day24:朝凪

 大神くんが実害がないと言ったとおり、そのあと一ヶ月経っても、あの貸金業者からは連絡がなかった。妹に電話したら、妹のほうも大丈夫。

「ていうかさ、私たちがちゃんと言われたとおりに相続放棄の資料送ってたら、裁判自体起きてなかったんやろ」

 スピーカー通話の向こうの妹は、そういう常識的なことを言う。私は朝ごはんの食器を洗い終えたと合図してきた食洗機のほうに向かいながら答えた。

「まあ、我々はアホだからな」

「やむを得んね」

「意地で裁判になった姉と、ドジで裁判になった妹よ」

 私はこの、ちょっと気に入っている表現をするりと披露したが、妹は「そうだね」とさらりと流して話題を変えた。

「で、お母さんなんだけどさ」


 妹は母と、ちょっと独特の距離がある。その原因はたぶん、私だ。

 母によれば妹は、私が高校を卒業して経理の専門学校に行ったのを見、自分は美容師の専門学校に行きたいと言ったらしい。でも母はそれをダメだと言った。母は私たちが小さい頃に父と離婚して、父からは一切のお金をもらわずに私たちを育てた強い人だけど、決して収入が多いほうではなかったから。

 だから母は、経理の専門学校にはお金を出してくれた。それは母にとって「堅実な」ルートだったから。でも妹の希望する進路はそうではなかったから、母はお金を出さなかった。妹は全く食い下がらずに、高卒枠で市役所に就職した。


 私はその話を母から聞いたとき、妹のことをずいぶん聞き分けがいいなと思ったのだ。でもその後私が就職して、結婚して家を出て、一人目を産んで、家を建てて、母と妹に同居を提案したとき、妹はついてこなかった。


 妹は「職場が遠くなるのが嫌だから」と言っていたが、たぶんそれは第一の理由じゃない。妹はきっと、高校卒業後に自分の希望する進路に進めた私とそうでない自分とを比べているし、その差を作り出した母に怒りも感じている。でも母のその選択の理由だってわかるから、妹はその怒りを表には出さなかった。そうして凪の静けさを保っていた妹が水面下で抱えていた波や渦に私はずっと気づかなかった。

 いや、嘘だ。私はずっと、気づかないふりをしてきたのだ。私だって負い目を感じていたから。本当は「聞き分けがいい」だけなはずはないとわかっていたのに。


 それでも最近は、妹と母との間は少しずつほどけてきている。父の遺言書を開けたあと、妹は間合いを測るように少しずつ、母に会いに来るようになった。

 私はそれを見て、私もちゃんと妹と、というか、この負い目と向き合わないといけないな、と思っている。私と妹の間の凪だって、実際はかなり不自然なもののはずなので。でも、思って、思って、……思っているだけ。


 食器を取り出しながらぼんやり考えていた私に、電話の向こうの妹は続けた。

「もうすぐ誕生日やろ、お母さん。欲しいもの聞いてない?」

 私はなんとか頭を切り替えると、どうだったかな、と答えた。

「どっちかが子守してる間にどっちかが出かけてくるみたいな感じなんよ、最近。それでほとんど一緒に買い物も行かんし。欲しいもの聞くタイミングがない」

「まあ、あれがほしいこれがほしいって言うと、ねだってるみたいに聞こえそうやもんね。お姉ちゃんには言えるかもだけど旦那さんもいたらさすがにな」

 なるほど。私は大きく息を吸うと、返事した。

「そんなら今度ヒロくんいないとこでちょっと聞いてみるわ。んで、我々一緒に買いに行こうよ」

「え? いいよ」


 私は妹に、そんじゃまた連絡するねと言って電話を切った。

 買い物が済んだら、お茶でも飲みながら、妹とちゃんと話そう、と思う。

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