day10:散った

 最近よく行くカフェで夏限定のタルトが始まったと聞いたので、早速食べに行った。潤ちゃんに、裕真ゆうま連れていこうか? と聞いたら、見とくからゆっくりしておいでよって。私は潤ちゃんの分のタルトは買って帰ると約束して、息子を任せて家を出た。


 このカフェは私の両親がやっている小さい不動産会社の管理物件だ。前は税理士事務所が入っていたけど廃業して、今はオーナーの井原さんの甥っ子夫婦がリノベしてカフェをやっている。

 両親の会社には私の友だちも勤めていて、この物件の担当。それで彼女は店主ご夫婦と連絡をとるたびに新作の情報を仕入れてきては私にプレゼンして誘うのだ。今日も彼女と待ち合わせをしている。

 案の定今日も、智恵利ちえりは先に来ていた。入店したらすぐ横の、窓際の席が彼女の定位置。私は彼女に「お待たせ」と言いながら椅子を引き、座面に鞄を置くと聞いた。彼女の前には番号札が置いてある。

「もう注文した?」

「自分の分だけ」

「オッケー、私も行ってくる」

 私はそのままカウンターに向かい、アイスコーヒーと限定のタルトを頼んだ。タルトはショーケースにはなかったけど、あと五、六分で出せますと言うので、私も智恵利と同じように番号札をもらった。


 席に戻り、智恵利の番号札に自分のをくっつけて並べると、私は鞄を膝に乗せながら腰掛けた。智恵利の手元には何かの資格試験のテキストがあった。

「なんか資格とるの?」

「うん。ひとり退職予定だから、引き継げるようにと思って」

「マヤさんだっけ」

「そうそう。お母さんの具合が良くないみたい」

 マヤさんというのは、私が小学生の頃に両親の会社に就職した女性だ。私は、両親や会社の人が彼女をマヤさんマヤさん呼ぶので、しばらくは彼女のことを「なんとかマヤ」さんだと思い込んでいたのだが、実は苗字が「真矢まや」だった。

 マヤさんは、私が学校帰りとかに涼みに両親の会社に寄ると、いつも冷たいお茶と、ちょっとしたお菓子を出してくれた。母は銀行に行っていたりして留守が多かったので、私はそういう日はマヤさんとちょっとおしゃべりをして、父から「仕事の邪魔しちゃだめだよ」と軽く怒られて家に帰っていた。あのときは会社で一番若いお姉さんだったマヤさんが、親の介護かあ。

「マヤさんもそんな歳かぁ……」

 私が呟くと、智恵利は「ちょっと早めだけどね」と言いながらテキストを脇にどけた。

「でもさあ、たぶん案外、すぐだよね。私たちもさ、感覚的に」

「やだなあ。自分が歳とるのはもう諦めてるけど、親には元気でいてほしい」

「わかる」

 お店の人がアイスコーヒーとタルトを持ってきたので、私たちはそのトレーを受け取り、番号札を返した。


 智恵利は独身で、ご両親や弟さんと同居している。智恵利が「潤ちゃん、どう?」と聞いてきたので、私はコーヒーにストローをさしながら答えた。

「家にいると割と普通なんだけどね。今日も裕真見てくれてるし。でもやっぱなんかスイッチみたいなのがあるぽくて、たまにぺったんこになってる」

「病院は定期的に行ってるの?」

「うん。薬も出てるよ」

「なんか大変だね」

 私は「本人がね」と答えた。

「公務員だからさ、休職中も無収入にはならないし、所得保障保険も入ってたから、経済的には当面は大丈夫なんだけど。本人が気に病んでるの、たぶんそこじゃなくて。私何もできないなー、って思う」

「でもさ、ローンある中で休職しても経済的には心配ないって、めちゃくちゃ安心材料だと思うよ。それは樹里のおかげじゃん?」

「そうかなあ」


 私は深いため息をつくとガラス越しの外に目をやった。茂った街路樹の葉っぱが、道路を走って行ったトラックの風で何枚か舞い散った。

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