第24話


【三人称、ギリヲカーンの視点】



 ナイヨール伯爵の屋敷前。


 戦場の出来事をいまだ知らないギリヲカーンが歩いていた。



「ふふふ……。いよいよ、全てが私の思い通りに運びはじめたわ」

 ギリヲカーンは、上機嫌だった。「グンカンをやっつけて、オートンを毒殺して、アーニを新しい当主に。すべては計画通り。完璧! 完璧よ! 誰にも私の計画なんて気づいてない。私って天才軍師の才能があるかもしれないわ!」


 意気揚々と、屋敷の門をくぐる。


 庭いっぱいに傷ついた兵士たちが横たわっていた。

  戦場から逃げ帰ってきた、ナイヨール伯の兵士たちである。

 包帯グルグル巻きの人々。

「痛い……!」

 と、うめき声をあげてる者もいる。



「ふん、グンカンの部下たちじゃないの。ざまあみなさい。わたしに反抗する人たちには、こういう目にあってもらわないと。これが反逆者の末路ってものよ」

 ギリヲカーンは、まるでゴキブリでも見るような冷たい目で兵士たちを見やる。他人の痛みなんて、これっぽっちも気にしない性格なのだ。



 さらに、ギリヲカーンが屋敷の建物のほうへと、庭をすすむ。噴水の近くで休んでる兵士たちの小声が聞こえてきた。



 ギリヲカーンは地獄耳だった。


「……まったく、アーニ様じゃ、とても部隊の指揮は任せられないよな」

「ほんと、なにもできないよな」

「指揮官のくせに、馬から落っこちてバタバタしてただけだし」

「結局、ただのワガママお坊ちゃまだったってことさ」

「やはり、ナイヨール家の跡取りは、バカで性格も悪いアーニ様より、リーリャ様がいいのでは?」

「リーリャ様なら、きっと立派な当主に……」



「あなたたち、何をあらぬ噂をしているのですか! 処罰しますよ!」

 ギリヲカーンが怒鳴った。「家臣ごときが、アーニの悪口を言う事は決してゆるされないのですよ! 全員、むち打ちの刑にしてもらいたいの!?」


「す、すみません、奥様!」

「申し訳ございません!」

「どうかお許しを!」

 ギリヲカーンに気づいた兵士たちが、あわてて地面に頭をすりつける。




そのとき──


「奥様! 奥様ぁっ! 大変です!」

 泣きそうな顔のメイドが、つまづきそうになりながら走ってくる。スカートの裾をたくし上げて、必死の形相だ。


「騒々しいわね。そんあに、あわてて……、いったい何があったというのです?」


「アーニ様が……、アーニ様が……!」

 メイドの顔は青ざめていた。


「え?」

ギリヲカーンの横柄な態度が一変した。「アーニが……、うちの子がどうかしたの!?」


 メイドの顔をみて、ギリヲカーンの声が震えはじめた。


「あ……、アーニ様が、戦場で……。落馬されて、逃げまどう兵士や馬たちに何度も踏みつけに……」


「なんですって!?」


 ギリヲカーンは、メイドを突き飛ばすように手を放すと、屋敷へと走り出した。


 ドタドタドタ……


 ギリヲカーンが真っ青な顔をして、屋敷の廊下を速歩きですすんでいく。目指すのはアーニの寝室だ。




 バンッ!


 アーニの寝室のドアを思いっきり開け放った。


「アーニ! アーニ!」

 ギリヲカーンがベッドに駆け寄った。


 そこには──


「うっ……」

 ギリヲカーンの声が詰まった。


 全身を包帯でグルグル巻きにされたアーニが、うなされながらベッドの上に横たわっている。顔は紫色のあざだらけ、両目は腫れ上がって、かろうじて息をしているような状態だ。


「アーニ、しっかりして! お母さんよ!」

 ギリヲカーンが手を伸ばす。


「ぎゃあっ! 痛いっ!」

アーニが悲鳴を上げた。触れられただけで、激痛が走る状態のようだ。


「か、体中をさんざん踏みつけられて……」

そばにいた執事のセバスが説明した。「肋骨が数本折れ、内臓も痛めていると」


「うう……母上……痛いよぉ……」


 アーニは泣きそうな声を出す。高熱で顔が真っ赤だった。


「怖いよぉ……。兵士たちが、馬に乗ったまま、僕の上を通り過ぎていくよぉ……」

 幻覚を見ているのか、うなされているようだ。


「アーニ……!」

 ギリヲカーンは、我が子を心配する表情を浮かべた。「お医者様は? お医者様はもう診てくれたの?」


「はい。しばらくの安静が必要とのことです」

執事が答える。「これだけの怪我です。完治までは、かなりの時間が……」


「くっ……」

 ギリヲカーンの拳が震える。


(どうして? どうしてこんなことに? コヤスとは約束してたはず。絶対に、アーニには手を出さないって……)



  ☆☆☆



 屋敷の廊下。


 セバスがギリヲカーンに寄り添うように歩いていた。


「アーニは重症だけど命には別状はないようだし、よかったわ」


「まあ、不幸中の幸いでしたな。して、オートン様は毒殺できたでしょうか?」


「ええ、きちっとやったわ。スーパー・トリ・トリリンカブトの毒なら、この世界で最強の聖職者の魔法でも、治すことは不可能ですからね」


「それでは、これで、アーニ様が正当な当主としてナイヨール家を継がれることに決定ですな!」


「ええ、そのとおりよ。これからはアーニが、この領地の当主よ」

 ギリヲカーンは満足げにうなずいた。




 やがて、二人は、オートンの寝室の前を通りかかった。


「よっしゃあーっ! 321、322、323……!」


 部屋の中から、聞き覚えのある声が響いてくる。


「まさか……!」

 ギリヲカーンは震える手で扉をあけた。


 部屋の中では、目を疑う光景が広がっていた。


「324! 325! 326……! ふぅ、まだまだだな」

 オートンが、肩に500kgもの重りを乗せ、スクワットを繰りかえしていた。全身から汗が噴き出し、筋肉が盛り上がっている。その姿は、毒で死にかけていた人物のものとは思えない。「まだ、まだ身体が重いな……。なまっておるわ! 以前なら1000kgは余裕だったんだがな」


「ふぎゃああああっ!」

 ギリヲカーンは、まるで死体が亡霊となってよみがえってきたのを見たような、恐怖の表情を浮かべた。

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