五 極卒、そして桜の川 ③
そこに見えたのは金色をした土だった。いや、土なのだろうか。ひと掴みしてみると細かい粒がさらさらと手の中からこぼれていく。
「これ、もしかして砂金か?」
「おう、見つけたか。ほらもっと歩くぞ」
墨雪は砂金には目もくれずどんどん歩き続ける。僕は置いて行かれないように急いでまた歩き始めた。葉詰も気にしているようだが黙ってついて行く。
進んでいくにつれて、花びらの合間から覗く砂金の割合が増えていく。水の音も近くなり、なんだかお酒の匂いもしてきた。もしかすると、もしかするかもしれない。
木々が少なくなっていき、地面も金色がむき出しになってきた。桜の花びらは相変わらず降り続けているが、地面に吸い込まれるように消えていった。桜色に輝く空に照らされて、金色の地面が甘くピンク色に光っている。
少し開けた所に出ると、水の音の正体がわかった。金色の小石や岩に囲まれて、水が湧き続けている。お酒の匂いが花びらと一緒にほんのりと香り、流れている川となっている水がお酒そのものであることを示している。
「これがここの名物、
「酒飲みには夢の国だな、ここは」
「この金って、全部本物なのかい?」
葉詰は足元の小石サイズの金塊を手に転がす。
「ここにあるのは全部本物だよ。言っとくけど価値はあんまりねえぞ」
「まあ確かに、これだけあればねえ」
たとえ偽物だったとしても、凄く綺麗だ。綺麗な物はそれだけで価値があると思う。
「持って帰ってもいいのか」
「おう、いいぞ。桜は持って帰れねえからな。小さい奴を酒瓶にいれておくと酒がうまくなる。高くは売れねえがちったあカネになるぜ」
そのうち溶けてなくなるけどな。そう言って墨雪はリュックを下し、酒瓶を取り出す。僕らも背負っていた酒瓶の中に小さな金塊を入れ始めた。そして泉まで行き、瓶を沈めてお酒で満たす。一本一本がとんでもない重さになっていき、帰りが不安になってきた。墨雪はリュックのポケットからお猪口を取り出し、またお酒をちびちび飲み始めている。
「まだ飲むのか」
「あー、こりゃ必要だから飲んでんだよ。お前らも飲め」
理由を聞いても答えないだろう。川から直接お酒を手で掬って飲む。うん、おいしい。頭が段々ふわふわしてきて、気分が良くなる。桜もふわふわ落ちてくる。
「よーし、飲んだらこれ膨らませろ」
そう言って墨雪が取り出したのは風船だった。墨雪は黄色の風船を膨らまし始めている。僕も葉詰も、受け取ったそれに息を吹き込む。ふうーっと吹きこんで息継ぎ、青色の風船は膨らんでいく。
「あれ?」
風船がなんだか上の方に引っ張られる。違う、これは浮き始めているんだ。吹き込んでいるのはただの息なのに、ヘリウムでもいれたかのようにふわふわと浮いている。葉詰の緑色の風船も浮いているようだった。
「どうしたんだろうこれ」
「頭ん中のふわふわしたのが風船の中に移ったんだよ。これをリュックにつけて行けば荷物が軽くなる」
「これ一個で?」
「浮くんだなこれが」
墨雪は風船の口を縛り、糸でリュックにくくり付ける。僕らも同じようにするとなるほど、リュックが軽くなった。
「これで帰りも安心だな」
「おう、けどまだ帰んねえぞ」
「まだここで何かすることがあるのかい?」
墨雪ははあーっとため息をつき、僕らを指さす。
「何かすることがなきゃ居ちゃいけねえのかよ。泉があって酒が湧いてりゃ飲むだろ、川が流れてりゃ泳いでもいいだろ。なにしたっていいんだよ、どうせいつでも帰れるんだからな」
「天の国にはすぐに行けるのかい?」
「駅の看板見たろ。行き先が書いてありゃいつだって列車は来るんだよ。行きたいと思えばいつだって地獄に行けるぜ」
そう言って彼は川の方へ歩いていく。手足をぶらぶらさせて、ぐっと伸びをする。
「なにするんだ」
「俺は泳ぐぜ。文字通り浴びるように飲んでやる!」
「いいのかい? ここのお酒だって他に飲む人がいるんだろう?」
「だいたいは泉からしか汲まねえよ。あんま気にするやつもいねえな」
泉から少し離れた川にざんざかと入って行く墨雪。僕らは目を合わせて、笑ってそれに続いた。服が濡れるのもかまわずに。初めは酒をかけあう程度だったが、流れに身を任せているうちに足のつかなくなるところに出た。ふわふわとやらが体にもたまっているのだろう、沈むことはない。
「ああーっ! やっぱこれだよこれ!」
そう言って笑う墨雪の頭に大きな桃がぶつかった。もう一度言う。大きな桃がぶつかった。
「墨雪!?」
墨雪はぷっかり浮かんだまま何も言わず桃と流されていく。
「ごらん、笹目」
葉詰が墨雪を見ながら静かに言う。
「墨雪は桃太郎だったんだねえ」
「君はもうダメだ、そこにいて」
けらけらと高い声で笑う葉詰を置いて僕は必死になって墨雪を追って泳いだ。お酒を飲んで泳いじゃ行けないなんて言わないで欲しい。どうせ僕らは死んでいるんだ。関係ないだろう。
墨雪は流れの緩やかな場所で岩に引っ掛かっていた。桃も一緒だ。
「おい墨雪、大丈夫か?」
「おう、なんの問題もねえよ。おう」
よかった。彼の意識ははっきりしているようだった。
「なにがあった」
「桃だよ、おっきな桃が流れてきたんだ。それにぶつかったんだよ」
「マジか!」
墨雪は跳ねあがるように桃に飛びついた。彼が抱き着いてもまだ有り余る大きさだ。
「桃だ、本当に桃だ! ひっさしぶりだなあ! これ珍しいんだぞ」
「笹目ー、大丈夫かい」
葉詰が岸を歩いてやってきた。僕らも岸に上がる。大きな桃を持って。
「結構軽いな。なにが入ってるんだ?」
「何も入ってねえよ、ただの桃だ。けどな、これは桜の木になる桃なんだ。たまに上から降ってくる」
「上から?」
空を見てもただ桜色の世界が広がるばかり。このなかに桃が紛れていたとしても、気がつかないだろう。
「珍しいのかい?」
「ここまででかいのはな。生きてるやつが食えば寿命が延びる。らしい」
「すごいじゃないか!」
「ここじゃあただのうまい桃だけどな。本当にうまいぜ、持って帰って食おう」
「だいぶ流されたけど、戻るの大変だな」
「荷物ならそこにあるぜ」
墨雪の指さす方を見ると、僕らのリュックが三つ、風船を括り付けたまま近くに置いてあった。泳いで遊んだり、墨雪を追ったりしてずいぶん川を下ったはずなのに、ここはやっぱり不思議な世界だ。
軽いリュックを背負い、大きな桃を墨雪と抱える。ずいぶん土産ができてしまった。桜の花びらは相変わらず降り注ぎ、世界を染めている。
「綺麗な世界だ……」
「ここにしばらくいるのもいいかもね」
「それでもなんだかんだで天の国にもどるんだよ。俺らはな」
そういう墨雪の声はなんだか寂しく聞こえた。少しだけ、そんな気がした。
駅に着くころにはすっかり疲れてしまった。あまり重さを感じないとはいえ、酒瓶の詰まったリュックを背負い、大きな桃を抱えて歩くのは結構大変だ。それでも立ち止まって桜の香りに包まれると、なんだか疲れが取れてくる感じがしてくる。
看板の右側には相変わらず何も書かれていない。ただ天の国へと戻る道が示されていた。
「桜の国もこれでさよならか」
「でもまた来ることができるんだろう?」
「おう、駅に行き先が書かれればな。いっつもなら行きたい時に行けるのは地獄と天の国くらいだぜ」
「墨雪は地獄に行ったことないんだっけか?」
「ねえな。行きたいとも思わねえし」
話しているうちに列車が来た。来たときと同じ赤い色の列車は目の前で停まり、空気の抜ける音とともに扉が開く。桃とリュックはボックス席に置き、僕らは横一列になった席に並んで座る。席に着いたとたん欠伸が出た。
「なんだか寝てばっかりな気がするな」
「そんなもんだろ。寝てたって駅通りすぎることはねえよ。寝たい時は寝るのが一番だ」
そう言って墨雪はまた酒瓶を傾け、お猪口でちびちび飲み始めた。飲むペースが速すぎるだろう。
「せっかく汲んできたのに、それじゃあすぐになくなるだろ」
「せっかく汲んだのに飲まなきゃ損だろ」
そういうものなのだろうか。
隣の葉詰はもう眠っていた。僕は窓から桜の花びらが舞うのを見ている。ひらひらひらひらと落ちてくるそれが途切れる場所が来るか見てみようとしたのだけれど、やっぱり眠気には勝てずにそのまま眠ってしまった。
墨雪に起こされて、天の国で降りる。僕らの酒気がぬけるのと同じように、風船もすっかりしぼんでしまい、ただただ満杯の酒瓶が詰まったリュックサックを抱えて必死に長屋へと歩くことになった。
桃は僕らと泥井さんで毎日食べて過ごした。そのまま生で、ゼリーに入れて、お酒に漬けて、タルトにケーキに生ハムとサラダに。それでも食べ飽きないうちになくなってしまった。
また食べたいと思っても、そう頻繁に「鬼の坂月」に行けるわけでもなく、金を沈めた酒を飲みながら、僕はまた笹目木塔子のことを考えるのであった。
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