第3話


 リーリャが自宅の屋敷の廊下を歩いていると、意地悪そうな顔をした少年と出くわした。

 少年の名前は、アーニ・ナイヨール。12歳。リーリャの腹違いの兄だ。アーニは、これまで、いつもリーリャのことをいじめていた。


「なんだ、リーリャ、また一人で、めそめそと泣いてたのか? いくら泣いても死んだ母親は帰ってこないぞ」

 アーニは、腹黒い表情で、口元をゆがませる。「リーリャって女みたいな名前だな。恥ずかしい。そうやってずっとメソメソしてるのがお似合いだ。わははは……」

 リーリャの母が不治の病で死んで三ヶ月が経とうとしていた。


 その間、リーリャはずっと悲しみに沈んでいたのだ。

 しかし、前世の記憶が戻ってきてから、リーリャの気持ちは、全く変わっていた。


 これまで抱いてきた、悲しみ、劣等感、怒りなどの、すべての負の感情が胸の一点に吸い込まれて消えていく感じがした。そうすると、たちまちのうちに、気持ちがすっきりして、晴れやかな気分になるのだった。


 アーニは、いつもメソメソしていたリーリャの表情が変わっているのに気づいた。


「どうしたんだ、リーリャ? いつもと表情が違うようだが……」


「僕、メソメソして生きるのはやめたんだ! これからは頑張って前向きに生きようと思って」

 リーリャの表情は、明るい。


(ふん、おまえにそんな明るい表情は似合わない。すぐに元のメソメソした顔に戻してやるぜ)

 アーニは、悪い表情を浮かべた。背後に控えていたメイドがかごに持っていた桃を一つ手にとる。


「どうだ? りっぱな桃だろう。俺が父から管理の勉強にとまかされた領地でとれたものだ」


 その桃は、まるまると実が大きくて、あざやかなピンク色をしていた。


「わあー。すごくおいしそうだね!」


「もちろん。すごくおいしいぞ。だが、この桃には、他にも楽しみ方がある」


「どんな?」


「じゃあ、リーリャ、おまえにも特別に試させてやろう」


「いいの?」


「もちろんだ。この桃の皮は特別性でな。皮の感触がすさまじく気持ちいいんだ。いっぱい頬ずりしまくると、とっても、とーっても、気持ちよくなるんだぞ。どうだ? やってみたくなったか?」


「うん。やってみたいよ!」


「じゃあ、特別にリーリャにも頬ずりさせてやろう」


「わあーい。うれしいなっ」


「おもいっきり、力いっぱい頬ずりしたら、特別にその桃を、おまえにやろう。強くこすりつけるんだぞ!」


「うん。わかったよ!」

 リーリャが桃を頬にもっていく。


 アーニが悪い顔の陰を、いっそう強めた。

(ぐふふふ……。愚かものめ。桃の皮は、一見フワフワに見えるが、その表面には、ごく小さな大量のトガった毛が、とげのように立っているのだ。しかも、この桃は特別性で、皮のトゲが通常の3倍は鋭く、数も多いのだ)


 こんな桃の皮に、頬ずりをすると、皮のトゲが刺さって、超絶に痛くなる。ひどい場合には、頬が炎症し、顔が真っ赤にれ、痛みとかゆみに襲われ、医者に診てもらうはめになるほどだ。


 だが、リーリャの反応は、アーニが思ったものとは、全く違っていた。


 頬に桃を強くゴシゴシとこすりつけたリーリャが叫ぶ。

「わあーいっ。ほんとうに、つるつる、すべすべで、とっても気持ちいいね。兄さん、ありがとう!」


「え? 気持ちいい?」


「うん、とっても気持ちいいよ」

 リーリャが満面の笑顔で答える。「ありがとう。本当にこんなにおいしそうな桃をもらっていってもいいの?」


「え? ……うん、まあ、いいぞ」


 リーリャの意外な反応に、アーニは毒気を抜かれて呆然ぼうぜんとなった。


 リーリャは、悪神あくじんから授かった身体強化の能力により、桃の皮のごく小さな棘くらいでは、皮膚にダメージを受けないようになっていたのだった。


「ありがとう、兄さん。じゃあ、僕行くね!」

 立ち去るリーリャの後ろ姿を見ながら、アーニが首をかしげる。


「おかしいな……。桃をあれだけ強くこすりつけたら、頬が炎症し、顔が真っ赤にれ、痛みとかゆみに襲われ、医者にてもらうはめになるはずなんだが……」

 アーニは、メイドが持つかごから、新たに桃を一つ手にとると、自分の頬にごしごしと、力強くこすりつけた。


「ぎょええええええっ!」

 とたんに、アーニが悲鳴をあげる。


「アーニ様、大丈夫ですか?」

 メイドが駆け寄ってアーニの頬を見る。


「痛い! 痛い! 痛い!」


「アーニ様、頬が炎症しております」


「痛い! 痛い! 痛い!」


「アーニ様、顔が真っ赤にれてきました!


「痛い、痛い、痛い! かゆい、痒い、痒い!」


「誰か! アーニ様が……、頬が炎症し、顔が真っ赤にれ、痛みとかゆみに襲われ、医者にてもらうはめになっておられます!」


「ぎょえええええっ!」

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