第4話 社会制度を教えてくれる家庭科こそ至宝

 彼女は言った。


 お腹が空いたと、そう一言


 口元を手で覆い、上目遣いでこちらを見ながら、

まるで、モノをねだる小動物のような愛くるしさを込めて


 しかし、、


「ち、ちょっと待ってて..」


 俺はそう言い残し、部屋の外に出た。


 完全な見切り発車である。


 というのも、俺には恋愛経験がない。

だから、分からないのだ。


 この状況、異性に何を振る舞うのが正解か。

どうせ食べるのなら、喜んで欲しいモノだが、あ..。そうだ。


 俺は再び部屋の中へ戻り、彼女に尋ねた。


「え、えっと..。今から何か作ろうと思うのですが、

食品のアレルギーとかはないですかね..?」


 そうそう。アナフィラキシーショックで、初日から病院搬送なんて

マジで洒落にならん。だからせめてこのくらいの配慮と、好物を聞き出して..。


 しかし、そんな俺の質問に答えた彼女はー


「うん。。ないと思う..。って、、もしかして私の為に料理を!?

ダメよ! 男の人が台所に立つのは、恥なんだからね!!」


 と言った。


「は、はぁ..」


 いつの時代だよ..。案外、ジェンダーの固定観念が強いタイプか..?


「ふぅ..。でも、私も言い方が悪かったわ。『お腹が空いちゃった』なんて、

まるで何か作るよう、要求してるみたいな物言いだしね..」

「いえいえ!! 謝らないで下さいよ!! 俺は、

誰かの為に何かを振る舞えるのなら、

一層手によりをかけちゃうタイプですから!」


 彼女の、硬く結ばれた唇が、一瞬だけ緩くなった気がした。


「だから、男が台所に立つのは恥だなんて言わないで、寧ろ、是非立たせて下さい!何なら..、えっと、貴方も一緒に、作りませんか..?」

「え....??」


 彼女の頬が、赤く染まった。


「ほ、本当に..? わ、私のために..、何か振る舞ってくれるの..。

わ、私、ここにいてもいいの!?」


 良いに決まってるじゃないですか! と、言おうとした。


 でも、出かかった言葉は、発せられる前に引っ込んだ。


 盲点ーー


 彼女には記憶がない、そして、いきなりこの家に現れた。


 本来であれば、家で養うのではなく、児童養護施設に預けるべきなのでは?

そもそも、家族が一人増えました! なんて、ペットのそれとは訳が違う..。

俺は構わないが、問題なのは、母が許可をくれるかどうか..。


 だって、もしこのまま彼女の記憶が戻らなかったら、

本当に、家族の一員になるのかもしれない..。その分増えた生活費は..?

俺を一人育てるだけでも、お金がかかると、以前母は愚痴を溢していたのに..。


 どうする? 俺みたいなガキが、果たして全責任を取れるか..?


 無理だ..。彼女には戸籍もない..。

学校はどうする? 医療は受けられるのか..? 何も分からない..。


 俺は、社会の制度について、何も知らない事を痛感させられた。


 不甲斐ない..。何が美少女..。ラブコメみたいな展開が来たと調子づいて、

そのさきを見据えず、視野が狭窄していた..。これは創作じゃない..。

 

 現実なんだ..。


「....」


 俺は、何も言えなくなってしまった。


「..。そ、そうだよね..。いきなり、いさせろだなんて..」


 さっきまで、一緒に何か料理を作ろうと話をしていたのが嘘のように、

場は凍りつき、深い沈黙が空間を支配した。


「..。でもさ、、」


 何か、言わないと..。


「でも、君がここにいていいのかを決めるのは、俺じゃないからさ。無責任に、

『良い』だなんて言えないのは許して欲しい..。た、ただ..。君がよければ、

俺は、君の記憶が戻るまでは、この家にいて欲しいと、そう思ってる..。から..」


 だ、だから..。何だよ..俺..。


「だから..。これからさ、親が..、帰ってくるんだ。お、俺の母さん..。

父さんは単身赴任で海外だから..。わ、我が家は俺と母さんの二人だけ..。

でさ..。二人だけだから、君もいたらきっと、賑やかになると思うんだ..。

つまり、とにかく..。俺が言いたいのは..」



 ♢


 

 料理を振る舞う、などと言ったが忘れていた。

冷蔵庫の中に、以前母の作ったカレーが保存されていたのだ。


 だから、俺は固まったルーに水を加え適度に加熱し、

保温状態の米も追加して、カレーライスにした。


 大丈夫..。


 カレーなら、万人受けするし、きっと美味しいと喜んで食べてくれる..。

それに、今回はチキンカレーだ。チキンカレー..。



「お、美味しい!!」


 パクパクーー


 良かったーと、俺は心の中でガッツポーズを取った。

彼女はさっきから、無心にカレーを口に放り込んでいる。

頬がとろけるとはまさにこの事だと言わぬばかりの、

満面の笑みを貼り付けながら、、


 そしてその一方で、俺は何をしているかというと..


「ありがとう..。康太....。本当に、、見ず知らずの私なんかを..」

「良いんですよ..。俺が好きでやっている事なので..」


 パソコンのモニター


 俺は画面の中の活字を黙読している。


「康太..」

「何ですか..?」


 彼女は、照れくさそうに、指で髪を摘みそれをクルクルさせながら言った。


「その..。私を、”養子縁組”にしてくれるって話..」

「はは..! そうです..。戸籍もない..。出自不明..。あの都市伝説の内容的にも、

家出という線や、事故による記憶障害とはまた別の..、もっと人智を超えた

何かが絡んでいると判断しました..」


 ♢


 俺が彼女に提案した事


 それは、矢場家が里親となり、彼女を養子として迎え入れる事..。

ただ、その詳しい手続きの詳細や、条件についてを、俺は知らない。


 だからこうして今、パソコンで調べている。 文明の利器サイコー!


「えっとですね..」

「はい..」


「まず、養子縁組を組むにあたって、戸籍の取得が先みたいです..。

その後に、養子縁組の手続き..。それで、、裁判所..。とかにも行くのかな..?

結構大変そうですけど、何とかしてみせます..」


 と、ここまでは順調ではあるのだが、

やはり一番の障壁は、彼女の着ている制服ーー


 彼女は学生。恐らく、この唯一の情報が、彼女の本来の身元を特定するための

最大の手がかり。だから、養子縁組の話と並行して進めるべきもう一つの作業は..


「制服。脱いで下さい!!」


 パシん!


「え、えっち..」


 彼女の平手打ちが炸裂したのは、ちょうどその時だった。


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