第4話 教科書のような笑顔の君にさえ眠れぬ夜があるということ

 再び最初の公園に戻って来て、かれこれ十五分ほど経った。


 少し座りにくいが、ブランコは揺らさずスマホを弄っている。


 中学校を出発してからの四十分ほど、ぽつりぽつりとしか言葉を交わしていない。


 なにせ一睡もせずに夜を明かしたのだ。


 流石に体力の限界だった。


「ねえ、蓮は何してるの?」


 スマホでSNSを見ながら愛美が訊いてきた。


「何か書いてる?」


 画面を横から見られていたようだ。


「え、秘密」


「えー、いいじゃん、隠すなよー。私と蓮の仲だろっ」


 ふざけているのか、それとも睡眠不足で脳が麻痺しているのか。


 まだ実物を見たことはないけど、まるで酔っぱらいだ。


 これが深夜テンションというやつか、と寝不足で回らない頭で考えた。


 その後もダル絡みを続けてくるので面倒くさくなったのが七割、「私と蓮の仲」と言われて嬉しくなったのが三割で、とうとう自白してしまった。


「小説書いたり、あと短歌」


「タンカ?」


「五七五七七の」


「ああ、分かった分かった。俳句はやらないの?」


「なんとなく性に合わないから。似てるけど、あれは完全に別物だよ」


「そうなのかー」


 これでこの話は終わり、悪くて作品を見せろと言ってくるだけだと思っていたが、愛美は痛いところを突いてきた。


「それが、さっき言ってた蓮のやりたかったこと?」


 ぐさり、と言葉が胸に突き刺さった。


 ここで正直に吐いてしまった辺り、僕も深夜テンションに侵されていた。


「いや、違う。部活やらない代わりに勉強以外に何か一つやろうって思って、好きなことと言えばって思って小説始めた。

 短歌は面白そうってなって割と最近から」


「じゃあ、なんで吹部入らなかったの?やっぱり勉強?」


「それは…」


 このまま言ってしまおうか、という思いと、隠しておきたい、という思いが交錯した。そのまま時間だけが過ぎていく。


 風の無い公園の中で、二つのブランコだけが揺れ続けている。


 二十秒ほどの沈黙の後、僕はとうとう口を開いた。


「ずっと怖かったんだ」


 ぽつぽつと言葉を紡いでいく。


「僕、正直あんまり楽器向いてなかっただろ。

 音感は悪いわ速い連符は指が回らないわで、必死になって練習してやっとみんなについていけてた。


 吹奏楽は、バンド全員で作るもの。


 僕一人のミスがバンド全体のミスになる。


 もちろん吹奏楽は好きだし、いい思い出は沢山あるけど、部を引退したときは心からほっとしたんだ。


 もうミスを怖がらなくていいんだ、みんなの足を引っ張る心配はないんだって。


 その点、小説も短歌も基本一人で作るものでさ。気楽に取り組めていいよ。


 もちろん、仲間がいないのは確かにさみしいけどさ」


 僕が最後まで言い終えるまで、愛美は黙って聞いていてくれた。


 そっか、と小さく呟き、


「私は、蓮のクラ好きだったけどな」


 再びブランコを揺らして語り出した。


「丁寧で、力強くもあって、何より楽しそうだった。

 ああ、楽器が好きなんだなあってのが伝わってきた。

 確かにクラリネットは上手い人が集まってたけど、蓮だってちゃんとやれてたよ。

 めちゃくちゃ練習頑張ってたし、楽器運びの時とかも率先して動いてくれたし。

 男子組で部の雰囲気を盛り上げてくれたし。

 それに、楽器だけじゃなくて勉強も頑張ってて。

 いつも助かってたし、蓮が頑張ってたから私も頑張れた」


 愛美の言葉で、僕の心の凍っていた部分がゆっくりと融解していく。


「楽器、買ってもらったのにずっと使ってないな」


 僕も脚を伸ばしてブランコを漕ぎ始め、少し勢いを付け、思い切って飛び降りる。


 すぐに足が地面に着いてしまい、思ったより近くに着地したが、スリルと爽快感は以前と変わらない。


「久し振りに吹いてみるか。調子悪くなってないといいけど」


「うん、いいと思う」


 愛美は心底嬉しそうに笑った。


 昔から変わらない、教科書のように完璧な笑顔。


 でも、やっぱり胸の内に何かを抱えているということは、あの濃密な三年間を共にした僕にははっきりと分かった。


 午前四時十六分の空を見上げる。


 日本列島の西も西のこの地の空は、夜明けにはまだ少し早い。


 

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