三 雑貨、そして器の神 ③

「笹目。大丈夫かい?」

「うん……。大丈夫。忘れていたことを思い出した」

「忘れていたこと?」

「笹目木塔子のこと。なんで忘れていたんだろう。早く探さなくちゃ……」

「笹目。いまは忙しい時期なんだよ。大切なことでも、少し後に回さなくちゃならないときもある。笹目木塔子さんは私も一緒に探す。そのために、ここでの生活をしっかり成り立たせるために、いまは準備のときなんだよ」

「準備」

「おう、いいんじゃね。なにするにしたってよお、全部そろってから考えようぜ。探し物? 探し人? 俺も手伝うからよ」

「……ありがとう、葉詰、墨雪。……なんだか頼ってばっかりだ」

「いいんじゃね、それで」

 鼻の奥がつんと熱くなるのを感じた。ここにきて僕は、随分いい友人に恵まれたようだ。

「うん。よし。それじゃあ次はなにを買おっか」

「食器とかはどうよ? 自分の茶碗と箸。こりゃ日本の魂だぜ」

「魂がどーたらは知らないけど、食器っているか? 満腹亭があるだろ」

「ずっとうどんとそば食ってるわけにはいかないだろ。そういうヤツもいるけどよ。」

「たしかに、そうだね。あの長屋には台所はあるのかな」

「あるよ。白米だったらいつでも炊けてるぜ。泥井さんが用意してくれんだ。本格中華とかいわれりゃ無理だけどよ、普通に飯作るくらいなら問題ねえな。食器棚もあるし冷蔵庫もでかいのあるしよ」

「それじゃあ食器を見ようか。どこかな」

「こっちだこっち」

 墨雪について歩くとそこの棚には茶碗やお椀がずらりと並んでいた。それぞれの段に木製、陶器製、プラスチック製。いろいろ揃っている。下の段には箸が何膳も並んでいた。

「たくさんあるね」

「バスタオルは二色しかなかったのにな」

 そういえばフェイスタオルと石鹸も買わなくては。風呂用品はどれだけあってもいいというのが私見だ。

 葉詰は陶器の茶碗を見比べていた。白地に青色のペンギンが描かれている物と、象が描かれている物。ずいぶんと真剣だ。

「動物が好きなのか?」

「うん、それもあるし、ぱっと見で誰のかすぐ分かったらいいかなって」

「なるほど」

「俺のは自分の名前書いてあるから間違えんなよ」

「わかったわかった」

 青と白の縞模様の茶碗を手に取れば、「そりゃ泥井さんと被るぞ」と墨雪が言う。そうか、僕の好みも大事だけれど、わかりやすさも必要か。

「あっ」

 葉詰がいきなり声をあげる。どうした、と彼の方を見たらその手の中で一つの茶碗がぶるぶると震えていた。葉詰はそれを抑えきれず、いまにもとり落としそうになっている。

「わ、落とす、落とすよっ」

「あー、そりゃ平気だ。投げちまえ」

「投げろって……あっ」

 そうこう言っている間に茶碗は葉詰の手を離れ、地面へと落ちていく。と、思ったとたんそれは宙でくるくると回り、ことんと音をたてて着地した。

「なんだ、その茶碗?」

「生きてんだろ」

「え?」

 茶碗はしばらくそのままでいたが突然ぴょんっと飛び上がり、また着地したと思ったらそこにはか細い棒の方なものがまるで手足であるかのように生えていた。

その棒のような手足を振るい、たったかたったかと駆け足のような勢いで棚へ戻っていく茶碗。僕と葉詰は呆然と見ていることしかできなかった。

「なんだ……これ……」

「だから、生きてんだって。付喪神だろ」

「付喪神……! そんなものまでいるのかい」

「なんか聞いたことあるな」

「長い年月使われた器物に魂が宿った、妖怪だよ」

「お前の時計だって付喪神みたいなもんだろ」

 時計。僕のポケットの中にあるこの時計も、付喪神?

「これって誰かが使ってたってことか?」

「知らねえ。俺もその辺に落ちてるの拾ったり貰ったり、こういう店で買ったりするけどよ、拾ったから中古、買ったから新品なんてわけじゃないんだわ。なーんか誰か使ってたなってのはわかったりすることもあるけどよ。でも誰かが言ってたな、こうやって動いてるやつはだいたい付喪神だと思うぜ、って」

「まあ、見たら信じない訳にはいかないよね。墨雪、この場合私は拒絶されたのかな?」

「いや、単純にくすぐったかったかなんかだろ。本島に嫌だったら手に取った瞬間逃げると思うぜ。つーか逃げられた」

 あんときゃ痛かったなー、なんて言いながら頭を掻く墨雪。僕はと言えば、いま自分が身につけている物が誰かが使っていたかもしれないなんてことを考えて少しぞっとした。誰かが使っていたものが、自分にあんなにも執着しているのだ。怖がらない方がおかしい。

「まあ別に使い古しって言ったって汚れてるわけでもねえし、誰かに大事にされてたからここに、天の国に来たって考えりゃ悪いもんじゃねえよ。ここは悪い所じゃねえからな」

「そうだね……。そういうのを手に取ったら、ご縁があったと思って大切にするしかないだろうね。笹目、君の時計も縁あってのものだ。そう邪険にするものじゃないよ」

 葉詰は僕の思いを見抜いているようだった。葉詰から見た僕は何でも筒抜けで、それがなんだか恥ずかしい気もする。そんな気持ちを隠すように、立ち並ぶ茶碗たちを眺める。その時、ふと目についたものがあった。白地に黒い猫の柄が描かれた陶器の茶碗。うんと伸びた格好をして気持ちよさそうだ。頭の中に道中何度も足元を掬うような仕草をしていた葉詰が思い浮かぶ。

「葉詰、猫は好きか?」

「うん、好きだよ。あ、その茶碗いいね」

「君にどうかなって思ってさ、これにしろよ」

「いいのかい? ……うん、いいね。これにしよう」

「そっか」

 僕は結局、青地に白い斑のついた茶碗を手にした。漆塗りのお椀も選び、木でできた箸を選ぶ。この時もまた、どうしても箸置きから離れない箸だの、てってこと走り出すお椀に翻弄された。でも。

「こうしてみると楽しいな」

「そうだね。けれどまあ必需品は揃えることができたし、そろそろ会計に進もうか」

 墨雪は店の隅の方で大きな信楽焼の狸を見ながらぶつぶつと何かつぶやいていた。

「……買うか……いや、たぬき……いるか? いやいるだろ……でも……」

「墨雪、それ買うのか?」

「んー、悩み中。お前らはどうした? 全部あったか?」

「なんとかね、必要なものは揃ったかな。会計を頼みたいんだけれど」

「おう、わかった。奥行こうぜ」

 店主は大きな体を丸めてガラス細工の白鳥を磨いていた。僕らに気がつくとのっそり立ちあがり、古いレジスターの方へ向かう。

 それにしても結構たくさん選んでしまった。衣類、食器、風呂用具。籠の中はいっぱいだ。葉詰の方もそれなりの量だ。墨雪に払ってもらうにしても、現状、僕に返しきれるのだろうか。店主が商品を見ていってぱっぱと値段を打ち込んでいくのを見て不安になる。

 ……? 打鍵音が少なくないか?

「はい、百二十八円です」

「え」

 店主に告げられた値段に思考が停止する。ひゃくにじゅうはちえん? 一品の値段ではなくて?

 困惑する僕の様子を見たのか、大柄な店主は肩をすくめて話しかけてくる。

「別に、お客さん方に心配されるもんじゃありやせんや。俺はここに立ってるだけですからね。初めに店があって、勝手に物が集まって、人が物を手にするのが好きなやつが立ってる。俺も、俺の前も、その前も。金を取るのは俺も欲しいモンがあって、その為に貯めてるからにすぎやせん」

「前も、その前も?」

「ここに立ってるのに飽きたり、他に目的ができたりするとみんなどっか行っちまうんだよ。こいつだって金が貯まったらどっか行くぜ」

 墨雪が店主を指さしながら言う。葉詰はおずおずといった風に口を開いた。

「でも、それにしたってこの値段じゃ貯まるものも貯まらないでしょう。もう少し取ってもいいんじゃありませんか?」

「なんだっていいんですよ。金持ってる客なんてそういやしませんし、俺は好きでここに立ってんですよ」

 そう言って店主は頭を掻いて笑って見せた。

「いい商売ですよ。人と器の神との縁をつなぐ。俺はお客さんが笑って帰るのを見れりゃあ、それで満足でさ」


  +++++


 墨雪は結局、信楽焼の狸を買わなかった。「縁があったらまた会うだろ」そういって狸の頭を撫でて店を出ていった。

 僕は新しい服に着替え、長屋の台所で食器棚に並ぶ自分たちの茶碗を眺める。僕の食器にも器の神とやらが宿っているのだろうか。白い斑をくすぐってみるが、なんの反応もない。なんだか恥ずかしくなってやめた。誰も見ていなくてよかった。

 隣には葉詰の食器が置いてある。黒い猫はくるりと丸く眠っていて、ただの染みのようにも見えた。

「うん?」

 おかしい、店で見た時には伸びをした格好だったはず。ぐっと背をそらし、ぴんと伸ばした前足が印象に残っている。恐る恐る手を伸ばし、眠る黒猫に触れてみる。つるりとした陶器の質感だけがかえってきて、もしかしたら気のせいかもしれないと思い始める。

「笹目、どうしたんだい」

 葉詰がやってきて話しかけてきた。ちょっと食器棚からどいて彼の茶碗を指さす。

「この茶碗の猫、なんか形違わないか?」

「あれ、そうだね。違うもの買っちゃったかな。それとも付喪神?」

 葉詰もつついてみるが猫に変わった様子はない。手に取り、眺めまわし、またつつく。一向に反応が返ってこないので、やはり違うものだったかと思い始めた。

途端、茶碗の黒猫がくあ、とあくびした。

僕と葉詰は顔を見合わせる。猫は前足を伸ばし、しばらく口をむにゃむにゃと動かしたと思うと、また丸くなって眠りはじめた。

「まったく、猫というものは気まぐれだね」

 そう言って葉詰はくすくす笑う。震える肩に合わせて髪がさらさらと揺れた。

「笹目がこれを選んでくれてよかった」

 彼がそう言うので、僕はなんだか嬉しくなった。

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