第29話「痴話喧嘩」

「司さん、今日の料理なんだけど、私一人で作らせてもらえないかしら?」


 僕は真衣華のこの発言を親のような心で喜んだ。ひと月近く付きっきりで料理を教えてきた教え子が、遂に巣立とうというのだ。喜ばないものがいるだろうか、いやいない。


「うん、任せたよ。多少失敗しても大丈夫だから、思い切ってやってくれ!」

「任せてちょうだい。最近スマホの使い方もわかってきたから、レシピを見ながら作るわ」


 そうして出来上がった料理は唐揚げ定食だった。味噌汁とサラダ、小鉢に冷奴。


 見た目からは一切失敗の影は見られない。この調子だと味も大丈夫だろう。



「あっ! 司ズルい! 司だけ卵焼きついてる!」

「はっはっは、これは真衣華からの愛情だ。天音にはやらないぞ」

「ごめんなさいね、天音さん。今度天音さんには別で作るから」

「じゃ、いただきまーす」


 僕だけに作ってくれた「特製」の卵焼きに手を伸ばそうとしたら「待った」がかかった。


「私にあーん、させて?」

「なんてこったい役得だなあ。ぜひお願いするよ」

「あーん」


 なんだか僕の知っている卵焼きより色が赤いのが気になるけど、それよりも真衣華があーんをしてくれるという事実の方が大事だ。果たしてその味は……。


「ふぁいやあああああああああああ!」


 激辛だった。慌てて水で流し込む。一体この劇物はなんだ!


「か、辛い! なんでこんなに辛いんだ!」


 僕のぷりてぃな唇がたらこになっていないか心配していると、


「砂糖とタバスコを間違えちゃったー(棒)」


 故意だった。どこの世界に砂糖とタバスコを間違える人間がいるというのか。もはや固体と液体でジャンルすら違うぞ。


「渾身の料理オンチアピールが決まったぁ! 司選手、感想をどうぞ!」

「天音、お前の仕業だろう! さては二人結託して僕にアピール合戦を企んでいるな!」

「な、なんのことかなー?」


 吹けもしない口笛を吹いて誤魔化そうとしているが、僕の目は誤魔化されないぞ。


 なんてことだ。僕がまじこい作戦を始めようとしているのと時同じくして、真衣華側も僕に対してまじこい作戦を始めていたとは。なんて偶然、まるでシンクロニシティだ。


「違ったかしら?」

「全然違うよ!」

「変ね。天音さんは司さん、料理オンチの人が好きだって……」

「普通に考えて好きなわけないだろ!」


「えー、司なんだかんだ言っていつもあたしの料理完食してるじゃん? てっきり料理オンチの子が好きなのかと」

「それは天音が作ってくれたからだよ!」


 どこの世界にマズイ料理を好んで食べる人がいるというのか。僕は英国人じゃないんだぞ。スターゲイジーパイとか絶対食べたくない。


「ダメだったみたいね。これは私が食べるわ」

「食べないとは言っていない。せっかく真衣華が僕に作ってくれたんだ、食べるよ」


 ひいひい言いながら激辛の卵焼きをなんとか完食した僕を待っていたのは、


「司さん、耳掃除をしてあげるから膝にきて?」

「むむ。ドジっ子アピールで耳に綿棒突っ込んじゃったとかはナシだよ?」

「しないわ。さっきの料理のお詫びも兼ねてるもの」


 やったぜ。これは完全なるご褒美パートだ。これならどう転んでも僕に被害はないはずだ。


「じゃ失礼して」


 3人掛けのソファの端に座った真衣華の柔らかな太ももに頭を置く。


「優しくするけど、痛かったら言ってね?」


 こうして0距離で接すると、彼女の桃の香りがより一層強く感じられる。ともすれば、僕にもその匂いが移るんじゃないかというほどだった。


「あ~極楽じゃあ~」


 綿棒でこしこしと耳の中を掃除されるのはまさに天にも昇る心地だった。


「何よ、デレデレしちゃって。私のこと大好きとか言ったくせに」


 僕が極楽気分で耳かきを味わっていると、皿洗いを終えたらしい月野さんが来た。


 その手には雑誌が握られていたので、本来はソファに座って読もうとしていたのだろう。しかしタイミングがものすごく悪かった。なぜ今なのか。なぜ今その発言を蒸し返すのか。


「……私の聞こえ間違いかしら? 今なんて?」


 ほらあ。そんなこと真衣華に聞こえるように言ったらこうなるのは目に見えているよ。


「あら聞こえなかったの。じゃあもう一回言うわね。その男はなにかにつけて私に大好きって言うのよ? さっきも言われちゃったわ。ねえ、九条君?」


「どういうことかしら、司さん?」

「いや、それはそのぉ……」


 参った。完全に僕が悪いんだが、月野さんもなんでわざわざ真衣華に向かってそんなことを言うんだ。オペレーションまじこいはどこにいったんだ。完全に逆効果だよ。


「どういうことか説明してほしいわね、司さん」

「言ってあげなさいな、九条君。九条君が大好きなのは私だって」

「あのぉ……そのぉ……」


「はっきりして、司さん!」

「はっきりなさい、九条君!」


 僕が完全に追い詰められようとしている時、「それ」は起こった。「ザザザザッ」というノイズのような音がどこかから聞こえてきたのだ。


 シメた。と思ったのはしょうがないことだろう。エスの海が始まってしまえば強制的に有耶無耶にできるのだから。


「二人共、10階に行こう! イドが現れたみたいだ!」

「……っ!」

「……ッ!」


 僕を無視して二人はバチバチに目で争っていた。何も言葉を発していないのが逆に恐ろしい。


「た、頼むよ二人共……」


 僕は無言でやり合う二人の手を握って引っ張り、家を後にした。


「諸君、気を引き締めて聞いてくれ。我々の管轄区域に――」


 会議室に入っても二人の勢いは止まる気配がなかった。真ん中に座った僕を挟んでにらみ合いが続いている。なんか八田さんが深刻な顔をして喋ってるけど一切入ってこない。


「ということで、九条君と黒鉄君、頼んだよ」

「え、あ、はい」


 なんだかわからない内に話が進んでいたようだ。「なんの話ですか?」と言えるような雰囲気でもなかったので、とりあえず返事をしておく。どうせ僕の仕事はイドを倒すことなんだからたぶん大丈夫だろう。


「……」

「……」


 車内は地獄だった。月野さんと真衣華が僕を挟んで尚もにらみ合いを続けているからだ。月野さん、普段は僕の向かいに座るのに、今日に限ってわざわざ僕の隣に座ってるし。


「おい、何があったんだ」

 向かいに座っていた今泉が耐えかねて僕にそう尋ねる。


「やんごとなき理由があってね……」

「大丈夫なのか? 今日は今までと違うんだぞ」

「え、そうなの?」


「お前ブリーフィングで何聞いてた。今日は30体もイドが出現してるんだぞ?」

「マジか。今までになく多いね」


「たまに湧くんだよ。流石のお前でもいつもみたいに簡単にはいかないだろうよ」

「今なら普通のイド1体相手でもマズイかも……」


「おいおい勘弁してくれ。なんのためにここ最近調整してたんだよ」

「言わないでくれ、僕も頭を悩ませてるんだから」


「チッ、しょうがねえな。いざとなったら俺が助けてやるよ」

「先にお礼を言っておく、ありがとう」


 だって絶対に助けてもらうハメになるのが目に見えているんだもん。


 果たして僕の予想はガッツリと的中することになった。


「くっ! 身体が重い!」


 黒鉄化しているというのに、今までにあるまじき重さを身体に感じた。まるで見た目相応の重量の鎧を着込んでいるようだった。しかも、


「一発で潰れない!」


 渾身の力を込めて殴ったというのに、いつものように頭が潰れなかった。


 これが意味しているところなどはっきりしている。真衣華の僕に対する信頼が著しく損なわれているせいだ。


 まさかここまで信頼関係に力が左右されるとは思わなかった。これじゃ契約したてのアルターエゴが普通のコントラクターに負けるわけだ。


「クソッ!」


 だからといってイドはこちらの事情などお構いなしだ。身体の重みで満足に動けない僕をいいことに、ガンガンと大きな拳で殴ってくる。


「くっ! 真衣華、今だけでいい! 僕を信用してくれ!」


 呼びかけるも、真衣華からの返事はなかった。


 前までならなんでもなかったイドの攻撃も、今は衝撃がモロに伝わってくる。防御力にまで影響が及んでいるらしい。


「何やってる!」

 見かねた今泉が援護に来てくれた。


「ごめん今泉、今回僕らは戦力にならないっぽい」

「やっぱりな。貸し一つだぞ」

「助かる!」


 通信で八田さんに事情を説明し、前線から遠ざかる。


 車内に戻ると、月野さんの姿もあった。


「月野さんも戻ってたんだね」

「元々私は保護が主な任務だもの。九条君が戻るなら私も戻るわ」

「そっか」


「月野には普通に話しかけるのね?」

「え?」

「帰りの道で私には話しかけなかったじゃない」

「た、たまたまだよ」


「九条君だってそんな陰気臭い女と話したいわけないじゃない。人を責める前にまず自分を顧みたらどうかしら?」

「……デブ」


 何を言うかと思えばシンプルな悪口だった。どこか小学生っぽい感じがするのは真衣華が悪口を言い慣れていないからだろうか。


「は?」

「聞こえなかったかしら? 私はデブって言ったの」

「言ったわね!?」


「デブにデブと言って何が悪いのかしら?」

「貴方だってチビのくせに!」


 こちらもまた小学生みたいな悪口だった。もっと他に言いようがあったろうに、二人とも根が善人だから本当の意味で相手を傷つける言葉が出てこないのだろう。


「人が気にしてることを……!」

「あーらチビにチビって言って何が悪いのかしら?」

「デブのくせに!」

「うるさいチビ!」


 僕に言わせれば二人ともデブでもなければチビでもないんだけど、余計なことを言って火の粉がこちらに向くのが怖かったので僕は小学生の喧嘩をひたすら黙って聞いていた。

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