とある夜:Day16『窓越しの』
夕食前になると、キッチンは慌ただしさに包まれる。
何しろ、タラゼドとベガ、アルタイルの三人だけでなく、フリィたち七人も合わせた十人分の食事を準備する必要があるからだ。フリィたち旅の一行の食事係でもあるアクセプタと、このキッチンの主であるベガが中心となって、十人という大人数の料理を作る。
そんなキッチンと面するダイニングの片隅。
そこでは、アルタイルとアウトリタが道具箱やら工具やらをひっくり返していた。
「っかしいな。この辺に置いてた気ぃすんだけどな」
「だが、ないぞ? ここにないとなると、後はどこだ?」
二人は顔を突き合わせ、困ったように首をかしげる。
と、そこにタラゼドが山菜を詰めた籠を手に帰ってきた。
彼はキッチンの隅に籠を置くと、首を傾げながらアルタイルたちの元へとやってくる。
「アルタイル、アウトリタ。何してんだ?」
「タラゼドか。おかえり。アウトリタが定規を探してるんだ」
「それがさ、昨日、家に戻ってきた時に持ってたのは覚えてんだが、どこに置いといたか記憶がねぇんだ」
「定規なら昨日、フリィに預けてただろう。ずっと預けっぱなしだったのか?」
「っあ! そういやそうだったな! すっかり忘れてたぜ!」
アウトリタは快活に笑って立ち上がった。そうして、リビングでモイたちと話しているフリィの元へと向かっていく。
アルタイルとタラゼドがその背を見ていた時だ。
「ベガ、パンが一人分足んねーぞ」
アクセプタの声が聞こえた。
振り返れば、テーブルの上に均等に九人分の皿が並べられているのが見える。
「えっ?」
ベガが困惑した様子で固まっている。
そんな彼女へアクセプタが何か言うよりも先に。
「違うんです、セプたん。ひとつ無くていいんです」
そう口を挟んだのは小さな妖精の女の子ティアリーである。
「わたし、パンひとつは食べきれないので、わたしの分はレジーナから少し分けてもらおうと思ったんです。だから、パンがひとつなくて良いんです」
「そーかい。ならいいけど」
アクセプタは大皿に盛られたサラダと十人分の取り皿をテーブルの上に置くとキッチンへと戻っていく。入れ替わるようにベガが五人分の味噌汁を持ってやってくる。
ベガは、一足先に席についていたティアリーにそっと声をかける。
「ごめんなさい、ティアリーさん。わたしが間違えたのに気を遣わせてしまって」
「気にしないでください。レジーナに分けてもらおうと思ってたのは本当ですから」
二人の会話に、席に座って食事を待っていた橙髪の青年グローウィンが口を挟む。
「ベガ、そんなに気に病まなくても大丈夫だよ~」
「それでも申し訳ないわ」
ベガは眉を八の字にして、申し訳なさそうに表情を曇らせていた。
ちょうどそこへレジーナが明るい声とともに入ってくる。
「ただいまー!」
「遅かったじゃねーか薬屋! さっさと手ぇ洗って、手伝ってくんねーか?」
「もちろん! 任せてよ!」
レジーナは満面の笑みで答えると、アクセプタの隣に並んだ。
ベガが追加のパンを取りにキッチンへ戻ってきたところで、あることに気付く。
「あら? レジーナ、髪に泥がついているわ。ほら、ここ」
「あっほんとだ!」
「ったく。ほら、これで拭いとけ」
アクセプタは肩を竦めると、濡らして絞ったタオルをレジーナに渡した。
それを受け取ったレジーナは髪の泥を落とそうとするが上手くいかない。見兼ねたベガが彼女からタオルを受け取って、代わりに泥を落としてあげる。
「午後は花壇の手入れの手伝いをするって言っていたわよね。こんなに泥をつけるなんて何をしていたの?」
「手伝った後でちょっと森に、ちょっとした探し物をしにね」
「そうよね、レジーナは薬師だものね」
ベガは得心がいった様子で頷いた。
それを聞いたレジーナはにへらと笑う。
「まあね! ベガも困ったことがあったらいつでも相談してね! 例えば、擦り傷ようの塗り薬とか痛み止めの軟膏とか!」
「ふふ。その時はお願いするわ」
ベガは穏やかな表情で微笑み返す。
彼女たちの会話を聞いていたアクセプタは、少し元気を取り戻したベガの様子を見て安心したように小さく胸を撫で下ろした。
そして夕食が終わった後。
アルタイルが一足先に寝ようと、廊下を歩いていた時だ。
「ヒロ」
名前を呼ばれ、アルタイルは振り返る。
「モイか」
掃き出し窓から差し込む月明かりに照らされた廊下に、モイの姿があった。
モイはアルタイルの側までくると、その表情を見て小首を傾げる。
「どうしたの? アルタイルって呼んだほうがよかった?」
「いや。ヒロで構わない。……少し驚いたんだ。ずっと少し距離があっただろ」
「うん。何を話せばいいのかわかんなくて」
そう言うなりモイは黙ってしまった。
会話は終わったが彼女はアルタイルのほうを向いたまま動こうとしない。立ち去る様子がない様子を見るに、どうやら何か用事があるらしい。
ややあって、口を開いたのはアルタイルのほうだった。
「そう言えば、モイも記憶喪失なんだってな。フリィから聞いたぞ」
「うん。ワタシ、フリィと会う前のことは何も覚えてないの」
頷いたモイは、それから足元へ視線を落とした。
「ワタシ、記憶がないせいで自分が何者なのかわからなくなった時があったの。でもフリィが、そんなこと気にしなくていいんだって、ワタシはワタシだって言ってくれたの。……だからきっと、ヒロも同じなんだよね。記憶があってもなくても関係ない。ヒロはヒロ」
そう語るモイの口調はまるで自分に言い聞かせるかのようだった。
それから彼女は顔を上げてアルタイルを見た。
無表情ながらもモイの眼差しはどこまでも真っ直ぐである。それ故にアルタイルは、まるで心の奥底を見透かされているような気持ちになってしまう。
モイは言葉を続ける。
「でもワタシは、ヒロに早くワタシたちのことを思い出してほしい」
「モイ……」
「あのね、みんな、ヒロが記憶喪失でも気にしてないように見えるかもしれないけど、本当はみんな気にしてるんだよ。一番辛いはずのフリィやレジーナが普段通りだから、みんな口や態度にしないだけなんだってセプたんが言ってた」
「そう、なのか」
「うん。ティアリーとトリたんが時々悲しそうにしてる。それにワタシもヒロとの思い出がなくなっちゃったみたいで悲しいよ」
モイの言葉にアルタイルは咄嗟に返事ができなかった。
誰に言われるでもなく、アルタイルは忘れてしまった自身の記憶を思い出したいと考えている。その思いはフリィたちと出会ってから強くなっていた。……だが、焦らなくても近いうちに思い出せるだろうと、そう楽観的に考えていたのも事実である。
だからこそ、モイの言葉に耳と胸が痛かった。
しばらく流れた沈黙の後、アルタイルが何か言おうと口を開きかけた時だ。
「アルト、モイ。お話し中にごめんなさい」
居間からベガが顔を出した。
アルタイルとモイは揃ってベガを見た。彼女は心底困ったような顔で二人に問いかける。
「兄さまの姿が見当たらないのだけれど、二人とも何か知らないかしら?」
その質問にモイが小首を傾げる。
「タラゼド? ワタシは見てない」
「ああ、俺もだ。部屋にもいないから、風呂じゃないのか?」
「ううん、それはないわ。グローウィンさんがお風呂から出てきて、次が兄さまの番だから探していたもの」
ベガが首を横に振った。
それを聞いたアルタイルは、腕を組んで思案顔を浮かべる。夕食時も過ぎた夜にタラゼドが行きそうな場所を考えていたが、心当たりはなかった。
ふと、モイがおもむろに掃き出し窓の向こう側へ目を向けたのに気付く。
「モイ? どうした?」
「裏庭に誰かいたような気がした」
その言葉にアルタイルとベガは同時に窓の外を見る。
アルタイルが何となく目を向けた先に、モイの言葉通り、人影を見つけた。
「本当だ、いたぞ。あそこにいるのはタラゼドと、……レジーナ?」
意外な人物を見つけたアルタイルは目を丸くした。
こちらに背を向けたレジーナの月明かりに照らされた水色の髪が目を惹く。ふわふわした彼女の髪が時折小さく揺れているのは、向かい合ったタラゼドと話している証拠だろう。こんな夜にわざわざ外に出て話すということは、もしかしなくても内緒話だ。
どうやら、タラゼドを探していたベガも同じことを考えているようだ。
「兄さま、レジーナと何の話をしているのかしら……?」
そう呟いたベガの声音からは、二人の会話内容が気になるけれど聞きたくても聞けないジレンマが伝わってきた。窓越しでは表情も雰囲気もわからないが、少なくとも不穏な様子は見受けられない。トラブルが起きたのではないのなら無用に問いただす必要はないだろうと、アルタイルは結論付ける。
彼は窓越しの密会を、何とも言えない表情で眺めていた。
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