五 極卒、そして桜の川 ①

「おう、お前ら酒飲めるか?」

「は?」

「ん?」

 笹目木塔子を探すために出かけようとした僕と葉詰を、墨雪が呼び止めた。

「飲めるように見えるのかよ。僕未成年なんだけど」

「私も成人してないね」

「そんなん関係ねえよ、俺はばりばり飲んでたし。それにもう死んでんだぞ」

 確かに。ここは死後の世界、天の国。生きていた頃の法律が適応されるわけではないのか。それにしたって僕はここに来てからお酒を飲んだことは無いし、生きていた頃にも飲んだ記憶はない。単純に飲んだことがないのか、失った記憶の一部なのか、わからないけれど。

 葉詰の方を見てみるが彼も首を横にふる。揺れる髪に、開きっぱなしの玄関から入ってきた星がまとわりついてきらきら光る。それを軽く払って指先で遊ばせながら、葉詰は墨雪に聞く。

「何か飲むあてがあるのかい?」

「おう、お前らも絶対行きたいと思うぜ。あのな、駅の看板に行き先が書かれたんだよ」

「あの看板に!?」

 駅の看板。ここ、天の国にある駅のホームにある看板は、行き先が空いている場所がある。看板に向かって左は「地獄」そして右は空白になっており、そこに行き先が書かれたときにだけ、天の国を出てそこへ行けるのだと墨雪は言っていた。

 そう、ここ以外のどこかへ。笹目木塔子がいるかもしれない場所へ。

「行けるのか! どこへ!」

「落ち着けよ、急がなくったって列車はいきたい奴が来たら来るから。ちっとは楽しめよ」

「僕は探さなきゃいけない人がいるんだよ! 知ってるだろ!」

 僕は墨雪に詰めよる。

「知ってるよ」

 墨雪は静かに答えた。

「それがどうしたんだよ。探してどうなるんだよ。記憶が戻るかもしれない? 戻らねえかも知れねえじゃねえか。いるかもしれない? いないかもしれねえじゃねえか。時間がないのかよ。ないのは余裕だろ。もう死んでんだぞ俺ら、時間ならいくらでもあるじゃねえか。楽しめよ。ここは天の国だぜ、縁がありゃなんだって引き合うんだ。どんだけ時間かけてもな」

 とん、と胸を指で押される。思わず一歩下がってしまった。

「お前とお前の探してるやつは絶対に会う。そんとき言ってやれよ、お前を探して散々苦労したぜってな。そんとき笑えよ。笑ってやれよ」

 墨雪はガリガリと頭を掻く。はあーっとため息をつき、ぽつりと漏らすように言った。

「笑えるように楽しめよ。葉詰だって息が詰まるだろ」

 言葉が出なかった。

 僕は結局、自分のことばかり考えていて、葉詰に寄りかかってばかりで、彼を振り回している。

「笹目、私は」

「いや、いいんだ葉詰。墨雪の言うとおりだ。僕、自分のことばっかりだ。そうだよな、僕が君に支えられてばかりいる。君は僕を支えだと言ってくれたのに、僕はまったく成長してない」

「笹目、私は君が君であることに支えられているんだ。君がもし変わりたいと言うのであれば、それは君の速度でいいんだ。悩んでいいし、迷っていい。頼られるのは嫌いじゃないよ」

「お前そうやってすぐ甘やかすな」

「甘やかしてるんじゃないよ、私の方が甘えているんだ」

「葉詰……。でもやっぱり、君に頼りきりなのはよくないと、自分でも思うよ。僕は僕の気持ちばかりで先走って、迷って、頼ってばかりで。葉詰」

「なんだい」

「僕、楽しんでみる。天の国で暮らすことを、笹目木塔子を探すことを。そして見つけたら言うんだ。すっごくいい奴らに助けてもらったんだって。君と、墨雪を紹介したい。笑って」

 ははっ。もうなんだか笑えて来た。笹目木塔子もいい迷惑だろう。勝手に一緒に死なれて、勝手に探されて、勝手に友達を紹介される。瞼の裏で、長い長い髪が揺れている。


 彼女はどんな顔をしていたっけ。


  +++++


「それで、駅に行けばいいんだね」

「おう。駅に行って待ってりゃそのうち列車が来るからよ」

 がちゃがちゃと空の酒瓶が詰まったリュックを背負い、僕らはゲートをくぐる。墨雪に持たされたが、重い。帰りはさらに重くなっていくのだと思うとなんだかもううんざりとしてきた。仰ぎ見ればゲートには相変わらず「ようこそ天の国へ」と書かれている。駅舎へと続く道の両端は、相変わらず草が生い茂っていて、どこまでも緑が続いていた。雨降ら師が来たとき以外、天の国に花は咲かないのだろうか。だとしたら、少し寂しい所だなと思った。

「列車か……。僕、列車に轢かれたんだよな……」

「マジか。その笹目木塔子とやらと一緒にか」

「うん。だから来てると思って探してるんだ」

「そっか。まあ地獄に落ちてなきゃたぶんここに来るだろ。それか……まあいいか」

「なんだよ、気になるな」

 珍しく言葉を濁す墨雪に僕は口をとがらせる。尖らせたところで表面上はいつものへのへのもへじにしか見えないだろうけど。

「墨雪はどうして死んだんだよ」

「落ちた」

「どこから? どうして?」

「知らねえ、忘れた」

「……もしかして話したくないことだったか?」

「さあな」

 やっぱり、話したくないことだったのかもしれない。もしくは本当に忘れてしまったか。そう言えば彼はスマートフォンを知らなかった。携帯電話自体は知っているみたいだったが。彼はいつからここにいるんだろう。

「私も列車に轢かれたんだよ」

「えっ葉詰もか?」

「うん、確かそうだったと思う」

「うわあ、列車に轢かれた奴が二人もいんのか。……なんかヤだな。お前らもっとあっち行けよ」

 墨雪が片手でしっしと追い払うような仕草をしてくるのでなんだかイラっと来た。うつるようなものでもあるまいし、笹目木塔子に話すときはこいつはサイテーなやつだと言っておこう。

 駅舎を遠回りせずに、がたつく戸を墨雪は力づくでこじ開ける。相変わらず薄暗く、がらんとしている。

「誰もいないな」

「ここ離れる奴なんてめったにいねえよ。俺らみたいに昔のこと覚えてるのなんてそんないねえからな。それ以外の奴らは生活してるところからはあんま離れたがらねえんだ。無意識なのかねえ」

「そういうものなのかい?」

「そういうもんだな」

 駅のホーム、塗装のはげかけた青いベンチには座らず、僕らは立って列車を待つ。空白だった看板の左側には「鬼の坂月」と書かれていた。どんな所か聞こうと思ったが、墨雪は答えないだろう。楽しみにとっておくことにした。

 駅舎の向こうを見てみる。駅と天の国のゲートまではそう離れていないはずだが、どれだけ遠くを見てもただ雑草に囲まれた道が長々と続いているように見えた。

「いま何時だろ」

 ポケットから時計を取り出して見ると、八時四十五分を指している。

「あ、来たよ」

 葉詰がすっと細い指で遠くを指す。看板に地獄と書かれた方から、赤い列車がやってくるのが小さく見えた。耳をすませば、タタンタタンと音をたてているのが聞こえる。列車を見ても、あまり嫌な感じはしなかった。もしかしたら気分が悪くなって、乗ることすらできずにいると思っていたから少し拍子抜けした。そう思っているうちに列車はゆっくりと目の前で停まり、扉が開く。中には誰もいなく、ここに来たときを思いだした。

「? どうした、乗れよ」

 気がつけば墨雪はすでに乗り込んでおり、葉詰も扉の近くで僕を待っていた。

「ああ、悪いな」

 僕が乗り込むと、少しして扉が閉まった。この列車に運転手はいるのだろうか。運転室の方が気になったが、ボックス席で葉詰が手招きしているのでそっちの方に行った。隣に座り、リュックを下におろす。

「はあー。墨雪、帰りはこれに酒入れてくんのか? 自信ないぞ」

「めったに行けねえからな、お前らの分もとってくるんだから我慢しろ我慢」

「飲んだことないって言ってんのに……」

「まあ彼にも考えがあるようだし、楽しみにしておこう」

 そう言う葉詰も首を鳴らし、疲れが溜まっているようだった。

 タタンタタン、タタンタタン。列車が走る。窓の外を見て見ると、いつの間にかあたり一面水の世界になっていた。

「あれっ景色変わったな」

「ああ、天の国に来る前にも見た景色だね。いつの間に変わったんだろう」

「知らねえ。いつも気がついたら変わってるな」

「ここでも降りてみたいね。ウユニ塩湖みたいだ」

「あーなんか見た覚えあるような……。まあ、そのうち海にも行けるだろ」

 しばらく三人、窓から青い世界を眺める。空には雲もなく、空と水との境があいまいで、進んでいるのかもわからなくなっていくようだった。

 タタンタタン、タタンタタン。

 タタンタタン、タタンタタン。

 規則正しい列車の音を聞いているうちにだんだん眠くなってきた。

「僕少し寝る」

「おう、寝とけ。寝過ごすってことはねえからな」

「私も少し……」

 そこまで聞いて、僕の意識は落ちた。

 タタンタタン、タタンタタン。

 タタンタタン、タタンタタン。


「さめ……笹目、着いたぞ」

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