第2話 こまかすぎる疑問は、自意識過剰

職場の休憩室に入るとき、ドアのノックを2回するか3回するか毎回悩んでいる。トイレの個室が空いているか確かめるときは、2回ノック。面接のときは3回ノックするというマナーを習った。では、職場の休憩室は何回ノックすればいいのか。当然だが職場の休憩室はトイレではないし、面接の場でもない。1回では明らかに変だし、かといって4回叩くほどの勇気はなく、悩みに悩んだ結果交互にノックすることにした。次は3回ノックする番である。


家の片付けをした際、もうどこの店でも買い取ってくれなさそうな漫画が発掘された。元々が中古で、しかも90円で売られていたものだから状態がかなり悪い。そこでゴミに出すことにした。

古本のゴミ回収日を調べたが、ダンボールや雑誌こそあれど古本は出てこない。と、雑誌の隣に書かれた「雑紙」が目に止まった。読み方は雑誌と同じくザッシでいいのだろうか、漢字から察するに雑多な紙つまりは不要になった紙という意味のはず。もし古本が雑紙に該当しなければ、回収の方々は置いていくだろうし、そうなればこっそり家に持ち帰ろう。そう決意し、数々のダンボールが積み上がる回収場に、10冊ほど束ねた古本を出した。茶色のダンボールの脇にぽつりと置かれた漫画のタワーは、絵柄も相まっておそろしく目立っていた。しかし、夜にはダンボールと一緒に跡形もなく消えていた。ゴミとして回収されたのか、それとも誰かに漫画として回収されたのか。怖くなって、片付けはそれ以降止まっている。


「ありがとうございました」と言うのが苦手だ。理由は単純で、訛りを笑われたからである。海と山に囲まれた地で幼少期を過ごしたのち、都会に引っ越してきた私を待ち受けていたのは、イントネーションによる嘲笑だった。いや、嘲笑という言葉は正確ではない。向こうからしてみれば、不思議な言葉をしゃべる田舎っ子は見ているだけで面白く、自然と笑顔になれたのだろう。だが、田舎っ子本人にとってはショックだった。普段使い慣れた言葉が通じず、落ちた消しゴムを拾ってくれた子に「ありがとう」と言えば笑われ、次第にしゃべることを我慢するようになった。幸い、読書好きで優等生というキャラ付けをしていたこともあり、そこに無口キャラを付け足すことは難しい話ではなかった。


結果、その無口キャラが今に至るまで浸透してしまい、職場で馴染めない苦しみを味わうことになるのだが。ちなみに、「ありがとう」と「ありがとうございます」は接客業の経験から言えるようになった。なぜか、「ありがとうございました」だけが今も言えない。言うと必ず訛る。自分では感謝をしているのは過去ではなく今なので、「ありがとうございます」でいいんじゃないか、と理由をつけて生きている。


人に作品名や作者名を言えない。言える物事より言えない物事のほうが遥かに多いが、作品名や作者名は「ありがとうございました」に次いで日常に支障をきたす困りフレーズである。理由はこちらも単純で、正確な情報をお伝えしようと試みるからだ。仮に、誰かから「好きなラノベある?」と問われたら、その人との関係や自分の自意識のアレコレを抜きにして、まず正しい作品名を調べる。自分の記憶力をアテにしていないため、とにかく調べる。作者名も同様、ラノベであれば出版レーベルも調べる。そして公式サイトに載っている正確なタイトルをお伝えする。これがいわゆるSNSであれば調べてお伝えできるのだが、対面で会話ともなれば調べる隙がない。毎回、ここぞとばかりに無口キャラを活かして、「……特には」と答えを避ける。おおむねそんな感じで生きてきたことが、今更だが信じられないです。書いてて驚きました。


言えないことは他にもある。好きなもの、人、こと、場所。つまりは自己紹介ができない。ゆえに春はよく困っていた。自己紹介をしろと言われるけども、紹介するほどの自己がないじゃないかと心の底からそう思っていた。今は、自己紹介とは本当に自己を紹介するという意味ではなく、他人と関係を円滑に築くための共通項や意外性を提示しましょう、という意味だと理解しているので、そこまで苦しまずにこなせるようになった。私は読書とゲームが好きです。いや、でも最近ゲームはほとんどしていないし、自己紹介するほどの事柄だろうか?ちなみに、「どんな本が好きなんですか?」と質問されれば、無口キャラを活かして「……なんでも読みます」と、答えます。


少しはエッセイぽくなっただろうか。これまで読んできたエッセイを思い出しながら、それとなくテーマを決めて書いてみたが、自分の幼稚さと過剰すぎる自意識にやや嫌気がさしてきた。


生きにくいという言葉が普通に使われ始めた昨今であるけれども、私にとっての生きにくいというのはまさに上記に書いたようなことである。休憩室のドアを何も考えずにノックしたい。古本なら雑紙だから、ダンボールの回収日に一緒に出そう。ありがとうございました、またお越しください。好きなラノベは○○です。○○先生が書いています。○○文庫から出ています。読書とゲームが好きで、よくラノベを読みます。かわいい女の子が表紙で、学園ラブコメが大好きです。


それを自然にやりたいのだ。なぜいちいち考えてしまうのか、不思議で仕方ない。むしろ、他の人たちはなぜ自然にできてしまうのだろう?


ずっと考え続けている。その謎を解明しようと、周りの人をよく観察しているうちに、誰かが自分のことを不思議な人間だと観察しているんじゃないかと思い始めた。自意識過剰がめぐりめぐった瞬間である。今日も生きにくい。

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