day13:定規

 潤ちゃんの調子は一進一退のまま、年が明けて年度末。帰宅して駐車場を進んでいたら、私の駐車枠の前の通路に、右に寄せて車が停まっていた。このグレーのSUVは大神さんのだ。

 ハザードを焚いている。降りて確認したら運転席は空だった。何があったのだろうと思って周りを見回したら、理由はすぐわかった。大神さんの隣の枠の軽自動車が、枠の端に、しかもちょっと斜めに駐められてて、お尻のほうがはみ出してた。これでは大神さんの枠には、大きめの大神さんの車は入れない。

 たぶん持ち主に直してもらいに行ったんだろうな、と思いながら、私が慎重に切り返して車を駐めたころ、大神さんが戻ってきた。


 私が車を降りると、大神さんはこちらに歩いてきながら私に、ひょこっと頭を下げた。

「すみません。邪魔でしたね」

「いえ、これだけ空いてれば。お隣、どちらのお宅かわかります?」

「わかります。前、ぶつけられたので」

「えっ」

 私は改めてその軽自動車を見、それから腕を組んで駐車枠を眺めている大神さんを見て、聞いた。

「え? もしかして隣の方、ちょっとやばい人です?」

「悪意はないのはわかってるんですけどね」

 けどね、のあとに続けたい言葉がありそうだったけど、さすがに私もそれを聞きだそうとは思わなかった。


 久しぶりに会った大神さんは、以前エレベータで話したときより口数が多い。イラつくと饒舌になるタイプかな、と思いながら、私は質問を続けた。

「連絡とれたんですか?」

「五分待って、と言われました」

「え。すぐ降りてきてくれないんですか?」

「インターホンで呼び出したらご家族が出たんですが、本人はお風呂、それ以外の免許持ってる人は飲んじゃってるそうです。本人を急いで上がらせるからそれまで待ってと」

 私は肩を落としてエレベータホールに通じる通用口を振り返り、それからまた前を向いた。大神さんは私を横目で見て、それから改めてこっちに顔を向けると言った。

「お付き合いいただかなくても大丈夫ですよ」

「え? あ、はい。あ、いや。待って」

「はい?」

 大神さんは小首を傾げた。そうそう、この顔。私の好みからは外れてるけど、そして今はこの間ほどダルそうなしゃべりでもないけど、たぶんこの人って、アレだ。

「佐倉智恵利、知ってます?」

「佐倉。……大塚さんのところの?」

「そうです。私、あの会社の代表の娘で。旧姓大塚です。智恵利は学生のころからの友だちで、今もわりと会ってて」

「へえ」

 大神さんはちょっと面白そうに口角を上げた。やっぱりこの人の顔面、智恵利にクリティカルヒットだな。

「それでちょっと前、話の流れで、大神さん同じマンションだよってなって」

「細かい指摘で恐縮ですが、僕、今、大神じゃないんですよ」

「えっ?」

「だからポストの表示も大神は消して瀬上だけになってます」


 ということはこの人は、今は瀬上さんなのだ。私は潤ちゃんに言われた自分の物差しの偏りを思い出し、余計な推測を振り払うと、ちょうどいい返事を選びあぐねて押し黙った。そんな私に大神(瀬上)さんはフォローするように言った。

「仕事は大神のままですし、どっちでもいいっちゃいいんですけど」

「えと……智恵利は知ってるんですかね」

「さあ?」


 私は急に智恵利に、ものすごい不義理をしているような気持ちになって居心地が悪くなり、「まだですかね」なんて言いながら通用口のほうを振り返った。

 ちょうどドアが開いて、タオルを頭に巻いたルームウェアの若い女の子が、大慌てで飛び出してきた。

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