第14話 裏表と、自意識過剰
幼少期から、周りの大人たちの二面性を嫌というほど見てきた。
それは例えば、親戚から突然電話がかかってきたとき。自分にとってはお盆やお正月になれば祖父母の家で会い、顔を合わせる程度の関係だ。
電話中は、とても楽しく話している。明るい声で打たれる相槌に、「また今度行こうね!」の言葉。電話の内容に限れば、至って普通の光景に思えるだろう。だが、受話器を置いた瞬間、周りの大人たちは本性を現す。
舌打ち。
「かけてくるなよ、うるせぇな」
さっきまであれほど楽しげに話していたのに。
また、人のことをあれほど「素晴らしい」と褒めていたにも関わらず、きっかけひとつで「最低」と真逆の評価を下すこともあった。
例えば芸能人のことを最初褒めていたのに、なにかの事実(不倫とか炎上とかではない、例えば喫煙や飲酒など個人の趣味嗜好)ひとつで「そんな人だと思わなかった」「苦手」などと言うようになるのである。
初めてその光景を見たときは、自分の目を信じられなかった。真逆ともいえる二面性。
それを感じる場面は、思い返せば多々あった。
外食した先で「おいしかったね」と言ったかと思えば、帰宅して「もう二度と行かない」。
明日どこかへ連れて行ってくれると言うから、楽しみに寝て起きたら「やっぱやめた」。
その繰り返しで、自分は人間とはかくも恐ろしいものであると学んだ。人の言葉は簡単に翻り、感情は反転し、自分は裏切られる。
ところが、そんな環境を見てきたせいか、裏表は自分にも現れてしまった。
極度に緊張すると、なぜか上手くしゃべれるのだ。その間、自分を俯瞰しているように感じ、記憶が曖昧になるという謎のハンデつきで。おかげで入試の面接は気づいたら終わっていたし、接客業もそれなりにこなすことができた。
それは自分に「チートをしている」という悩みをもたらした。バカみたいに自意識過剰な悩みだ。
本来の自分は人見知りで、普通にしゃべることもままならない陰キャだ。それなのに、面接や接客では陽キャさながらにハキハキしゃべるし、相手が誰であろうと笑顔で対応している。
その切り替えを自分でコントロールできないことが、年齢を重ねるにつれ一層悩みの種になった。
仮に自分が試験官および採用人事の側だとして、面接ではハキハキしゃべっていた人が、入学・入社式ではオドオドしているのだ。
きっと騙された、と思うだろう。
もはや詐欺である。
あまりにも自意識過剰極まりない思考だが、学生の頃の自分にとってはそれが怖かったのだ。
今になって、本当に恐れていたのは人を騙す申し訳なさではなく、裏表があることで人に失望されるのではないかという不安だったとわかるけど。
昔も、そして今も。
その乖離が、怖かった。
どちらが本当の自分だろうと考えあぐねた時期もあった。なぜ私の性格は勝手に切り替わってしまうのだろうと、幾度となく考えた。
答えは見つからなかった。
せめて自由自在に切り替えられたら、多少は楽になれたかもしれないのに。
裏表のない明るく素直な人間になりたかった。
そのせいで損をしたとしても。
今の職場でも、緊張するとびっくりするほど口が回る。最初こそ「そんなにしゃべれるんだね」と驚かれたものの、慣れたのか次第に何も言われなくなった。呆れられたのかもしれない。
ある眠れない夜、ぼんやり月を眺めていた。
上弦の月だ。半分が隠された月は、同時に半分をその空に晒していた。
自分みたいだなと思う。けど、自分に限らず誰しもに見える部分と見えない部分の両方があって、それを上手く使い分けているのだろう。
自分は使い分けるどころか自動的で、あまりにも下手すぎるけども。
いつか満月になりたいと、ぼんやり願った。
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