焼捨つ
夫の方は酷く妻を愛していた。所謂愛妻家というやつだったが、それと同じくらいの気持ちで嫌いなものがあった。それは義母である。彼の父親が再婚したわけではなく、結婚にあたって彼の母親になった女のことだ。つまり、妻の母親のことである。夫は妻を愛する反面、妻の母親のことを嫌っていたのは、その義母の性格が夫の価値観に合わなかったからだった。義母は、簡単にいうのならば守銭奴だった。何をするにおいても金の勘定で動いており、金が掛かるものは兎に角最小限で抑えるという吝嗇振りである。夫は暫くの間、といっても夫婦になってから数十年の間は辛抱していた。いうまでもなく、そらは妻を愛していたからであり、自分の母親が嫌われていると知った時の妻を見たくはないという気持ち由来であった。
ある夏の日、夫はとうとう発狂した。義母の金に対する束縛は、夫婦にも危害があり、それは結婚してからというもの長年続いたのだ。夫は我慢が出来なくなり、刃物を持ち出して「殺す」と言い放ち、義母の家へと向かおうとした。妻は狼狽えたが、母親が殺されるのを嫌がったのは勿論、妻も同様に夫を愛していたためどうにか宥め賺して落ち着かせた。夫の殺人衝動こそは落ち着いたが、未だ不満は残っており、手元にあった万年筆で自分の手の甲を刺した。妻は驚いたがすぐに冷静になって医療箱を持ってきた。
「馬鹿なことはやめてください」
と、妻は言った。夫は暫くの間、イライラしていたが、次第に妻の気持ちを汲み取って、どうにか落着したのだった。しかし、どうやっても義母に対する憎しみというものは無くならず、
「どうだろう、義母から貰った物は全て捨ててしまうのはいいだろうか。己は、義母からの贈り物があるのがどうしても嫌なのだ」
義母からの贈り物といえば、卓袱台や先程の刃物含め、殆どの生活品がそれだった。妻は一瞬迷ったらしいが、夫の不満がそれで収まってくれるのであればと思い、そこからは何の躊躇もなく承諾した。
夫婦の家の庭で火を焚いた。古新聞を薪として、そこに義母から貰った大量の生活品を投げて行った。時間は深夜だった。妻はその火を見守るつもりであったが、夫は自分の我儘に付き合わせて無理をさせているのが嫌でしょうがなく、催促する様に妻を寝かせた。しかして夫は一人になり、燃え上がる火を見ながら、義母からの贈り物を投げ捨てていった。この炎が鎮火する時、自分の憎しみは果たして無くなっているだろうかと訝ってみたが、それは夫の知れることではない。夫はそんなことを考えるのをやめて、家の中に残り物がないかを調べた。この機会に義母との決着をつけたいと思っているが為に、ほんの一つでも残滓すらも残っていたとなら、それこそ彼は義母を殺すだろう。部屋をまじまじと巡察し、玄関から丁寧に見て回った。そして、彼は見つけた。全て捨てたはずだと思っていたが、どうやら一つ残っていたらしい。
夫は葛藤した。見つけた時こそ捨てようと近づいたが、触れる前に、はっとした。義母から貰ったものなど捨てて仕舞えばいいが、それは生活必需品などで形容出来ないほどのものだった。夫の義母を憎む気持ちと、妻を愛する気持ちは同じ程度のものだった。そして、その天秤は揺蕩いながら、彼は涙を流した。決断するのには、随分時間がかかった。
明朝、夫婦の家の庭からは一つの焼死体が見つかった。遺体は焼け爛れて、人であることは確かだが、そこから背丈や性別は判断できなかった。夫婦の家には、誰もいなかった。勿論、義母はそんなこと、知る由もない。
短篇集 愛愁 @HiiragiMayoi
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