第12話 鍵と、自意識過剰

子どもの頃から、肯定されるより否定される回数のほうが圧倒的に多かった。それは自分自身の言動も含めて、テレビに映るグルメから道ですれ違う人まで、ありとあらゆるものを私の周りの大人たちは否定していた。


例えば、クリスマス前にチキンのCMが流れたら「毎年同じようなCMばっかやるんだな」とか。

夕方のニュースで町中華の特集を見て「こんなに多いと食べられない」とか、「誰が食うんだよ」とか。まぁよくもそんな悪く捉えられるもんだ、と思わず感心してしまうほどには「価値下げ」発言が多い。本当にすごいと思っている。


では自分はどうなのかというと、否定されないために周りの顔色を必死にうかがいまくる「人間もどき」に成長した。ちっとも自慢にならないが、大学を卒業するまで、洋服は周りの大人が「これはいいんじゃない?」と許可するものしか着ていなかったし、自分で買おうとも思わなかった。まず、欲しいという気持ちが湧いてこないのだ。


そんな自分が初めて夢中になったのが、ライトノベルだった。それまで文学や参考書に費やしていた図書カードが、すべてライトノベルによって溶かされた。(当時は1冊600円程度で買えたし、栞やポストカードなどの特典も豊富で……昔話はさておくとしよう。)


無論、ライトノベルを初めて買ったときも難色を示された。表紙および挿絵の「肌色面積が多い」ことを主に指摘されたが、思春期とも相まって完全に無視していた。いざとなれば「読書は(なんであれ)いいものである、するべきである」という教訓に従ったまでだ、と論破するストーリーまで描いていた。当時の自分にとって、ライトノベルはそれほどまでに魅力的だったのである。


閑話休題。

これまでに何度か不調を迎えたことはあるものの、今年の夏のような長期にわたる不調は初めてだった。執筆活動が上手くいかないこと、身内の不幸、今年も半分過ぎている焦り。それなりの納得のいく理由は挙げれば数多くあったが、それらだけのせいではないとも思っていた。


そして自意識過剰の根源、否定から逃れるだけの自分の人生に気づいたとき、この世界にはもっと楽しいことがたくさんあるのではないかと思い至った。それは幼い頃から否定ばかり味わってきた自分にとって、不調がなければ気づけない、まさに「目からウロコ」の発想だった。


じゃあ何をしてみようか、そう考えたとき、机に広げた真っ白なノートには一向にペンが進まなかった。何か思い浮かんでも、すぐに否定の声が邪魔をしてくるのだ。


ひとりカラオケ。音痴のくせに?

散歩。出不精のくせに?

新しいゲームを買う。どうせ積むのに?

旅行。そんなお金がどこにある?


それが限界だった。そもそもやりたいことがない、欲しいものもない、別に死にたいとは思わないけど必ず生きていたいとも思えない。

現実感覚が希薄で、欲求が弱いのだ。


楽しいこと、どうやって探せというのか。


その夜、奇しくも飲み会があった。

自意識過剰をこじらせながらも参加に手を挙げていた自分は、楽しさと緊張が混ざった複雑な気持ちで飲み会に足を運んだ。


そこでは、酔っ払った人生の先輩方が様々な話をしていた。職場のガラスが当たり屋に割られた話、新しい趣味が欲しくて教室に通っている話、恋人が欲しいけど出会いがないからマッチングアプリを始めた話。予定時間を大幅に過ぎ、解散した頃にはすっかり真夜中、私は徒歩での帰宅を余儀なくされた。帰り道、飲み会で聞いた様々な話を脳内で整理して、味わっていく。


考察の結果、不思議な発見をした。人生の先輩方は、おおむね肯定的に受け止めるのだ。飲み会において発された言葉は、「やってみようかな」や「それもいいね」など、どれもポジティブで希望のオーラをまとっていた。


なるほど、私は合点した。

きっと否定的な言葉をたくさん浴びてしまった自分は、見えている何もかもを「否定されるから」で閉ざして、見ないふりをしている。それが当たり前になっているから、楽しいことを探そうとしても思いつかないのだ。


だから、まずは楽しいことを探すんじゃなくて、やりたいことを探すんじゃなくて、この世の中にあるすべての可能性をアンロックして、マイナスをゼロにしないといけない。そこから始めないと、私の目には何も見えていなかった。


歩く道すがら、私は見えるあれこれに心の中で指を指す。若者がたむろするコンビニ、個人経営の美容院、明かりのついた居酒屋、閉まっているカレー屋、成績アップをうたう塾。すべてアンロック、この世に存在していていいもの。私が行こうと思えば行ける所。


それ以降、外出するたびに目に入る色々なものをアンロックしている。流行りの洋服、高級なサングラス、謎のぬいぐるみ、綺麗な写真の図鑑、かっこいいスニーカー、座り心地のよさそうな椅子。すべて、私が欲しいと思えば手に入るもの。もちろん、お金があればだけど。正確には、「欲しいと思っていいもの」だ。


世界は若干カラフルになった。

別に、目に見えて変わったわけじゃないけど。

少しだけ、生きやすくなった気がするのだ。


これまで「何かが欲しいから頑張って働く」という意味がわからなかった。頑張って働くほどの欲しいものがなかったから。明日にでも死んでいい自分にとって、大事なものなんてなかった。

だけど今なら、まぁ少しだけ理解できる。どうせ死ぬのなら、自分が好きなものに囲まれたほうが幸せな感じがするからだ。


そう考えてから最近、靴を買った。

外出するたびに足取りが軽くなった。

好きな匂いのする歯磨き粉も買った。

磨き終わった口からいい匂いがした。

気になっていたけど怖くて尻込みしていた、アイドルのライブ映画にも行った。

入場特典で欲しかったカードが出た。


ただ、嬉しい。それらが積み重なることで、世界が素晴らしいものに見えるのだろう。


この前SNSを見ていて、気になる洋服を見つけた。近いうちに買いに行こうと思っている。


アンロックした世界は、悪くはない。

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