八 満月、そして夜の星 ②

 僕らは電球を見あげる。丸いそれはその一つ一つがまるで太陽のように明るく光って、少しすれば目がチカチカとしてきた。

「あんまし見るもんじゃねえよ、馬鹿」

 それもそうだ。目を閉じて揉んでいるといくつもの光の残像が瞼の裏でちらちら踊る。座席にもたれかかっているうちに、またいつもの眠気がやってきて僕はそれに逆らうことなく眠りに落ちた。


 扉の開く音で目が覚めた。車内は薄暗く、ほんのりとした電球の明かりがぽつぽつと残っている。星たちはもう降りたのだろうか。ぼんやりした頭でそう思っていると、墨雪はまだ席に着いたままだった。いつもなら「行くぞ」なんて言ってさっさと立ち上がってしまうと思ったのだが。

「起きたか」

「うん。待たせたかな」

「別に。行くぞ」

 少し引っ掛かるが、やっぱりいつもの墨雪だった。葉詰も薄灰色をした書生服を直しながらついてくる。

 ホームに降りると、やっぱり薄暗い蛍光灯がいくつかぶら下がっているばかり、寂し気なところだった。こんな薄暗いところでまともに歩けるのか不安になったが、ホームの階段を下りて駅舎に向かう道、空を見あげると僕は思わずあっと声をあげた。

 空に広がるのは一面の星、星、星。まるですべてが一等星であるかのように、いや、その何倍もの光を伴って輝いている。足もとを見てみると自分を中心に影がいくつも広がっていた。

「星って、こんなに光るものなんだね」

 葉詰は手をひらひらとさせて、星から射す光と戯れているようだった。

「あれ、月はないのか?」

「月なら後で見れるって、置いてくぞお前ら」

 墨雪はもう駅舎の所まで行って扉に手をかけている。扉はすんなりとからから音をたてて開いた。

「あ、いいな。ここの戸、軽い」

「あんまし使う奴がいねえからな」

「ねえ墨雪、ここは夜光街……街なんだろう? 天の国や湯滝町のように人が大勢いるのかい?」

「いんや、期待させちまったら悪いけどよ。……まあ行きゃわかるか」

 蛍光色の服がまぶしい墨雪はそのまま進んでいく。僕らも慌てて後をついて行くと、そこには天の国のように「ようこそ夜光街へ」と書かれたゲートがあった。

 しかし、そのゲートをくぐってみても、人の気配がしない。中は商店街のようにいくつもの店が建ち並んでいた。けれどそのどれも、店主らしき人も、客のような人も見当たらない。たださんさんと星の光が降り注ぐ街は一種異様な光景に思えた。

「誰もいない……のか?」

「おう。……ここはよ、神様が作った場所なんだ」

「ヨキソラノアオシ様かい?」

「あのヒトは日の射す晴れた空の神様だからな。そこだと誰も見てくれないって星どもがせがむんで夜を作ったのよ。それで星はここに人が来るたんびに一緒に列車に乗って来て『俺を見てくれ!』って光るんだよ」

「わざわざ街の形をしているのは?」

「聞いたところによると死後の世界とはまた別の場所に本物の夜光街があるんだとさ。ここはそのレプリカなんだと」

「じゃあ鬼の坂月とかは? 他の場所も作ったのか?」

「あれはなんつーか……死後の世界っていう同じ場所にあるものを線路でつないだだけっつーか……とにかく俺もよくわからん」

 そんなことより店行ってみよーぜ、などと言いながらその辺の店へふらりと入る墨雪。店。誰もいないのに。とにかく僕らは彼のあとを追いかけるしかない。

 店に入ってみると、僕らを追いかけて一緒に来た小さな星たちがくるくると天井で回っていた。中にはやっぱり誰もいなく、ただ商品だけが沈黙を保ったまま整然と並んでいた。そこには色とりどりのガラスでできたガラスペン、万年筆。それらのためのインク瓶などが星と電灯に照らされてきらきらと輝いている。

「これは……文房具屋さんかな?」

「おう、ここにしかないインクとかあるぜ。いろいろ見てみろよ」

 商品の札を見てみると「月の海色」「零した珈琲色」「雪の影色」など奇妙な品揃えが目を引く。葉詰はすっかり夢中になったようで、あれこれ手に取りながら光に透かして見ている。

「代金はその辺に置いときゃいいからよ。お前は何か見たいのあるのか?」

「ここって食べ物も売ってるのか?」

「売ってる売ってる。菓子か?」

「そうだな。それがいい」

「んじゃ行くか」

 葉詰に軽く声を掛けて店を出る。斜め向かいのあたりに菓子屋があるようだった。隣の青果店に並んでいたレモンも気になるが、いまはとりあえずいいだろう。

 店の中には小さな包みに入った様々なお菓子が並んでいる。「金星平糖」はきらきら光る金平糖のようだ。「光り星のビスケット」は真ん中に青に金に輝く星の埋まったもので、「夜光蜜飴」はビー玉のような飴の中でとろりと蜜が揺れるのが見えた。どれもこれも天の国ですら見たことのないものばかりだ。

「墨雪は食べたことあるのか」

「ある。うまいぞ」

 この世界に来てから不味いものなんて食べたことはないが。期待が高まる。とりあえず気になった三つをいくつか手に取り袋に詰め、代金を置く(湯滝町に留まるためにお金をだいぶ使ってしまったので墨雪に少し借りた)。置いたお金はすっと溶けるように消えていった。

「お前は何も買わなくっていいのか」

「俺はいいや、もう」

 なんだか少し気になる言い回しだ。けれど墨雪は聞いたところで答えないだろう。僕は袋から金星平糖を取り出し彼に差し出した。

「うまいんだろ。食べよう」

 墨雪はちょっと驚いたような顔をして、「ありがとさん」と言って受け取った。金星平糖は口に含んだ瞬間パチンと弾けて目から星のような明かりがこぼれ出た。そしてかすかな甘みを残して溶けていった。

「ん、うまい」


 店から出てきたところでちょうど葉詰と会った。

「葉詰、いいの見つかったか?」

「ああ笹目。『星を溶かした夜空色』って言うのがあってね、『明け方のカラスの羽色』のガラスペンと一緒に買ったよ。君は?」

「面白いお菓子があったよ。葉詰の分もあるから帰ったら食べよう」

 その時、影が動き始めた。初めは僕らが動いているからかと思ったが、明らかに影の動きがそうではないと告げている。空を見てみると、星たちがある一点を目指して集まっていくのが見えた。

「なんだあれ、なにがおきるんだ?」

「おー始まったな。いいもん見れるぞ」

 星たちがどんどん集まって、光の玉が大きくなる。煌々とあたりを照らし、星明りでいくつも分かれていた僕らの影も一つにまとまっていく。

「満月だ」

 葉詰が呟いた。そうだ。あれは満月だ。無数の星たちが集まってできた大きな月だ。墨雪が後で見れるって言っていたのはこれだったのか。

「ああやって星が集まってここの満月になるんだよ。んで、あんまり集まりすぎると」

 そう言っているうちに満月はぶるぶると震えだした。そしてすとん、と商店街の向こう側へ落ちていった。

 きゃーっと声のような音をたてて星の波がこちらへ向かってくる。きゃらきゃらと星たちが僕らの足をくすぐって流れていき、あたりが光に包まれる。あまりのまばゆさに目がくらんで足元がおぼつかなくなる。

「わ、わわ。ころぶ、転ぶっ」

「笹目っ」

「大丈夫だって、ちょっと触ってくるだけだからよ」

 墨雪の言う通り、星はただ流れていくだけ。そこに留まっている星たちも僕らに何をするわけでもなく、勝手に慌てた僕はなんだか恥ずかしくなってしまった。

 星たちはまた空に昇っていく。またあの満月を作るのだろうか。

 と、墨雪が星のひとつを摘まんで口に入れた。ぎょっとして見ている僕らの目の前で、墨雪の体がほんのりと光りだす。そして徐々に踵が地面から離れ、爪先が浮き始めた。

「す、墨雪っ」

「なんだよ、体に悪いもんじゃねえって。お前らも食えよ」

 そうしている間にも光り続ける墨雪の体はふわりと浮き、どんどん上へと昇っていく。僕と葉詰は顔を見合わせて、もう自棄だと思って近くを漂う星を口に入れた。そうすると僕らの体も光りだし、体が軽くなっていく。

 これ本当に大丈夫なんだろうか。思っている間にも商店街はどんどん小さくなっていき、周りは星に囲まれていく。そして集まって集まってまた満月を作り、眩しさに目を開けていられなくなった途端、すとんと月が落ちた。一瞬内臓がひっくり返るかのような感覚があったけれど、あとは奇妙な安堵感と、ただただ楽しいという思いが体を満たしていた。

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