二 時計、そして縁の話 ③

「? いま誰かなんか言った?」

「いや、何も言ってないよ」

 疑問に思いながらもまた適当に時計を選ぶ。ん? これは、さっきの時計だ。

「笹目、どうしたんだい」

「いや、ちょっと……。墨雪、蓋をちょっといいか?」

「おう」

 時計を缶の中にもどし、蓋をする。一秒、二秒、目を閉じながら蓋を開ける。手の感覚を頼りに、時計をひとつ、ふたつと探る。さっき戻した時計は上の方に置いた。缶の底まで行けば別の時計を手に取るだろう。

これだ。缶から手を引き上げ、目を開ける。けれどそこにあったのは、あの時計だった。

「は、なんだこれ……」

「あー……、こりゃお前、こいつに気に入られたな」

 手の中で、花のレリーフをもつ腕時計が静かに秒針を刻む。気に入られたって、時計に? 僕が?

 特に数字も振ってない、殺風景な文字盤。文字盤を囲む金属はピンクゴールドで、やはりベルトに刻まれた花が嫌でも目に付く。どう見ても女性ものだ。

「これはちょっと……、僕の趣味に合わない、な」

 ちっ、ちっ、ちっ、秒針の音が嫌に響く。

「いや、無理だろこれ。あと百回試したって百回同じヤツがくるぞ」

「いったいどういうことなんだい?」

 葉詰も身を乗り出して時計を覗き込む。

「あるんだよ、こういうヤツ。自分の持ち主を探してんのがよ。笹目、その時計にしとけ。つーかこの缶に戻したり、捨てたり埋めたりしても無駄だぞ。絶対そいつ、お前んとこに帰ってくるかんな」

 なんだかぞっとした。まるで怪談話の呪いの人形じゃないか。血の気が引いたのを察したのか、葉詰が肩に手をのせる。

「大丈夫かい、笹目」

「んなの気にすんなって。持ってたって悪いことにはならねえよ。むしろこういうのを持って命拾いしたって話もあるぜ」

「命拾いって……、ここでそんな目に合うことがあるのか?」

「さっき下に落っこちそうになったろーが。死んでるからって怪我しない訳じゃないしな」

 葉詰は僕の手にある時計をしげしげと観察する。とくに、ベルトに刻まれた花を見ているようだった。

「綺麗な模様だね……これは、なんの花かな」

「わかるか? 葉詰」

「だいぶ簡略化されているし、色も無いからね。何とも言えないよ。……ただ単に花をモチーフにしただけかも。マーガレットが近いかな? 多分」

「マーガレット?」

「白い花だよ、真ん中が黄色で……。んー、君も多分見たことがあると思うよ」

「花言葉とか、知ってるか?」

「『信頼』とか『真実の愛』だね」

 はあー、すごい。僕は感心してつい息を漏らす。

「葉詰って生きてた時のことなんでも覚えてるんじゃないか?」

「知識としてだよ、足し算が出来るのと同じ。思い出は別さ」

 そう言いながら葉詰は僕の時計に手をのばす。すると、ぱちんっと何かがはじけるような音がして、葉詰は慌てたように指をひっこめた。

「葉詰!」

「ははっなるほど、笹目は愛されてるね。あとはそう、『秘密の恋』とか」

 本当にマーガレットだったらね、言いながら葉詰はくすくす笑う。葉詰を拒絶するような時計なんて欲しくはなかったが、絶対にお前から離れないという墨雪の言葉を思いだす。僕は仕方なしに、その時計を持つことにした。腕に巻くのはなんだか嫌だったので(そもそも趣味に合わないので)、ポケットにねじ込んでおいた。

墨雪は時計の缶に蓋を閉め、部屋へと戻っていった。押し入れから出した荷物は、結局出しっぱなしになるんだろう。予想通り、墨雪は魔窟からまたすぐこっちに戻ってきた。

「おう、お前らよ。時計持ったんならちょっと面白いことしてみねえか?」

「面白いこと?」

「買い物はどうしたんだよ、墨雪」

 言いながら、僕は葉詰がこの提案に乗るのなら、やってみてもいいかもしれないと考える。自分の意志はどうした? なんて聞かないでほしい。僕が葉詰を支えにしているように、葉詰も僕を支えにしてると言ってくれた。僕らが離れるなんて考えたくもない。

「別にそんな時間かかんねえよ。ほら、一階行くぞ」

 墨雪は返事もきかずさっさと階段を下りていく。僕と葉詰はちょっと目を合わせたあと、すぐにそれを追いかけた。

「おう、お前ら靴とって来い。原っぱに出るぞ」

 スニーカーを片手に、首に時計をぶら下げたまま墨雪は僕らとすれ違う。やっぱり長屋の裏に行けるところがあるのか。下駄箱から靴を取り出し、長屋の裏口へと向かう。

 一階の廊下、そこには手すりの延長線に柵があった。なんだか猫みたいなシミがついている。そこを開けるとすぐ原っぱに出ることが出来た。相変わらず心地よい風が吹き、緑の海は銀の波をたてる。墨雪は手すりに寄っかかって立っていた。

「お前ら、ここまっすぐ歩いてこい」

 意味が分からない。僕らに何をさせたいんだこいつは。

「この先に何かあるのか?」

「いいからよ、時計見とけ。時間かけたくないんだったら振り返るなよ」

「笹目、一回言うとおりにしてみよう。私もこの先になにがあるか気になっていたからね。」

 僕らは一回、時計を見る。八時十分になったばっかりだ。そういえば、起きてから何も食べてないことに気がついた。とっとと済ませて、また満腹亭に行こう。

 ひらひらと手をふる墨雪を背に僕らは歩きだす。草は膝より下でふれあい、さわさわとした音をたてる。花は一つも咲いておらず、空一面の青と続く緑の平原のみが視野に広がっていた。墨雪は振り返るなと言っていた。なぜだろう。背後に意識をとられたのを察したのか、葉詰が声を掛けてくる

「笹目、墨雪に言われたろう。振り返るなって。単純にそうすると時間がかかるからと言っていたけれど、古今、そういう文句に逆らっていい結果が出たことはないよ」

「そうなのか?」

「『見るなのタブー』といってね、ギリシャ神話や日本神話なんかにあるんだよ。昔話の鶴の恩返しなんかが有名だね『決して覗いてはいけません』」

「……そんな御大層なもの、墨雪は考えてると思うか?」

「どうだろう。しかしまっすぐ歩き続けるのも大変だね。太陽が真上にあるから影で方向を探れないし、コンパスか何か持っているか聞けばよかったかな」

 草を踏みながらなるべくまっすぐ歩く。すると遠目に、なにか建物があるのを見つけた。時計を見ると八時三十五分。つまり十五分間歩き通しだったというわけだ。それを知るととたんに足が重く感じられた。葉詰も懐中時計を取り出し見ている。

「どうする葉詰、走るか?」

「走るのは苦手だな……。あそこまでなら、少し早歩きするくらいならなんとか」

「よし、行こう」

 葉詰の早歩きに合わせて歩く。向こうに見える建物がぐんぐん近づいてくる。僕らの住んでいるところとよく似たそこに、人が立っていることに気づいた。こちらに向かって手を振っている。

「ん? あれって……。墨雪か?」

「へ、あ、本当だ、なんであんなところに?」

 少し肩で息をしながらも、葉詰も気づいたようだ。建物はもう目の前で、相変わらず赤い目覚まし時計を首から下げたひょっとこ顔が「よっ」と声を掛けてきた。

「墨雪、なんでこんなところに? 先回りしたのか? どうやって?」

「あんま色々聞くなよ全部話すからよ。おう葉詰、随分疲れたようだな。でも楽になったろ」

「え、あれっ。本当だ、なんだか体が軽いみたい。疲れが、とれてる?」

「おう、お前ら時計見てみろよ」

 僕らは慌てて時計を取り出す。するとどうだろう、時計の針は八時十分のまま、静かに時を刻んでいた。呆然とする僕らを置き去りに、カチッと分針が進み、八時十一分となった。

「な、なんだこれ。時間、全然進んでないじゃん」

 よく見れば、建物も僕らが出てきた長屋だった。柵の上の、猫に似たシミがそこにはあった。墨雪は愉快気に僕らを指さす。

「な、面白いだろ」

「面白いとかそういうことよりも……、徒労感がすごいね。墨雪、毛糸とかロープとか、とにかく紐を持ってないかな?」

「おう、そう言うと思って持ってきておいたぜ」

 墨雪はさらっと糸巻を取り出す。葉詰はそれを見てがっくりと肩を落とした。

「なんだか、もう、君は何でも分かっているんだね……」

「え、葉詰、紐なんかどうするつもりだったんだよ」

「紐を繋いで歩いてみようと思ったんだ。でもこの彼の様子じゃあ……」

「まあな、俺だって色々してみたんだぜ。紐も繋いだし、コンパス使ってみたり。でもみんな同じ、ずうっと歩いてって、結局いつもおんなじ場所の、おんなじ時間に戻るだけ。

 ……ここはよ、どこにも行けねえんだよ。駅と、ゲートと、長屋がずうっと続いてて、それでおしまい。ま、手間もかかんねえ面白いことだったろ」

 面白いどころか、ちょっとした絶望を叩きつけられた気分だ。どこにも行けない。終わりだけの国、終着点。天の国。

 ……ちょっと待て。

「墨雪、お前、列車が来て人が増えたり減ったりするって言ってたよな。列車なら、どっか行けるのか?」

「覚えてたか、俺ポイント二点贈呈な。列車だけが唯一の例外なんだよ。駅の看板見たろ、あの空白になんか書かれたとき、そこに行けるんだよ。ま、この話はまた別んときにしようぜ。腹減ったし。とりあえず満腹亭でメシ食って、買い物するぞ」

 墨雪はそれを言うとさっさと表玄関の方へ歩いて行った。

「始まりも終わりもない、閉じた世界……」

 葉詰は呟く。

「今回は何かと、『縁』の話になったね」

 そう言って指先でくるりと宙に円を描く。僕はその円の中に時計の針が見えた気がした。

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