day05:琥珀糖

 ふみが僕の家に居候するようになって、僕は少しずつ料理を始めた。

 それまでだって、全くしていなかったわけではない。ないが、所長の奥さんから孫を奪い取るような形にもなってしまった以上、僕には奥さんに顔向けできるような環境を整えなければという妙な義務感が生じていた。

 そうして始めた料理が、一緒に食べる人がいることが思いのほかモチベーションになって、僕はだんだん、手の込んだものにも挑戦するようになった。とはいえ仕事はむしろ忙しくなっていたので、いかに家事を分担できるといえども今までどおりにしていたのでは時間が足りない。さきの理由でふみにあまり頼みごとをするのも気が引け、僕は仕事のあとの付き合いを減らした。


 ふみは近所のコーヒーショップでアルバイトを始めた。彼なりにいろいろ比較検討した結果、そこが一番「割がいい」ということになったらしい。

 一度冷やかしに、彼が働いている時間に見に行ってみたら、彼が注文をとった女子高生たちは席に着くと嬉しそうにひそひそ話をしていた。その気持ちはわからないでもない。僕から見ても、黒のギャルソンエプロンを巻いた彼はいつも以上に脚が長く見えて格好良かった。

 まあ、僕は、その子たちが知りたい彼の連絡先や名前のみならず、彼が小学生のときに無茶な姿勢でソファーに転がって本を読んでいた姿とか、そのとき見えてた腰骨のあたりのふたつ並んだ黒子ほくろとかも、知っているわけだけど。


 だからか、ふみは結構、いろんなものをもらってきた。大学の同級生には「連休に帰省したお土産」とかの名目で。そうして我が家の共有財産になったものには、テレビで特集されるような入手困難な品も含まれていて、その日彼が持ち帰ってきたのもそういう、和風のグミみたいなお菓子だった。

「琥珀糖って言うらしいですよ」

 ふみが、箱の裏側を確かめていた僕に言った。

「京都ので。数量限定で、並ばないと毎日すぐ売り切れるって」

「そうなんだ。おいしそうだね」

「そうですかね。見た目はいいけど、僕はちりめん山椒のほうがよかった」

 僕は思わず苦笑いしながら、「それ、くれた本人には言ってないよね」と聞いた。ふみは、もちろん、と答えた。


 僕のところに居候を始めてから数ヶ月、ふみは学業とバイトに勤しみ、それ以外ではほとんど寄り道せずに帰ってきた。僕はそれを、自分の大学の頃と比べて少し真面目すぎるようにも感じたが、そもそも彼は一人暮らしの軍資金を貯めるためにここに居候しているのだから当時の僕とは状況が違う。

 だから彼は、彼なりに目処が立ったと思えば、いつかここを出ていく。

 だから彼が、新聞に掲載された不動産業者の賃貸物件の広告を見つめていても、何もおかしなことはない。

 ないのだけど、彼がいなくなったら、僕はたぶんまた料理をしなくなって、飲みごとも元通りになって。

 自分の家に明かりがついてるのを外から眺めてちょっと急ぐ、みたいなこともなくなるんだろうな。


 ふみがひとつだけ食べて、残りの権利を放棄した琥珀糖をつまみ上げた。これを買うため朝早くから並んだであろう女の子はたぶん、こんなおじさんに食べさせるつもりは微塵もなかっただろうなと思いながら、僕はそれを口に放り込んだ。

 ふみにはちゃんとお礼の品を、持たせたほうがいいかもしれない。

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