第13話 ポジティブ人間と、自意識過剰
職場にポジティブ人間がいる。
今回はその人と自分との差異の話だ。
自分より1年ほど後に入ってきたポジティブ人間と自意識過剰は、それなりに仲が良い(と自意識過剰が勝手に思っているだけかもしれない)。奇しくも年齢が近く、趣味も似通っていた。ゆえに、だろう。
どうしてもまぶしく見えてしまうのだ。
ポジティブ人間は、まず人と接することに恐れがない。老若男女、どんな人であろうとすぐに話しかけるし、返す言葉も明瞭だ。
そして、自分ならプレッシャーで押しつぶされそうな場面も、ひょうひょうとしている。
以前、同じ研修を受ける機会があった。
普通の人なら触らずに一生を終えるような複雑な機械の操作を覚えなければならないのだが、自分はとにかくメモを取り、頭に情報を詰め込んだ。私は己の記憶力を信用していない。現実と妄想の区別が(やや)つきにくい自覚があるからだ。信じられるのは文章、言葉だけである。
それはさておき、研修を終えて先輩から感想を求められた瞬間、ポジティブ人間のポジティブ人間たる所以を思い知らされた。
ポジティブ人間は言った。
「いろいろな機械を触れて楽しかったです」
衝撃だった。
この覚えることが山積みな研修をもってして、そんな感想がどうやったら出るのか、と。
(ちなみに自意識過剰は「覚えられるよう頑張ります」と何のひねりもない感想をひねり出した。)
他にも、ポジティブ人間のすごいところを挙げていけばキリがない。
最近驚いたのは、休憩中「自分、明日誕生日なんです!」と発言し、周りの人に拍手をもらったことだろうか。自分なんて、まだ誕生日すらろくに発言できないのである。学生時代は存在しない日付を口にして誤魔化していた。意外と気づかれない6月31日がオススメ(素人は真似してはいけません。人間関係が崩壊します)。
ポジティブ人間は自分より遅く入ったにも関わらず、もはや自分より職場に馴染んでいる。自意識過剰はまだ特別な理由がない限り、職場の人に自分から話しかけることができない。
やはり、自己肯定感なのだろう。
ポジティブ人間を見ていると、つくづく思う。
ポジティブ人間には恐れがない。
自意識過剰には恐れだらけだ。
今話しかけてもいいだろうか、話は面白いだろうか、わかりにくくないだろうか、適切な答えが返せただろうか、自慢になってないだろうか……。
自意識過剰にとっては、会話がつらい。
常に自分を査定されているような、試験を受けているような気分になるからだ。もちろん、その結果次第では合格か(良好な関係の継続)不合格か(関係の断絶)が決まってしまうのであって、自分は不合格を恐れている。誰に対しても好かれたくて、誰に対しても嫌われたくない。これが自意識過剰の根源である。
ポジティブ人間は、ただ自分のしたい話をして、素直に自分の思ったことを口に出し、リアクションをする。そこにネガティブなものが含まれないから、周りの人から好まれる。そうして、人が寄ってくる好循環を生み出しているのだ。
自意識過剰には到底難しい好循環を、いとも簡単に成し遂げるポジティブ人間。こんなふうに生まれてたらなぁ、と考える日もあるけれど、自意識過剰には自意識過剰にしかできない何かがあると信じて、どうにかこうにか過ごしている。
根拠はある。
自分がポジティブ人間として生まれていたなら、小説なんてめんどうなものを書かずに生きていくはずだから。
あ、そんなことはないかも。
ポジティブ人間はポジティブな小説を書いて、世間の人々をこの上なく喜ばせるだろう。
でも。でも、だ。
人間社会をもがきながら生きる小説を書けるのは、きっと人間社会をもがきながら生きる自意識過剰だけだと思いたい。経験したことを書くのが小説の本筋じゃないから、あまり説得力ないね。
信じたいので、私はそれを信じます。
自意識過剰を肯定できるのは、自意識過剰だけである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます