第29話 確信と、自意識過剰

ずっと確信が欲しかった。


自意識過剰の根源には「愛される確実性」を失っていることも少し、いや多分に含まれる。

絶対に愛してくれるはずの存在から、愛を向けられない事実はとてつもなく受け入れがたく、同時に永遠に愛を求めて彷徨う未来を意味する。


などと小難しく言うのはここまでとして。


幼かった自意識過剰が愛されるためには、ひたすらに追従、肯定、受容するしかなかった。

反抗、否定、拒絶はそのまま返ってくるから。

少なくとも笑顔で頷いていさえすれば、誰も怒らないし悲しまないし失望しなかった。


それはある意味、人間である意味を放棄していたのかもしれない。自意識過剰の職場でのあだ名「ロボット」は、本当によく付けられたと思う。

どう足掻いても人間になれないあたりが図星で、どうしようもなく合致していて。


その積み重ねが、自意識過剰の自分そのものを鈍く重く自意識の殻に閉じ込め、そして私は息を吸うことすらままならなくなった。


あるいは「そうするしかなかった」と他人任せにして自分自身への反省を怠っているのか。

自意識過剰は今も、自分自身が嫌いだ。

受け入れられないから、好いてくれる他人を無意識に拒む。自意識の網を張り巡らせ、片っ端から出会う人に怯える。好意を受け取り、裏切られるかもと勝手に遠ざけて、そのくせまた優しくされたら疑うことなく享受する。


あなたにとって、私はその他大勢のうちのひとりでしかないのに。大した意味など持ちようもないのに。そうでしょう?


自意識過剰は混乱している。


自分の気持ちがわからない。


誰が好きで誰が嫌いか。

何が好きで何が嫌いか。

あの人のことは好きか嫌いか。

本当はどうしたいのか、何が欲しいのか。


ずっと相手の顔を見ている。

そこから自分の作るべき表情、話すべき言葉、相手の望む何者かになろうとして、なれるはずもなくて、本当は相手じゃなくて自意識過剰が無意識に作り出す相手の形をした膜を見ている。


偽物の両目。


だから嫌いなんだ、相手に踏み込まれるのも踏み込むのも自分の汚さを知ってしまうから。

醜い人間だと我ながら思う。


乱雑に袋に放り込み片付け、数年後ようやく発見した頃には絡まりすぎて使いようのない毛糸。


どこが始まりで、どこが終わりか。

そんな問いなんてなくても、とっくに知っている、ここに毛糸が存在するって。


確実を求めるのは周りの人間にではない。

確実を欲しがっても手を伸ばしても、手に入らない現実を見るのではない。

自意識過剰のなかに生まれた「確実」に、

私は今、確かな手応えを感じている。

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