第2話「噛んじゃいました」

「――なので、ここがこうなっているから――」


 数学の授業が行われている。俺は窓際の一番前の席。この席ってちょっと右斜め前に角度をつけないといけないから、黒板見るの面倒なんだよな……。

 いや、面倒なんて言ってたら、また大変なことになる。真面目に授業を受ける……のだが、さっきから説明もよく分からない。連立不等式ってなんだ……? 連なっている不等な式? なんだそれは。


 またよく分からないことを考えてしまった。隣の天乃原さんをちらっと見ると、真面目な顔でメモをとっていた。姿勢もいいし、横顔が綺麗で俺はドキッとしてしまった。


 ……いかんいかん、何を考えているのだろうか。


「みんな分かったかな、じゃあ、この問題を……橋本はしもと、前に出て解答を書いてくれるか?」

「ええー!? 俺っすか!?」

「俺っすか、じゃないよ。俺だよ。ほらほら、悩んでもいいから、とりあえず書いてみて」


 教室に笑いが起きる。橋本は背中を丸くしながら前に出て行く。

 俺は必死に教科書とノートを見る。今のはどういうことなんだ……ここがこうなって、あれで、うーん、よく分からない。


「――分からないって顔してますね」


 その時、隣からふと声が聞こえてきた。え? と思って見ると、天乃原さんが真面目な顔でこちらを見ている。


「分からないって顔してますね」


 また同じ言葉を繰り返す天乃原さん。う、うーん、そうなんだけど、分からないって言うことが恥ずかしかった。


「あ、いや、まぁ……」

「いいんですよ、分からないことは誰にでもあります。教えましょうか?」


 そう言ってまた椅子ごとこちらに近づいてくる天乃原さん……って、ち、近い……! 俺のノートをのぞき込む彼女の顔がすぐそこにあった。

 天乃原さん、まつげがけっこう長いんだな……って、そうじゃなくて! 近くてドキドキしていた俺だった。


「あ、あの、ここが分からなくて……」


 俺は恥じらいを捨て、天乃原さんに教えてもらうことにした。学年一位ならこのくらい余裕なのかもしれない。


「連立不等式ですね。こことここがこうなって、これで……」


 天乃原さんが俺のノートにペンで書いていく。字も綺麗なんだな……勉強ができる人は字も綺麗というのは本当のようだ。

 そして、天乃原さんの説明は、分かりやすかった。一つずつ丁寧に教えてくれる。


「……で、こうなるんです。どうでしょう、少しは分かったでしょうか?」

「あ、なるほど……うん、なんか分かった気がする。あ、ありがとう」

「いえいえ、なんか私がお役に立てたみたいで、嬉しいです」


 天乃原さんが俺を見たので、バッチリと目があってしまった。やっぱりまつげが長くて綺麗な目をしているな、メガネ越しでも分かる……って、そうじゃなくて! さっきから距離が近くてドキドキしていた。


「よーし、橋本ありがとう。分からない中でもここまで書いてくれたなら十分だ。説明していくぞー」


 先生が説明を始めようとしている。天乃原さんも自分の席に戻った。

 天乃原さん、いいにおいしたな……と、俺は変態のようなことを考えていた。



 * * *



 数学の授業が終わり、休み時間。

 分からないことはまだまだ多いが、天乃原さんに教えてもらったことで、一つは分かった。なんか嬉しい気持ちになる俺は単純な男だろうか。


「終わりましたね、なんだか疲れてしまいました」


 隣の席で天乃原さんがうーんと背伸びをした。今のは俺に話しかけたのかな……よく分からずに何も言わないでいると、


「赤坂さんは、疲れてないのですか?」


 と、俺の名前を呼ぶ声がした。あ、俺に話しかけていたのか。


「あ、うん、俺も疲れた……でも、さっきはありがとう。分かりやすかったよ」

「いえいえ、それならよかったです。分からないことは人に訊いたりして、理解していくといいですよ」


 いつも通り真面目な顔で話す天乃原さん。これがトップオブトップってやつか……いや、それはいまいちよく分からないのだけど。


「そ、そっか、そんなもんなのかな」

「はい、そうでしゅ」


 …………。


 ……でしゅ?


 もしかして今、噛んじゃったのかな? しかし、そのことにツッコミを入れたら怒られそうな気がしたので、なにか違う話題、違う話題……と、頭を回転させていると、


「……噛んじゃいました」


 と、正直に言った天乃原さんがいた。


 ……ちょっと恥ずかしそうにしている天乃原さんが、可愛く見えた。


 しかし、なぜ俺なんかに話しかけてきているのかは、いまいちよく分からなかった。

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