第11話 満月と、自意識過剰

中秋の名月である。

このエッセイもどきもムーンサイドと称するからに、また個人的な好みとして月が好きであるゆえ、今日は少し特別な日にしようと思い立った。


以下、やや近況ノートとエッセイが入り交じった文章が続く。また、作品についての話も若干混ざるため、作者の主張と作品を別々のものとして捉えたい方は、ここで引き返していただきたい。




先日、自分が書いた小説を読み直してみた。


最古で10年前のものから、カクヨムに投稿を始めた数年前のものまで、ひととおりざっと。

その中でまだどこにも投稿していない小説が、たまたま百合であると気づいた。それが「未来予知」という作品であり、今日19時に公開される見込みだ(この文章が皆様の目に触れている時点では、既に投稿されているはずだ)。


加筆修正をしたのちに投稿しようか悩んだが、当時自分の持ちうる力をすべてつぎ込んで作り上げただけに、思い入れが強い。カクヨムで読みやすいよう、句読点の位置などは調整したものの、本文には手を加えず投稿した。

今の自分には書けそうもない、鬱々しくドロドロとした作品。嫉妬、虚言、愛憎……若いからこそ書けたのだろう。今の自分が「閉塞した堂々巡りの鬱」を書くならば、昔の自分は「壊れても突き進む鬱」を書いていた。


楽しんでいただけたら、あの頃の自分がきっと喜ぶと思う。「きっと裏があるはずだ」なんて、素直には受け取らないだろうけど、それでも。


思い返せば、10年前と今とでは随分と書くようになった。

必要に迫られて書くのと、書きたくて書くのでは全く違う。あの頃の自分を動かしていたのは、ストレスの発散にも近い暴力的な感情の発露だった。結果、あのようなあまり気分の良くならない作品が完成するのだが、思い返せばそれもまたひとつの通過点になっている。


次、同じようなメンヘラのヤンデレの百合を書くときは(だいぶ先になるだろう)、あの作品を超えなければならない。それが少し怖くもあるし、楽しみでもあると思える自分がいて嬉しい。


余談だが、おまけに昔書いた百合作品のプロットを数個発掘した。当時は流行りの学園ラブコメをこよなく愛していたはずだが、なぜ百合のプロットがあるのか……ともかく、時間の隙間を見つけてショートショートとして書き進めるつもりだ。


そしてまた来年、中秋の名月で世間がにぎわい誰もが夜空を見上げるとき、少し特別な日になるよう今後とも尽力したい。


素敵な夜を過ごして欲しい。

無論、今日に限らず明日も明後日も。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る