第29話

 オートンやプリディがケルベロスと戦う少し前

  【一人称、主人公の視点】



「よかったぁー。やっと地上にでられたよー」

 僕って、方向音痴なところがあるのかな?


 アノニマスさんに出会わなければ、ダンジョンを抜け出せなかったかもしれない。

 あんな複雑なダンジョンは初めてだ、これから気をつけよう。



 人々でごった返す王都の大通りを歩いていく。

 市場からは商人の掛け声が響き、石畳の道には人々が行き交っていた。


 広場に差し掛かったとき、僕は思わず足を止めた。


「わあ、すごい……」


 青空を背景に、父さんの巨大な銅像が威風堂々とそびえ建っている。

 台座には『救国の英雄オートン』という文字が刻まれていた。


 銅像の前では、旅人らしき人々が記念に絵を描いていた。

 子供たちは「僕も大きくなったらオートン様みたいになるんだ!」と言ったりしている。


「救国の英雄か……」

 父さんのことは英雄だと聞いていたけれど、王都でこれほどあがめられているとは、思ってなかった。




 広場を抜けると、立派な書店があった。


 店の前の【ベストセラー】という張り紙の下の棚に、たくさんの本が平積みにされている。


「へえ……」

 僕は店先に近づいた。



『英雄オートン伝記』

『チャークシ公の兵法』

 という分厚い本が並んで置かれていた。


 どちらも表紙は美しい装丁そうていで、かなりの値段がしそうだ。


「父さんの伝記って、こんなに立派な本になってるんだ」


 僕が感心していると、となりのアノニマスさんが『チャークシ公の兵法』のほうを見つめている。


「チャークシ公っていう人も、すごい人なんだね。この本、結構な厚さだけど、もう3版も重ねてるって」


「ふふふ……、当然だ。えっへん!」

 アノニマスさんが、まるで自分のことのように誇らしげな表情を浮かべる。このオジサン、よっぽどのチャークシ公のファンなんだろうな。



 少しはなれたところで甲冑かっちゅうのきしむ音が響いた。

 国王軍の兵士たちだ。


「整列! よいか、探しだすのは筋骨隆々の巨体の男と、非常に見た目のよい幼い少女、そして若いメイドの3人連れだ。不審者を見つけ次第、即座に通報せよ!」


 号令をかける声に、通りにいた人々が、ざわめきはじめている。



 白銀の鎧に身を包んだ兵士たちが、手に手に武器をたずさえ、あわただしくしている。

 誰かを捕縛ほばくしようとしているようだ。


「この区画を完全に封鎖しろ。チャークシ公の支持者どもを一人も逃がすな!」

 隊長らしき男が、厳しい声で命令をくだす。


 兵士たちは、商人の荷車の中や、フードを被ったものたちの素顔まで、くまなく調べている。


 時折、誰かを取り押さえる音や悲鳴も聞こえていた。


 通りを行き交う人々は、物陰に身を隠すように、そそくさと立ち去っていく。



 王国軍を見たアノニマスさんが言った。

「む……、まずい。裏道に入ろう……」

 アノニマスさんが、きびしい顔になって足を急がせた。


 裏道には、神社の鳥居ような門が建てられ、『ショージ国王の治世に感謝を』という看板がかかげられていた。

 その看板がバツで消されて、その上に、『チャークシ公バンザイ!』『チャークシ公の治世を!』といったような落書きがかかれていた。


 現在の国王は、よほど人気がないんだな。



 王国軍の姿を見た瞬間、アノニマスさんの表情が一変した。


「む……」


 低くうなるような声をもらす。

 アノニマスさんは、さりげなく僕のそでを引いた。


「ここはまずい。裏道に入ろう。あまり目立たないほうがいい」


 アノニマスさんは、人混みに紛れるように、商人の荷馬車の陰を利用して裏通りへと向かう。


 裏通りに入ると、神社の鳥居のような門が建っていた。白く塗られた立派な門柱には、磨き上げられた真鍮のプレートが取りつけられていた。

 『ショージ国王の治世に感謝を』という文字が刻まれている。


 しかし、その文字には、黒い絵の具で大きくバツ印が引かれていた。さらにその上から、チョークや木炭で無数の落書きが重ねられている。


『チャークシ公バンザイ!』

『チャークシ公の治世を!』

『暴君ショージを倒せ!』


 国王の威光を示すはずの門が、むしろ民衆の不満を表すものとなっていた。


「へえ、今の国王って、よほど人気がないんだね」


 僕がつぶやくと、アノニマスさんは、

「まあな」

 と小さく答えた。



 裏通りを進んでいくと、小高い丘の上に、小さな教会が見えてきた。

 灰色の石壁に埋め込まれたステンドグラスが、陽光を受けて美しく輝いている。


「国王軍が多いな……」

 アノニマスさんが、通りの様子をうかがいながら言った。「いったん、教会に入ろう」


 石段を登り、重厚な扉を開けると、中から子供たちの声が聞こえてきた。


「あら、お客様?」

 中から若い修道女が出迎えてくれた。銀色の十字架を胸元で輝かせた姿は、聖女のように美しかった。

 修道女の後ろには、僕より年下の三人の子供たちが隠れるようにして、こっちをのぞき見している。


「すこし休憩させていただけないでしょうか」

 アノニマスさんが丁寧に頭をさげた。


「もちろんです。どうぞお入りください」

 修道女は優しく微笑むと、奥へと案内してくれた。


 教会の中は、思ったより広く、壁際には子供用のベッドが並んでいる。何人かの子供たちが積み木で遊んでいた。


「この子たちは……?」

 僕がたずねる。


 アノニマスさんが小声で説明してくれた。

「ここは教会であると同時に、孤児院も兼ねているのだ。戦争や疫病で親を失った子供たちの避難所になっている。先代の国王の時代から、長年にわたって王国が尽力してきた場所だ」

 アノニマスさんがおしえてくれた。



 バタンッ!


 チャペルの扉が、激しい音を立てて開けはなたれた。

 子供たちが、小さな悲鳴をあげる。


「オラオラ! 今日も俺様がきてやったぜ。歓迎しろや! しかし、いつみても、ちんけな扉だな」

 入ってきた男は、わざと扉を蹴りかえす。


 ガラの悪そうな男だった。

 刺青いれずみののぞく服の襟元えりもと。腰には剣を差している。


「…………」

 修道女がこわばった表情になる。


「修道女サマよォ。一週間も待たせやがって。わかってんのか? ゴラアッ!」


「…………」


「黙ってんじゃねえよ! 金は用意できたんだろうな、あ?」


「申し訳ありません。まだ……」


「てめえ、ナメてんじゃねえぞ。いつまで待たせんだ。いくら俺だって我慢の限界だっつーの!」

 男は舌打ちすると、近くの台の上にあった燭台しょくだいを乱暴に倒し、聖書を床に投げ捨てた。「いいか! 毎月、俺達ウラウラ団に金をはらうのは当然だろが」


「…………」


「この町の奴らはみんな、払ってんだ。おまえだけ払わなきゃ、他にしめしがつかねーんだよ! わかってんのか? あんっ!」

 ヤクザが、修道女にすごむ。「払わなきゃ、この教会、"不幸な事故"に遭うかもしれねえんだぜ。わかってんのかよ、ボケ!」


「本来なら国から援助金がもらえたのですが……。それがショージ王の治政になってからなくなってしまって」


「うるせえんだよ!」

 ヤクザは机の上に置かれた子供たちの粗末な昼食を、床に蹴り飛ばした。「そんなクソみてえな言い訳、聞きてえわけねえだろうが!」

 パンが床に散らばる。


 小さな女の子が泣き出した。


「うっせえ、この餓鬼が! 黙ってなきゃぶっ殺すぞ!」

 ヤクザが怒鳴りつける。


「ショージ王が即位する前は、ウラウラ団なんてなかったのに……」


「当然だ。まだわかんねえのか? ウラウラ団は、ショージ王直下の暗部組織だ。邪魔な奴を皆、裏でブチ殺す組織なんだよ。なめてっと、てめえもぶち殺されるぞ!」


「お願いです。子供たちだけは……」


「だからよォ……」

 男は修道女のアゴを乱暴につかんだ。「おまえがな、財務大臣ゾーゼイ様のめかけになりゃ、全部チャラって言ってんだよ。援助金も出る。この餓鬼どもも、もっといいもんが食えるってもんよ。ひっひっひ……」


「財務大臣ゾーゼイ、そこまで腐敗していたとは……!」

 アノニマスさんが小さくつぶやく声が怒りに震えていた。


 パシッ!


「きゃっ!」

 男は修道女の頬を平手打ちにした。


「でもよォ、なかなかエロい体してんじゃねえか。しかし、おっぱいデケエな……」

 ヤクザは修道女の胸に下品な手つきをのばす。「ゾーゼイ様に献上する前によォ、オレ様が先にツマミ食いさせてもらうか。そうすりゃ今日のところは大目に見てやるぜ。ひっひっひ……」


「い、いやっ!」

 修道女が抵抗する。が、男は力づくで、腕をつかんで建物の奥へと引っぱっていく。


「おとなしくしやがれ。抵抗すんなら、あの餓鬼どもを一匹ずつブチのめしていくからな。わかってんだろうな?」


「ううっ……」

 修道女の目が涙目になっていた。



「待て!」

 思わず、僕は声をあげていた。









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