03
「……えっ?」
翌朝、バッグよりもずっと重い憂鬱な気持ちを抱えて家を出た私は、ドアを開けた瞬間固まった。
玄関を出たすぐそこに、スマホ片手の月垣くんがいたからだ。
「ああ、遅かったな」
ちらりと顔を上げた月垣くんは、スマホをズボンのポケットにいれて歩き出す。
「そんな混乱した顔されても、俺だって嫌だ。仕事なんだから仕方ないだろ。デッドラインがくるまで、『小説家』周辺は一切油断できない状況にあるからな。編集部名物、二十四時間小説家追い込……小説家併走体制だ」
「うわ嬉しくない……」
しかも一瞬追い込みって聞こえた気がするけど、それは気のせいだと信じたい。
仕方ないので、私もちょっと後ろをついていくようにして歩き出した。
……でも、とにかく会話が続かない。
いまだに月垣くんが怖い私はなかなか話しかけられないし、何か言われてもほぼ答えられないし、むしろ学校一の不良と二人っきりの登校で気まずくない人がいたら教えてほしい。
とはいえ、この空気で十五分間歩き続けるわけにもいかず。私は頭をフル回転させて、話題を振り絞る。
「……えっと、月垣くんって、いつもこんな感じで仕事してるの?」
「ああ、まあ。デッドラインが近づいてくると、缶詰め状態になる小説家もいるらしいな」
「かっ、かんづめっ?」
まさか私も、書き上げるまで部屋に閉じ込めて出しません……みたいな状態になるんだろうか。
震える私をちらっとだけ振り向いて、月垣くんは再び前を向き、歩き出す。
「安心しろ。お前はそうはならない」
「……え?」
なに、今の。
私は無意識に立ち止まり、姿勢よく淡々と歩いていく月垣くんの背中を見つめる。
全部諦めたような、深い傷を隠した声。
私がデッドラインまで何もしないって言ったから、そう言ったわけじゃなさそうで。
なんだか、それとは全然違った理由みたいな。
……なんだろう。
「ごめん」
「は?」
立ち止まらない背中に向かって謝ると、月垣くんは目を丸くして振り向いた。
「たぶん私、嫌なこと思い出させちゃったんだよね」
「は? ああ、いや……」
月垣くんは珍しく視線を彷徨わせて口ごもり、片手でぐしゃっと黒髪を乱す。
「別にいい。 もう吹っ切れた」
「そんなことないよ。だって、ほんとに悲しそうだったもん。だから、ごめん」
月垣くんは完全に沈黙した。目がふよふよと泳いで、俯き、口をかすかに動かして何も言わずに閉じ、「あー……」と迷子みたいな声を出す。
「……それ言ったら、俺だって昨日、お前の事情も知らずに嫌なこと言ったし……お互い様だ。悪かった」
私は目を丸くした。そっか、と小さく呟く。
「お互い様か……じゃあ、ごめんねは半分こだね」
「は?」
「私が一番好きな言葉なんだよ、半分こ。半分こしたら、幸せは二倍になるんだって、好きな小説家さんが言ってたの。今のだって、一人だけごめんねって言ってたら辛いけど、お互いにごめんねって言ったら、ちょっと楽になる気がしない?」
月垣くんの雰囲気が変わった。金色の瞳が光り、光速で私に近づく。
「半分こしたら、幸せは二倍……夕墨先生か!?」
「えっ、あっ、うん。私の最推し作家なんだけど、知っ」
「最推し!? ちなみに一番好きな著作は」
「えっ、ラピスタ」
「話せるなお前……!」
月垣くんの目がきらきら輝いている。
いつもの冷たい表情も、人を寄せ付けない不良の雰囲気も崩れて、完全に同い年の男の子の顔だった。
そして私も、思わぬ同志にテンションがあがる。
「ま、まさか月垣くんも夕墨先生のファン……!?」
「うちに先生の本全部ある」
「全部!? えっ、あの、天気予報シリーズの0巻って」
「もちろん買った」
「うそ! あれ絶版になっちゃってるよね!? え、今度貸して!」
「ああ、じゃあ明日持ってくる。一昨年のオンラインイベントのときの限定グッズも持ってるけど見るか?」
「見るっ! ちなみにどんな……」
「家族四人で晩御飯を食べてる夜原先輩の複製原画」
私はその場で崩れ落ちた。
「なにそれなにやばいそんなの想像するだけで泣きそうだよ一生幸せになれ先輩!」
「時計の眠り編やばかったよなまじで。俺、あれは作中屈指の神回だと思う」
「いやほれは本当にそう。『だから俺は幸せになるんだ』っ……!」
「いいよなそこ!? あんなの夜原先輩推しじゃなくても泣くだろ!」
「しかもそのあと日暮先輩が自分の水晶を夜原先輩に渡すっていう……え、天才過ぎるよね!? なんであんな神展開思い付くんだ夕墨先生一生推す!」
「左に同じ!」
私たちはガッと勢いよく握手した。
前言撤回。
学校一の不良と二人っきりの登校だろうが、好きな作家が一緒なら何時間でも語れる!
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