最終週/瀬上文章

day29:焦がす

 いろんな夫婦は見るのだけれど、やっぱり職業柄、別れるかどうかの瀬戸際のふたりが圧倒的に多い。一方、どんなに思い合っていても「夫婦」になっていないふたりには、あまりお目にかからない。

 もちろん、特定の属性のふたりは夫婦になれないという制度自体にチャレンジする事件を手がける同業者なら、遭遇する比率は僕とは全然違うと思う。そして僕は客観的には、そういう事件の当事者たり得る属性の人間である。

 でも僕はその手の活動や、そちらに力を割いている人たちからは、意図的に距離を置いている。薄情かも、といううっすらした負い目はあるし、積極的に活動している人を冷笑的に見ているようにも思われたくはないけど、実のところ仲間意識は全然ないのだ。

 僕は僕のことをこれ以上分析・定義したいと思っていないし、誰にもされたくもない。僕には現状を変えたいまでの推進力はない。だから彼らとの溝は深いと認識している。一見似ているからこそ、余計に。


 僕の業界は、ここ数年で急速にウェブを使った手続きが広がってきたものの、未だにファクシミリが現役の、だいぶ遅れた業界だ。一つの事務所に複数の弁護士が所属していると、セミナーだの新刊書籍だの、車や不動産の買い取りだのの広告、いろんな主義主張をもった有志の会のカンパ依頼、それから内部の選挙の時期に出回る新聞みたいなもの(俗称「怪文書」)とかが所属人数分送られてきて、コピー用紙の使用量を押し上げる。都会の、数百人が所属しているような事務所だとさすがにないのかもしれないけど。

 とにかくそうして、見られもしない広告を何枚も吐き出したがために紙切れを起こした複合機の前で僕がコピー用紙の包み紙を引きちぎっていると、事務員さんが、病院からお電話ですと言ってきた。病院というのは、祖父が入院しているところのこと。


 祖父は元気なころは税理士をしていて、一時期は複数人の税理士が在籍している事務所の所長でもあった。でも、ひとり事務所になり、祖母も亡くなると認知症が進んだので、親族が無理矢理廃業させた。僕はその後の事務処理のため、親族兼専門職として祖父の成年後見人に選任され、事務所を閉めて荷物を片付け、物件を明け渡した。

 そこまで済ませると僕の仕事はほとんど、施設の支払いやケアプランなんかへの同意が主になったが、ここのところ祖父は誤嚥からの肺炎を頻発し、入院頻度も高くなっている。僕はなんとなく嫌な予感を覚えながら電話に出た。

 病院の用件は、一枚署名をもらい忘れた書類があったというものだった。僕は郵便で送ってくれれば返送すると言ったけど、病院の人は少し言いにくそうに「できれば来ていただけませんか」と。よっぽど大事な内容なのかと思って聞いたらクリーニングの申込書だと言うから、僕は「たぶん数日くらいは猶予があると思いますけど」と言ってみたけど、どうやら問題はそこではないらしい。

大神おおがさんがお孫さんに会いたいと仰っていて。なだめてはいるんですが」

「会いたいというか、呼べ、という感じではないですか?」

「ああ……そうですね、まあ……」

「たぶん、僕が行っても無駄なので、申し訳ないんですが。書類は送っていただいたほうが対応が早いと思いますのでお願いできますか」

 病院の人は、わかりました、と言って電話を切った。


 祖父は今の僕を見ても、孫とは認識できない。祖父の中の「孫」は司法試験に受かったあと所帯も持たずに半人前を続けている、二十代前半の僕。その後の十年は、祖父の中には存在していない。

 だから僕はまだ、ハルと同じ苗字になったことを、ハルの師である祖父には言えないでいる。どうせ分からないのだからと言い訳をして。

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