第2話 思い出はいつも綺麗で痛みさえ濾過を重ねて思い出となる

「まずは朝日小に行こう」


 そう愛美は言った。


「で、その次に西中。私たちの育った軌跡を辿ろう」


 近隣の方々に配慮してボリュームを落とした声で喋りながら、僕たちはかつての通学路を歩いた。


 この辺りは、大体V字型の地形をしている。出発点の公園は谷に当たり、小学校と中学校がそれぞれ向かい側の高台に建っている。


 だから、小学校への道のりのほとんどは上り坂になっている。


「この坂、こんなにきつかったっけ?」


 十五分ほどかけて坂を上り終えた時、愛美が音を上げた。


「本当にこんな坂道を小学生の頃毎日通ってたの?ほんと、汗やばい」


 さすがに運動不足が過ぎないかとは思ったが、僕も汗が次々に滲んで肌着が機能しなくなっていた。


「ちょっとそこで冷たいもの買おう」


 池田商店の前を通りかかった時、愛美はそう提案した。


 池田商店は昔ながらの駄菓子屋で、遠足のお菓子を買う時などは子供たちがこぞってやって来たものだった。


 しかし、店をやっていた老夫婦のどっちかが体調を崩したとかで、二年ほど前に閉店してしまった。


 今は、そこそこ広い軒先の側面に飲み物とタバコの自動販売機が残っているだけだ。


 僕は財布を持ってきていなかったが、愛美が「一つ貸しだよ」と一番安い天然水を奢ってくれた。


「しかし、ここなくなっちゃったのか。安かったのに」


 プシュ、とコーラの蓋を開けて愛美が言った。


「安かったし、値段の数字がキリ良かったよな。よその店ならもっとするお菓子も百円だったり」


 僕も天然水の蓋を開ける。何の音もしないのが少し寂しい。


「そうそう、だから遠足のとききっちり三百円にして達成感に浸ってた」


「そういえば、いつだったか誰かお菓子五千円分とか持ってきた奴いたな」


「そうだっけ?三百円で何を買うのか悩みまくるのが楽しいのに」


「三百円分なんて少ないと思ってても、結局そこそこ余るしな」


 母校巡りなんて全然乗り気じゃなかったが、建物や歩行者注意の看板、カーブミラーに至るまで、何もかもが記憶を呼び起こし、思い出話が意外なほど盛り上がった。


 池田商店からとくに起伏のない道を五分ほど歩いて、目指していた小学校に着いた。


「やっぱり、懐かしいね」


 流石に夜に校内に侵入する度胸はなく、校門越しに中の様子を眺めていた愛美が言った。


「ああ、懐かしい」


 創立何周年の数字が変わっていたり遊具が一部新しくなっていたりしたが、それでも懐かしいという思いが溢れてきた。


「私、蓮が運動会で派手に転んだ時のこと思い出した」


「そのにやついた顔なんとかしろ」


「えー、いいじゃん。小五とかの時の徒競走だったっけ。蓮、めっちゃ泣きそうなのに必死で堪えてて可愛かった」


「痛いわ抜かされるわで最悪だったんだよ。三位以内なら欲しいもの買ってくれるって親が言うから、割と本気で練習してたのに」


「いやあ、偉かったよ。すぐに立ち上がってゴールまで走ってさ」


 本当に偉かった、と独り言のように付け足しながら、その目はどこか遠くを見ているようで、酷く寂しげに見えた。


「愛美」


「よし、じゃあ記念に一枚撮って次行こうか。自慢して回るときの証拠にもなるし」


 涙を堪えているような表情をすぐに引っ込め、ことさらに明るい声と顔をする愛美。


 その笑顔の奥に秘めた感情を、僕は推し量れないでいた。

 

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