うの。……あのね」

 私は零くんにパソコンを預けて皆を見回し、「あの、ちょっと皆集まって」と手招きをする。

「……んだよ、全員まとめて処刑か?」

「言っときますけど、なにか武器を見せたら私の死霊があなたの体をメタメタにしますわ」

 警戒しつつも近寄ってきた皆を、「違う違う、もっと寄って、もっともっと」と近寄らせて。

 それから私は、ぎゅうぎゅうに体をくっつけ合う皆を前に、大きく深呼吸すると。

 地面を蹴って、思いっきり飛びついた。

「――っ皆ああああ! ありがとおおっ! ほんとにほんとに、ありがとう!」

 「え」「は?」と呆ける皆を全員まとめてぎゅうっと抱きしめて、私は何度も何度も繰り返す。

「いっぱいごめん! それでありがとう! 生まれてきてくれて……私のところに来てくれて、友達になってくれて、ありがとう! だけどごめん! でもありがとう! ありがとおおおおっ!」

 たくさん謝って、たくさんお礼を言って、そのうちに涙があふれてきてしまって。

 私は涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔のまま、ただひたすら、皆を抱きしめる腕に力をこめる。

「ダメな作者でごめん、皆! いっぱい辛い思いさせて、悪者扱いさせて、傷つけてごめん! だけどっ……だけど私、皆がいてくれてよかった! 私は……私は皆のこと、大好きなんだよ……!」

 呆然としている皆から一旦離れて、私はダイヤモンドを抱きしめる。

「ダイヤモンドの、仲間想いで自分の信念をちゃんともってるかっこいいところ、大好きだよ。ありがとう」

 それから、サファイアを。

「サファイアの、なんだかんだダイヤモンドが大好きなところ、すっごく可愛いよ。自分に自信持ってるところも好き。ありがとう」

 続いて、ルビー。

「ちょっとけんかっ早いけど、あんまり悩まない性格にいっつも憧れてる。強くてかっこよくて好きだよ。ありがとう」

 アクアマリン。

「女の子たちをエスコートできて、王子様で紳士で優しいところも、男子にはちょっと口が悪くなるところも全部好き。ありがとう」

 エメラルド。

「いつものだらけてるのも可愛いし、本気出して戦ってる時はかっこいい! 大好きです。ありがとう」

 一人一人に、心からの愛を、大好きを、ありがとうを。

 それから最後にもう一度、全員をぎゅっと抱きしめた。

 泣きながら、最高の笑顔で。

「皆に出会えて幸せだった。話せて、触れられて、嬉しかった。私の世界に居てくれて、ありがとう。ずっとずっと言いたかったの。他の誰に何を言われても、私は皆が大好きだよって。ずっとずっと、一番好きだよって、伝えたかった。伝えられてよかった。本当に……生まれてきてくれて、ありがとう……」

 ぐすっと鼻をすすって止まらない涙をぬぐうと、耳元で、「……なに、それ」とかすれた声がした。

「私っ……もう、嫌われたかと思って、覚悟してたのに……そんなの、そんなのっ……」

 ダイヤモンドが泣いていた。

 いつも笑顔で明るくて、涙を見せないキャプテンが、初めてぼろぼろ泣いていた。

 びっくりして周りを見たら、サファイアもルビーも号泣してるし、エメラルドの瞳にも涙が浮かんでるし、アクアマリンも泣きながら微笑んでいて。

「え、えっ!? ちょ、どうしたの皆!」

「……お前が、最高の小説家だってことだよ」

 慌てる私の肩に、ぽんっと零くんが手を置いた。

 振り向くと、零くんはおかしそうに笑っている。

「何笑ってるんですの編集者! ヒロイを馬鹿にしたら許しませんわ!」

 鼻をグスグス言わせながら私にしがみついて、サファイアが零くんにかみつく。

「いや、馬鹿になんてしてない。ほんとに……お前は、すごいな、ヒロイ」

「へっ? え?」

 私は目を瞬かせる。零くんは笑って、私のパソコンを返してくれた。

「じゃあ、ヒロイ。作品の最後の句読点、打てるか」

「あっ……うん!」

 もう、心残りはない。

 私はぎゅっとパソコンを抱きしめると、皆を振り向いて、へにゃっと笑った。

「ありがとう」

 最後にもう一度だけそう言って、パソコンを開く。

 そして、キーボードに指を伸ばした時。

「ヒロイ!」

 ダイヤモンドが叫んで、拳を空に突き上げた。

「ありがとう! 忘れないで。私たちはいつだって君の味方だってことを、君はちゃんと愛されてるってことを。その誰より眩しい宝石を、ずっとずっと忘れないで。――大好きだよ」

 私は、目を見開いた。

 また涙が滲んできて、慌ててごしごし目をこする。

「うん! ほんっとに――ありがとう!」

 キーボードの、下から二段目。右から九番目のキーを、押した。


 その瞬間に、七色の光が画面からあふれる。

 眩む視界で最後に見えた海賊は、宝石みたいに笑っていた。

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