第2話
壁にぽっかりと穴が空いていた。その先から銃声が聞こえてきた。同時に人の苦しむ声も聞こえてきたのだ。通路を曲がると、前方に異形の物体を見かけた。一人の男から何本も手が生えていた。その手はゴムのように伸びていて、男の周囲を覆っていた。その中に優という女が捕まっていたのだ。今にも首を絞められて窒息死しそうでもあった。
怪物は俺が姿を見せると、憎たらしい表情を見せた。
「この女は上玉だでど。でも、美味しくいただくには邪魔者を殺してからにしたいな」
「そうだ、離してやれよ」
「男が命令をするな」
怪物はそう言って、怒りを露にした。どさっと女が床に落ちると、ぐっと悲鳴を上げた。それを聞いた怪物はキキと声をあげたのだ。
「おまえ、女の人をいじめて嬉しいのか?」
俺は素直に聞いてみた。
「おまえは嬉しくないのか?」
「趣味が合わないな」
怪物は目をかっと開き、口角を上げた。そして無数の手をこちらに伸ばしてきたのだ。
「風の魔法でいいか」
「魔法だ? 人間無勢が魔法なんて使えるわけがねえだろ」
「使えるんだなこれが」
「ウィンドブレイド」
無数の手がぼとぼとと切り刻まれて地面に落ちていく。怪物は悲痛な声をあげた。
「いてええ、いてえよ。おかあちゃん。おかあちゃん」
そう言って怪物は退く。俺は追撃を与え、さらに風魔法を唱えた。怪物の顔が切り刻まれ、蒸気のようなものを発しながら息絶えていった。優という女のそばに寄ると、彼女の体に触れた。治癒の魔法を唱えようとしたところだった。
「あ?」
遠くから声が聞こえてきたのだ。
「優ちゃんに何をしているんだ?」
ポニーテールの女が勢いよく駆け寄ってきたのだ。
「いや、治してやろうと思ったんだけど」
「ど、どこに触ってるんだ」
「体だけど、治さないとこの子死ぬよ」
ポニーテールの女は息を呑んでそっと離れた。そして俺が優という女を治すのを見守っていた。すぐに彼女は目を開けた。彼女が天井を見上げると、俺と目が合う。
「助けてくれたのか? 怪物は?」
「優ちゃん」
ポニーテールの女が泣きながら地面に倒れ込んでいる優に抱きつく。
「ちょっと今は離れろって」
「死んだと思ったよ」
「渚は無事でよかった。そこの男が助けてくれたのか?」
「そうだけど、なんか優ちゃんの体に触っていたよ」
優は俺の顔を見る。
「いや、魔法を唱えて傷を治しただけだけど」
「そうか、申し訳ないです。初めは疑ってしまい」
「銃を向けてきたのは、まあいいけどさ」
優は体を起こし、周囲を見渡した。怪物を探しているのか、険しい顔を一瞬見せたが、俺と顔を合わせるとその表情も和らいだ。
「あいつは賞金が300万円かけられていた。名前はわからないが、受け取ってくれ」
「道尾だ、道尾智治」
「道尾さん、おかげで助かりました」
優はそう言って頭を下げた。そして名刺をくれた。
「これ、よかったら。同業者としては心強いし、奇妙なことも使えるようだから、別に利用しようなんて思ってもいないけど」
「ありがとう」
俺は優という女から名刺を受け取った。
「羽瀬優、いい名前じゃないか」
「そんな」
「っていうか、なに、優ちゃんにいろいろ話してさ」
ポニーテールの女が横から入ってきた。彼女は渚と呼ばれていた。
「渚、悪いけど、帰りの車を運転してくれないか?」
「もちろん」
俺は病院を出ると、外に停めてあったバンを見つけた。彼女たちはそれに乗って病院の敷地を後にした。俺は歩いて、外に出たのだが、病院の外は空き地が目立っていた。駅のそばにある商店街はシャッターが閉まっていて、営業をしていない様子だった。まるでゴーストタウンのようだけど、駅は動いていた。それでも財布を持っていないので、歩いて家に戻ることにした。
南のほうに向かい、やっとのことで実家の前に着いたが表札の名前が別だった。引っ越したのか、と思ったが腹の虫が鳴っていた。両親のことよりも空腹のほうが勝った。けれども現金を持っていないので、俺は再び歩いて役所のほうに向かった。区役所の前にやってくると、門は堅く閉ざされていた。世田谷の文字はある。日も暮れていないし、営業時間と思うのだが、門は閉じていて、中の様子をうかがうこともできない。仕方ないので、俺は区役所のそばにある街に繰り出してみた。
店は閉まっていて、唯一牛丼屋がやっていた。チェーン店で、それ以外の店は営業をしていなかった。スーパーもやっておらず、人の少なさが際立っていた。
廃病院の街も、この街も、どういうわけか人が寄り付かないようだ。廃病院から実家に向かう道中はそうでもなかったので、俺は不思議に思っていた。しばらく歩いていると、看板が立っていた。
『怪物討伐の求人。仕事内容、区役所内に蔓延る、怪物の掃除』
その下に金額が書かれていた。1000万円もくれるのか。こんなにお金をもらえるんだったら、誰かがやればいいのに。というか、区役所にも廃病院にいた怪物のようなやつがいるのか。仕事を請け負う場所も書かれていて、俺はそこに向かうことにした。
歩いて一時間ほど。錆びれたビルを見上げている。近くには見覚えのある車が停まっていた。羽瀬優の車じゃないだろうか。俺はビルを上がっていき、一室のインターフォンを押した。
「はい」
「怪物討伐の話で」
「ちょっと待って」
扉が開くと、眼鏡をかけた女が現れた。ふと胸元に目がいくが、大きな谷間ができている。すぐに顔を見るが、不機嫌そうな表情を見せた。
「中にどうぞ」
「お邪魔します」
一室に、羽瀬優と渚の姿はなかった。あの車はこういう業界で使う車なのだろうか。ソファに腰かけると、お茶を出された。
「ここに名前とか」
紙を出され、俺が書いていると。
「金目的にしては、命知らずになりますけど、大丈夫ですか?」
動機の欄を見て、女は聞いてきた。彼女は向かいの椅子に腰かける。
「わたくし、佐藤と申します」
佐藤はそう言って、俺と目を合わせる。
「へえ、○○病院の怪物を倒したのですか。あそこって」
佐藤がスマートフォンを操作すると、怪訝な顔を見せた。
「まだ討伐完了されてませんけど」
「ああ、今さっき倒したんです。そのお金も貰わないといけないですね」
「今さっきって、道尾さんですか。道尾さん、本当ですか?」
「ええ、本当ですけど」
「だって、あの病院のやつは、過去に何回も討伐失敗に終わったんですけど」
「そうなんですか」
俺はポケットから名刺を取り出した。
「この、羽瀬という人と、渚という人もいましたが」
「へえ、有名なハンターじゃないですか」
「そうなんですか」
「そうなんです」
「でも、やられそうだったので、助けました」
「そうなんですか」
佐藤は信じている様子もなかった。
「その、○○病院の怪物を調べてください。すぐに賞金を頂かないとお腹が減っちゃって」
「まあ、本当にあなたが倒したのなら、そのうち報告が来ると思いますよ」
「ここで待っていてもいいですか?」
「わたしも忙しいので」
俺は佐藤と目を合わせる。彼女は困った顔を浮かべた。すると、扉が開いたのだ。年を取った男が現れ、佐藤に告げた。
「佐藤さん、都立病院の怪物、討伐されたみたいですぞ」
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