第9話 星と、自意識過剰

内省の夏が終わろうとしている。


前回のエッセイで、私はこう語った。

「私は自分も読者も信じていなかった」と。

これは、その原因にようやくたどり着いた話だ。


自己肯定感という言葉がある。

おおむね、その意味についてはご存知だろうと思うが、軽く説明するなら「等身大の自分自身を愛せる能力」だろうか。


私には、それがなかった。

が、そんなことは承知の上だった。


こちとら、職場の休憩室のドアを何回ノックするかで思い悩む自意識過剰である。普通じゃない自覚だけはいっぱしで、生きにくさの根源を探し求める知識だけは豊富に持ち得ている。


生きにくさの根源、自意識過剰の発生経緯、自分の過去をそれなりに振り返ったとき、自己肯定感の低さは理解したつもりでいた。この、「つもりでいた」うえに、その自覚がなかったことが問題だったのだ。


眠れない日々が続いていた、ある夜。

音楽プレーヤーに繋いだイヤホンから流れる曲は、「もし願いがひとつだけ叶うなら」をテーマに歌っていて、意識と無意識の狭間にいた私はその歌詞について考えてみることにした。

眠れない夜を少しでも楽しく過ごしたいがための、ひょんな思いつきだった。


宝くじが当たる?

いや、当たったとて幸せになれる保証はない。

後悔の過去に戻る?

別に今更、どうでもいいような気もする。

欲しいもの、困っていること、夢のような話。

いろいろ思いつくものの、どれも「ひとつだけ」に当てはまるような叶えたい願いはなかった。


無意識の私は、こんな答えを返してきた。


「自分じゃない自分になること」


瞬間、ずしりと自覚した現実が胸に落ちる。

私は、自分のことが嫌いだった。

絡まっていた糸が、すべて解けた感覚。

自分も読者も信じられないのは、自分が嫌いだからだ。あーあ、そっか。ひとり、つぶやいた。


その日から、何かが変わったかといえば違う。

昨日も今日も自意識過剰だし、自己肯定感は低いし、小説を書くことは苦手だ。

だけどほんの少しだけ、お盆を過ぎて夏の暑さが少しだけおさまったみたいに、この世界で息がしやすくなった。いや、元々息苦しさらしい息苦しさを感じていなかったから語弊があるけれど、少しだけ肩の力を抜いて生きられるようになった。


そして、いかに自分が「否定から逃れる」ために生きていたのか、自覚した。

「〜しないために」で選ぶ選択肢の中身は、どうあがいても苦しみしか生まない。「嫌われないために」「後悔しないために」「否定されないために」無難な選択をし続けると、そのうち何のために生きているのか忘れてしまう。そして、「否定されて生きるより、否定されて死んだほうがマシ」に行き着く。少なくとも死んだあとは、否定の声は届かないはずだから。そう信じたいから。


振り返れば、私の人生は空っぽだ。

否定されないためにテストで満点をとり、

否定されないために命令のまま読書に励み、

否定されないために将来の夢を小説家と定めた。


否定されないように生きることは、私にとっての生存戦略だったから。


大人になってからも私は、


嫌われないために人の顔色をうかがって、

怒られないために事実を脚色し、

捨てられないために笑顔で媚びた。


その結果、誰よりも私は自分自身を否定して、

嫌って、怒って、捨てた。最悪だ。


さらに最悪なのは、周りの人も否定したことだ。

否定されないために生きてきた私は、きっとたくさんの人を否定した。自分の人生こそが正しいと信じたくて。自分は間違ってないと、否定されるはずがないと思いたくて。誰かを馬鹿にしながら、自分は馬鹿にされるはずがないと思い込んでいた大馬鹿者が、まさに私だ。


自意識過剰は、そんな自分が生きるための武装だったのだろう。そのことに気づいてから、これまで見ないふりをしていた選択肢に目を凝らすよう心がけている。


ある朝、起きてすぐ散歩に出た。

今までなら、絶対にちゅうちょしたことを全部やってやろうと思った。

髪はボサボサで、空腹で、服は適当なTシャツで。好きだから買ったけど、派手すぎて似合わないかなぁと思っていたバッグと共に家を出る。

内側から、すぐに否定の声がした。

「気持ち悪い変な奴が歩いてると思われるよ」

「そんなバッグ、似合わないくせに」

「朝から散歩とか、意識高い系ぶってるの?」

そんなことより、暑かった。化粧品売り場にキンモクセイが並ぶ時期ともなれば、少しくらい太陽も手加減してくれてもいいだろうに。ぴかぴかの青空の元、心地よい風が吹いていた。

「……たしかに、暑い」

コンビニに寄って、アイスコーヒーを買った。

「飲み物のカップを持って歩く人、嫌いだ」

「オシャレに見られたいの?」

「こんな地味な奴がコーヒー片手に散歩なんて」

片手に歩く。結局、それらはすべてひがみだ。

きっと世の中のすべてが「すっぱい葡萄」に見えて仕方がないのだろう。その「すっぱい葡萄」の存在すらもシャットアウトすることで、自分は現実から逃げて生きていた。だから、これからひとつずつ食べていく。たしかめていく。文句を言うのも否定するのも、そのあとでいい。


散歩のあと、私は問いかけてみた。どうだった?

「悪くはないんじゃない?」

返ってきた答えに、笑う。それなら良かった。


夏休みの宿題。

「自分にとっての読者の再定義」

自分は自分でしかないなら、読者は読者だ。

それ以外の理由も意味もいらない。

ただ存在してくださるだけでありがたい。

それ以上でも以下でもない。

理由も意味もなく、存在が嬉しい。

それは、ふと見上げた夜空に光る星に似ている。


今年の冬は、天体観測にでも行こうかな。

いいスポットがあれば、是非教えてほしい。

たとえ星が見えなくても、私は天体観測に出かけた私を肯定する。

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