02
いつも通りの夜空を見上げ、唖然として呟く。
「ダイヤモンド……?」
「登場人物の名前か?」
私は反射的に、ベランダから上半身を乗り出した。
声が聞こえた方を探すけど、暗闇しか――違う、影に紛れて誰かいる。
ベランダのすぐ下、黒いパーカーに黒いズボン。
黒い前髪がさらりと揺れて、その隙間から金色に煌めく瞳が覗く。
「……っ」
思わず悲鳴を上げそうになって、喉の奥で押し殺した。
金色の瞳と中学生数人相手に渡り合った大喧嘩の噂、不良って言われて、みんなに避けられてるクラスメート。
実際私も、同じクラスになって一週間近いけど話したことないし、声を聞いたことすらほとんどない。切れ長の瞳はいつも冷え切ってて、無表情で、人を近寄らせないオーラがある。
さっき「登場人物の名前か?」って言った? 質問……だったら、答えた方がいいよね。
怖すぎて無視できないと思うのに、体は固まってしまって、口がまったく動かない。
何も言えない私をじっと見据えて、月垣くんはすっと瞳を細めた。
「お前が、今回の『小説家』か」
「……はいっ?」
「名前は落葉灯露唯で合ってるか?」
「えっ……えっと、合って、ます……?」
な、名前覚えられてるの!? 私何かした!?
動揺する私を横目に、月垣くんはたんっと身軽に跳ぶ。……跳ぶ?
「まず、さっきのはお前が創ったキャラだよな」
「ひわああっ!」
月垣くんは軽く飛び跳ねたと思ったら、ベランダの手すりにひらりと飛び乗ってきた。
手すりに着地した月垣くんと思いっきり目が合ってしまい、私はとっさにベランダの対極まで退く。退いた後で、あ、ヤバい怒らせたかもと思ったけど、時すでに遅しだ。
でも、月垣くんはかすかに眉をひそめただけで、殴り掛かってきたりはしなかった。
「ああ、悪い。驚かせたか?」
「いっ、いやっ、全然……!」
口では否定するものの、学校一の不良がいきなり自分の家のベランダに飛び乗ってきた恐怖で声が思いっきり裏返る。
「まあ、普通の小六は二階のベランダまで跳んだりしないか。じゃ、俺は跳ぶって覚えといてくれ」
「いやっ……え?」
なんだ、そのこれからもうちのベランダに来るみたいな言い方。
「わ……私、何かしましたか……?」
「それを説明するのに、下からだと距離がありすぎるから跳んだ。確認するけど、さっきのキャラクター、お前が考えたってことで間違いないよな?」
「えっ……えっと、はい……」
「ならよかった。ここに資料があるから、とりあえず読んでくれ。さっきの現象とこれからのことについて、説明が書いてある」
月垣くんはどこから出したのかクリップでとめた紙の束を手に持って、私に近寄り、差し出した。
おそるおそる受け取って、おそるおそる目を通す。
印刷された内容を簡単にまとめると――
この世界には、『小説家』と『編集者』と呼ばれる存在がいるらしい。
『小説家』は文字通り小説を書く人間だけど、普通の小説家と違うところがある。小説を書いた時、「これが本当になればいいのに」と『小説家』が願うと、その人が書いた世界が具現化するそうだ。
一見夢みたいだけど、実は『小説家』の世界が現実に生まれた瞬間に、そこにはもうひとつ生まれるものがある。
デッドライン――意味は、〆切。
ここでの意味は、文字通り「死の一線」。デッドラインを越えても完成しなかった物語は消滅し、誰にも届かなくなる。
『小説家』は『編集者』と協力して、デッドラインまでに小説を完成させなければならない。
ただし、『小説家』の「本当にあったらいいな」という心からの願いを源にして具現化している世界は、『小説家』に存在を望まれなくなった場合、大雨や地震などの天変地異を伴い、デッドラインの前であっても崩壊する。
「……この、『小説家』っていうのが……私……?」
「そうだ。それで、派遣された『編集者』が俺だ」
「デッドラインを越えた物語が、消滅して誰にも届かないっていうのはどういうこと? 現実世界から消えるの?」
「いや。小説の存在そのものが、なかったことになる。作者とか読者とか、小説に関わった人全員の記憶から消えて、データも完全になくなるんだ。そして今後、同じ作品が思いつかれることも、思い出されることもない」
ちなみに、と月垣くんは、これまたどこから出したのか、いつの間にか手に持っていた手帳をぱらぱらとめくる。
「これは『編集者』全員に給付される、デッドラインがわかるスケジュール帳なんだが……これによると、今回のデッドラインは五日後だ」
月垣くんが手帳をパタンと閉じて、怖いくらいに澄んだ金色で私を見据えた。
「書けるか?」
短い言葉。それが、私の心臓に突き刺さった。
私はぐっと唾をのんで、細い声で答える。
「……かけ、ないです……」
余計なものなんて何もない、真っすぐすぎる瞳を見ていられなくて、視線を外して俯く。
「……ごめん。私、もう、小説書けなくて……」
「怪我でもしてるのか? なら、編集部の」
「ううん、違う。でも、書かないって決めてるから無理。デッドラインまで、なにもしないで待つよ」
「は?」
月垣くんを纏う空気が一変した。
一瞬別人に聞こえるほど低い声に、びくっと体が震える。
静かすぎる、あまりに冷え切った声がした。
「……本当にいいのか。小説って言うのは、小説家の魂をそのまま移したものじゃないのか? デッドラインを越えたら、お前が書いた小説は本当に完全に消えて、お前も俺も含めて、二度と誰も読めなくなるんだぞ。具現化してるってことは、お前が現実になってほしいって願ったってことだ。そのくらい大切な世界を、そんなに簡単に手放せるのか?」
ずきっと、胸が傷んだ。
だけど月垣くんに見えないように、服の陰でぐっと裾を握りしめる。
だって。
これでいいんだ。
これで、いいんだよ。
「もし本当に、私の中から消えてくれるなら……むしろ、そうしてほしい」
肌を貫くほどの殺気が、一瞬空気を切り裂いた。
心臓がぞっと冷えて、目を見開く。
「そうか」
感情のない声が……本当に、怒りも悲しみもなんにもない声が、その場に落ちる。
「なら、いい」
次の瞬間月垣くんはひらりと体を翻して、ベランダから姿を消していた。
「――っ」
その場にずるずるしゃがみ込み、何度も深呼吸する。
大丈夫。
大丈夫、平気だよ。
これで全部、リセットできるなら。
忘れられるなら。
きっとそれが、一番いいから。
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