第30話 恋愛と、自意識過剰
自意識過剰の恋愛沙汰の話に誰が興味をもつのかと、自意識過剰なりに数日悩んだ。が、自分をありのままにさらけ出して生きていくほかない自意識過剰としての矜持が、恥ずかしさをほんの数ミリ上回って執筆、公開に至る。
なんか初回でも似たような旨をとうとうと述べた記憶があるが、初心に帰ったとみなしポジティブに受け止めることとする。
自意識過剰は恋愛感情がよくわからない。
まず、「好きか嫌いか」という単純な2択でさえもわからない人間にとって、恋愛感情はひどく複雑な数式のようである。サインコサインタンジェントレベルである。あの科目の小テストで自意識過剰は3回にわたって不合格を叩き出し、4回目でようやく合格点に至ったことを追記しておく。
サインコサインタンジェントが何なのか、大人になった今でもよくわかっていないが、こうして話のネタとして使えるという点においては学んだ価値があると思っている。今思えば義務教育なんてその程度の気概で望むべきもので、満点を取れなかったからと沈鬱な気持ちで大人にテスト用紙を見せるのは間違っているのではないかしらん。
などと戯言を吐く。
閑話休題。
学生の頃は恋愛感情だと思っていたアレコレは、大人になって振り返ると単なる執着だったり自己愛の塊だったり、少なくとも世間一般で言われるところの恋愛感情とは違っていた。
自意識過剰はずっと愛を求めていた。
だからこそ、恋愛感情を介して他人に愛を振りまき、相手から返される愛を生きがいとして人生をどうにか立ち行かせていたように思う。
そこに相手を思いやる、真の愛などないのに。
「類は友を呼ぶ」と世間で言われる通り、偽物の愛には偽物の関係がついてくる。けれど愛を求めていた自意識過剰にとっては、なにが真実でなにが嘘か理解できないほどに相手の存在が必要で、関係の解消は自分自身を失うことと同義だった。
それは相手も同じだったのだろう、結果的にお互いを憎みながらも常に一緒にいるという、人間関係として最悪な構図のまま数年が過ぎた。そして相手に何年も、自分の未熟な自己愛の暴走に付き合わせてしまった。本当に申し訳ない。
自意識過剰に気づいてからは、自分自身の心の井戸について思いを馳せる時間が圧倒的に多くなった。それは恋愛感情を経由しなくても、他人から愛をもらえるようになったからだ。カクヨムでの投稿でいただける反応や、仕事でのお客様からの感謝のお言葉。加えて、職場の方々とのコミュニケーションにより、これまで知っていた「愛」の意味と、本当の「愛」の意味の違いを知った。
周りの大人たちが与えてくれた「愛」は、大人たちにとっては「愛」であったとしても、自分にとっては甘くコーティングされた毒だった。
身分や役割に応じて、本心とは異なるものの、与えなければいけない義務感による不本意な気遣い、注意、意識。それらの総称が、愛だった。
だから自分は、他人へ向ける愛を封じた。
自分の愛は毒である。まずは自分自身へ向ける愛の意味を、正しいものに直さなければならない。
そうしてようやく、自分を本当の意味で好きになれてから、自分を愛せてから、他人を本当の両目で見れるのだと、愛せるのだと思っていた。
そう信じていた。自分自身に裏切られるまで。
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