2

「はい」


 大きくなってからは誰にも行った事の無い――それは心からの純粋な言葉だった。確信的で自信に満ちた声が内から込み上げてくるのを感じる。


「実は私、子供の頃にサンタさんに会ったことがあるんですよ。思い浮かべてた、絵本から出て来たような期待を裏切らない――本当にサンタさんって感じで。もちろん、夢だって言われたら否定は出来ないですけど……でも私はいると思います。あの時会えたサンタさんも現実で、毎年クリスマスに子ども達を笑顔にしてくれてるだと思います」


 いつの間にか私は他の人には言えない――冗談だと思われるような事を本気で口にしてしまっていた。その存在の真実を知るという事は、子どもから大人への一段でもある。だけど私はその一段の前で立ち止まり続けていたとしても、心の底から信じてる――サンタクロースという存在を。


「ほっほっほっ」


 するとおじいさんはサンタさんを真似るように緩やかなステップの笑い声で体を揺らした。


「やはり儂の見込んだ通りじゃ」

「見込んだ?」


 おじいさんが何を言ってるのか全く意味が分からなかった私は思わず首を傾げた。

 でもそんな私を他所におじいさんは立ち上がり一歩前へ。背中を向けたまま声だけが聞こえて来た。


「多くの人間は大人になるにつれ不可思議な存在を合理的に理解しようとする。子どものように真っすぐ受け取りはしない。それはそれで素晴らしい事じゃ。だが中には信じ続ける者もいる。根拠は無くとも己の感覚に耳を傾け疑わない。君のようにな。太交たじり美沙君」

「どうして私の名前を?」


 更に反対側へ首が傾く。

 だけどそんな私へ追い打ちをかけるように、辺りはいつの間にか日が沈み夜になっていた。やけに皓々とした満月が照明代わりに街を照らし、そして上空から舞い降りてきた天使の羽のような雪。


「じゃが世界は意外にも不合理に満ちている。そもそも合理など人間が定めたものでしかない。この世界からしてみれば取るに足らない事じゃ」


 電車が来たのか後方から音が近づいてくる。


「サンタクロースは子どもの絵空事か? いや――」


 やってきた音は勢いそのまま私の横を通過し、その風で髪の毛がふわり踊る。

 そしておじいさんはそのお腹とは相反した素早さでクルリ、私の方を振り返った。同時に着ていたコートが宙を舞いその服装は見慣れたものへと変わっていた。


「儂こそがサンタクロースじゃ」


 赤い服と黒いブーツ、頭上に乗った三角帽子。その背後では真っ赤な雪舟とそれを引く二匹の馴鹿が馬のように前足を上げていた。それに加え星空と満月、舞い降る白雪。

 それはまるで一枚の名画のような光景だった。


「うそ……」


 私は気が付けば一人呟き立ち上がっていた。夢でも見てる気がして――でもその光景は確かに目の前に広がってる。戸惑い、混乱、感悦――私の中には一瞬にして満天の星のような無数の感情が現れては混ざり合い……自分自身でも良く分からない。

 そしてまるで傀儡が糸で勝手に動かされるように私の足は前へと歩みを進め、状況も感情も何一つ分からぬままおじいさんの前で立ち止まった。少し距離を空け僅かに見上げながら向かい合う。

 するとその時――目の前の光景と鮮明な記憶が私の中で重なり合った。それは多少違っているものの幼い私がしたあの特別な体験と同じものだった。


「サンタさん?」

「ほっほっほっ。しっかりと良い子にしておったかな?」


 記憶と同じ、それ以外に理由はない。言葉を借りるなら不合理的なものだけど、私の中には確信があった。今目の前にいるのがサンタクロースだという確信が。

 それが分かったその瞬間、私は一体どんな顔をしていたんだろうか。ある日突然、大好きなスターが目の前に現れた人と同じで最初に驚愕の波が押し寄せ、更にそれを呑み込む驚喜で溢れ返る。どれだけ平然を装おうとしても興奮で口元は緩みっぱなし。きっと何とも幸せに満ちた喜色満面でもしてるに違いない。


「やっぱりあの時も夢じゃなくて本当だったんですね!」

「夜に子ども一人で外に出るのは良くない事じゃよ」

「すみせん」


 謝罪の言葉を口にしながら後頭部へ手をやり軽く頭を下げていた私だったが、今は浮かれた気持ちの方がそれを上回っていた。


「でもどうして私に会いに来てくれたんですか? もしかして最後のクリスマスプレゼント……」


 そんな特大のプレゼントを私に……まだそうだと言われた訳でもないのに、何だかとんでもない賞を受賞した気分だ。


「その前に折角じゃ、乗ってみるかい?」


 するとサンタさんは少し体を避け後ろの雪舟へ促す様に手を向けた。

 それは一瞬何を言われたのか分からなくなる程に予想外で奇跡のような言葉。全世界の子どもの夢と言っても過言じゃないはず。


「いいですか!?」


 当然のように私も興奮気味に訊き返した。

 そんな私への返事としてサンタさんは先に雪舟へ乗り込み大きな手を差し出してくれた。自分でも分かる程に輝かせた表情のまま一旦、雪舟を端から撫でるように眺めていく。漆のように艶やかな赤で彩られた雪舟は芸術的で先頭の馴鹿も凛々しい。しかも一匹は真っ赤な鼻をしてる。

 そして軽くだが外観を堪能した私は早速――運命の瞬間を迎えた。サンタさんの手を取り私は人生における歴史的一歩を踏み出す。

 少し浮遊した雪舟は何だか不思議な感覚だった。飛行機の離陸した感覚とも船とも違う。でも圧倒的な安定感と言うよりどこかふわり柔らかなもの。その感覚に一瞬、戸惑いながらも雪舟へ乗り込んだ私はサンタさんの隣へ座った。


「それじゃあ出発するかの」


 そう言った後、サンタさんは両手を振り手綱の心地好い音が鳴り響いた。

 それから走り出した馴鹿に合わせ雪舟が緩やかに動き始める。速度はどんどん上がっていき、大きく円を描くように夜空へと飛び立って行った。そして馴鹿が空を蹴って雪舟を引き、私達はまるで夜空を流星のように駆ける。

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