第3週/井原蒼介

day15:岬

 僕の父とその兄、つまり伯父とは、年齢が一日しか離れていない。間違いではなく、一日だ。

 伯父は祖父の前妻の子だ。代々続く地主のボンボンだったという祖父は浮気もしていて、その相手との子が僕の父。前妻さんが交通事故で亡くなると、祖父はその四十九日も待たずに浮気相手と再婚し、その後、前妻さんの一周忌の頃に天罰のように自分も死んだという。父と伯父はそれを「クソ野郎だよね」と、笑い話みたいに話す。

 でも実際、伯父は祖父の浮気相手(から妻になった、僕の祖母)と関係は悪くなく、というかむしろ良く、なんなら病院への見舞いは、県外で就職し家庭を持っていた僕の父よりずっと頻繁に行っていた。

 だから僕は昔は、伯父と父とは日付をまたいで生まれた双子だと思っていた。さきの事情を知ったのは僕が二十歳を過ぎ、父や伯父と一緒にお酒を飲めるようになり、そして祖母が死んだあとだった。


 祖母はきっと、「クソ野郎」が残したふたりの子を分け隔てなく育て、その過ちの償いを十分にしたのだろう。伯父が祖母の話をするとき、懐かしそうに「かあさん」と呼ぶのが何よりの証拠だ。


 伯父は「井原暁」という。僕は小さい頃から彼を「さとしさん」と呼んでいたから、「さとし」の漢字がそんなだとは思っていなくて、初めて年賀状をもらったときは誰かわからなかった。

 さとしさんは趣味人で、特に好きなのは文具。文字を書くのも大好きだから、年賀状は毎年盆明けからちまちま書きため、百人以上に、裏も表も手書きのを送る。その宛先に(親とは別に)加えてもらった小学生の僕は、父と同じ歳の大人であるさとしさんに一目置かれたみたいで嬉しかった。


 さとしさんは地元で銀行に勤めていて、顔も広かった。だから僕が妻と一緒にカフェを開きたいと思ったとき、一番に相談したのもさとしさんだった。

 その頃さとしさんは銀行を、関連企業への出向を断って退職し、相続した不動産の賃料収入でのんびり暮らしていた。

 僕が相談したとき、さとしさんは「それならうってつけの物件があるよ」と言った。


「広さがお眼鏡に適えばだけど。道路に面した一階で、向かいに大きなスーパーもあるし、バス停も近くて、ちょっと休憩したい人はいっぱいいると思うよ」と、さとしさんは魅力的なことを言った。

「今の借主が解約したいって言ってて。場所はいいけど古いから、次の借主が見つかるか不安だったんだけど。蒼介そうすけくんが入ってくれるなら、家賃はお店が軌道に乗るまで要らないよ。準備にもお金かかるでしょ」

 僕はその話に飛びつきたかったが、一応持ち帰って妻と話し、その場でさとしさんに電話した。


 僕は週末、妻と菓子折を持って、さとしさんに会いに行った。

 さとしさんは一応、賃貸借契約書を用意していたけど、僕に説明しながらいくつかの条項に斜め線を引き、特約事項欄に「家賃は店舗の収支が二月連続黒字となった月の翌月分から徴収し、それまでは免除する」と書いた。

 妻が「じゃあ、毎月の収支をご報告したほうがいいですよね」と聞くと、さとしさんは首を横に振った。

「お金のことは僕が聞いたときだけ教えてくれたら。その代わり、いいお店にしてね」


 どうしてそんなによくしてくれるんですか、と聞いたら、さとしさんは「僕とあきらが、学校から帰ってきたら毎日共用部分を掃除して回ってた思い出のビルなんだよ」と言った。

「でも古いせいでトラブルも増えててね。そこにきみたちが入ってくれて、お客さんに愛される。船の航行を妨げてきた嫌われ者の岬が、灯台が建って一変するみたい。わくわくするでしょう」

 さとしさんは本当に楽しそうだ。妻も僕のほうを見、にっこり笑った。

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