第4話 カフク? いいえ、禍野福也

『これ、明日までにやっといて』

『終電がなくなるだと? じゃあ泊まっていけばいいだろ』

『俺らが若い頃なんて、毎日残業は当たり前だったぞ』

『これだから最近のモンは根性なしなんだッ』

『深夜手当だあ~? うちみなし残業だから』

『会社から給料貰っておいて、恩返しの気持ちがないとか薄情者ですかぁ?』

『おい、聞いてんのか? はいはい頷いてんじぇねえよ』

『返事もまともにできねぇーのかよ! お前、小学校からやり直せば?』


 やり直せるなら、小学生からやり直したい。

 禍野福也は、どこにでもいるようなごくごく普通な社畜である。

 募集要項が何一つ正しくないブラック会社の罠にひっかかり、サラリーマンという名の奴隷に身をやつして早三年。


 マナー講習会や社会人セミナーを通して隷属の素晴らしさを学び、福也は日夜会社の利益に貢献している。


『長時間働かせてもらい、お金まで頂ける。こんなに素晴らしいことはない』


 曇った瞳を燻ぶらせて、一日、また一日、精神をすり減らしていく。

 カンカンカンカンカン――っ!

 列車がホームに到着します。黄色い線の内側でお待ちください。

 もうすぐ始発電車がやってくる。


『昨日は終電で帰宅してしまったので! 今日は六時から働かせてもらいますっ』


 急げ急げ。誰よりも早く出社しないと!

 福也は焦燥感を滲ませながら独り言ち、そこにない錯覚のドアへ足を延ばした。当然、足を踏み外す。福也がバランスを崩し、線路へ吸い込まれるように落ちて――


「ハッ」


 …………

 ……


 ああああああああああああああああああああああああああっっ!

 思い、出したっ! 俺、転生者じゃんっ!?

 禍野福也。享年、24。


 ブラック会社で自由意思を奪われ、こき使われていた男。

 極度の疲労から幻覚と幻聴に支配され、最後は迫りくる電車に飛び込んだ……?

 俺は、ぶるぶると頭を振った。


「一体、どうしてこんな大事な話を忘れていた?」


 うんうん唸り始めて幾星霜。

 記憶のジグソーパズルを埋めていけば、真実のシルエットが浮かび上がった。

 あれは、異世界転生お馴染みの謎空間の出来事。


 運命の枠外でうっかり死んだ俺に提示された選択肢が二つ。天に召されてエンドレス日向ぼっこ、はたまたご日本人向けご都合主義な異世界転生するか。

 日本でリア充を謳歌させてほしいと懇願したものの、徳が足りないと却下された。


 そっちの不適際だろ、責任者呼べ! マジでクレーマーになる5秒前、先方はいろいろと便宜を図っておくとしぶしぶ折れた。ごね勝ちを許すな!(ダブルスタンダード)


 実際のところ、記憶の持ち越しや言語理解、環境適応にカルチャーショック対策などはけっして無償で行っていないらしい。今回はオールインパッケージをセットしてくれた。


 しかし、記憶の持ち越しに一つ問題が。日本と異世界では、メモリの拡張子が異なる。.zipファイルに圧縮後、エクストラな変換と解凍作業しなければならない。脳内ですべて展開するためには、死んだ時と同じ年齢で強い衝撃を受けることだった。


 ははーん、解凍ソフトの起動条件を俺の享年に設定しちゃったかぁ~。なるほど、覚えやすくていいね! って、そんなわけあるか!? 女神パワーでどうにかしろよ!?


 飛ばされた後しばらく、禍野福也の人生経験オールナッシング……ってコト?

 んなもん、もはや別人でしょうが! いい加減、責任者呼べやゴラァッ!

 異世界転生受付嬢は都合が悪くなったらしい。前例がないとかマニュアルに載ってないと言い始め、最後はお役所対応で禍野福也を異世界へ転生させるのであった。


 閑話休題。


 RPGチックな世界の小さな村でカフクとして生を受け、後にヒーローのギフテッドが判明するナギサと幼少を過ごす。青年期、何もない田舎が退屈で冒険者を目指そうと決意。ナギサのお供なお友達として大きな街を目指し、何やかんや冒険者を始めた。俺を除いた仲間たちが目覚ましい活躍を繰り広げ、今日に至る――


 さて、カフク。

 否、禍野福也。

 記憶を取り戻して現状の俺に対する率直な感想を述べたまえ。


「……このパーティーに必要なくね? どう考えても足手まといじゃん」


 そして、納得である。

 実力不足は明らか。かつてと同じ過ちを繰り返してはならない。


「ブラック企業にも、良心と呼べる先輩がいました。彼は仕事が遅い新人を罵倒せず、共にデスマーチを駆け抜けてくれました。無限残業編で俺が発狂しなかったのは、ひとえに先輩が希望の光にして命の灯だったからです」


 俺は思わず、独白した。懐かしい記憶。人の心には温もりが宿るのだ。

 さりとて、面倒見が良い上司に散々迷惑をかけたツケが回ってきた。

 先輩は過度なストレスと疲労の蓄積にて、社内で意識を失ってしまう。救急車で病院へ運ばれ、「わりぃ、やっぱつれぇわ……」の枯れ果てた弱々しい呟きがしばらく耳から離れなかった。


「俺の、せいなのか……? 俺が、無能だったから……?」


 入院後、彼と顔を合わす機会なんて二度と訪れなかった。

 会社はもちろんアットホームで、社員はファミリーである。

 根拠のない醜聞は風評被害だ。皆の家を守るためにも、かん口令が敷かれる。破れば、罰金や始末書の山々。朝礼で毎日謝罪の土下座、反省部屋へ部署移動などなど。

 思考力を奪われた生きた屍に、抵抗も拒否する力もなく……


「あの頃とは違うんだッ。今や、健全な精神が健全な肉体に宿っている!」


 俺は首を横に振った。

 確かに、文字通り生まれ変わっている。人は、考える葦である。

 けれど、人間の性根はそう簡単に変わらない。反省した変わったと言いつつ、その変化を証明する術は行動で示すのみ。


 目下、バックパッカーはヒーローの活躍におんぶにだっこ。

 背負うのは俺の役目なのに、なかなかどうして皮肉じゃないか。

 笑えないぜ、と笑みがこぼれてしまう。

 真に転生を果たしたとのたまうならば、あちらの後悔を克服してみせろ。

 手始めに、やるべきことを閃いた。


「――そうだ、追放されよう」


 結論、勇者パーティーに足手まといは必要ないのである。

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