43話➤後悔先に立たず

「何年……何十年ぶりだろうか。こうして生きている間にことができるとは思いもしなかったよ」


 ――……って、なんでそんな言い方……?


 食べ終えた男性はナプキンで丁寧に口元を拭き、始めと同じように手を合わせお礼を述べた。


「……ご馳走様。すごく美味しかったよ。……それに、不思議と身体の奥から力がみなぎるよ」

「それは良かったです」


 ――確かに食べる前に比べると、血色も良くなってるみたいだし……大丈夫かな。


「あの……お節介ついでにいいですか?」

「……なんだろうか」

「ゼプスと話さなくても良いのですか?」

「えっ……あぁ、いいんだ。私には彼と話す資格なんてこれっぽちもない……。それだけ私は彼に対しても、愛しい人に対しても許されないことをした人間なんだよ。今更話すことなんて……」

「そんなことありませんっ!」


 何故か私は、目の前の見知らぬ男性に苛立ちを覚えていた。そして気づいた時には大きな声で叫んでいた。


「話さないとわからないことだってあります。貴方がゼプスに対して何をしたのかなんて私は知りません。……ですが!このまま話をせず立ち去って後悔しませんか?せっかく話すチャンスがあるのに、それをみすみす逃すなんて……勿体ないです」


 今日何度目かわからない沈黙が店全体に訪れていた。


 ――話せる時に話をせず、後悔したところで時間を戻すことはできない……。それに……。


「私には、貴方がゼプスと話せるタイミングを探していたように見えます」

「なっ……!」

「ちらちらとこちらの様子を伺いつつも、貴方が目で追っていたのはゼプスでした」


 看護師として働いていた際、広い視野で物事を観察するトレーニングをしてきたこともあってか、私はこの世界で誰よりも優れた洞察力を持ち合わせていると感じていた。


「……お見事ですね」


 男性は観念したかのように苦笑した。


「モモ……何かあったの……か?……っ!貴方は!」


 ゼプスが私の隣に来た際、抑えきれないほどの冷ややかな視線とともに、只ならぬ殺気を男性に向けているのがわかった。


「……くっ!なぜここにっ……」


 ――理由はわからないけど、めちゃくちゃ怒ってる……。ゼプスがここで暴れると、ワイズさんの店とここら一帯の店がなくなりそう……。今はとにかく人払いをしないと……。


 私はそっと、力を込め強張ったゼプスの腕に触れ、落ち着くように促した。

 店内に残っていた客へはワイズから説得してもらうことにし、扉の前には客が入れないように表示をしてもらった。

 人払いをしてほんの数分後――、店内にはがらんとした静けさだけが訪れていた。


「……何故っ、この店に来た」


 重たい空気が流れる中、口を開いたのは怒り心頭のゼプスだった。


「……」

「答えぬ……か。……ブレーブっ!」

「……っ!」


 ――ん?ブレーブスさん……、ブレーブさん……。どこかで聞いたことのある名前……っ!そうだ!ソアレさんの日記に出てきた名前だ……。ってことはもしかしてもしかすると……。


「ブレーブさん……本人ってことは……ソアレさんの……旦那さん?」

「なんと……。お嬢さんはそんなことまで知っているのか。……なるほど、只者じゃないね」

「話を逸らすなっ!」


 今までにゼプスが怒りを露わにすることはあったものの、今目の前にいるゼプスは怒りだけではなく殺気までも伴っている。このままではワイズ、カリアーナ、キュプレまで巻き込むことになる……。


 ――私はどうすればっ……。


「……ゼプスさんよぉ。話を……彼の話を聞いてやってくんないか?」

「なんだとっ!……この私に指図をするのかっ!」

「……っ、指図なんかしちゃおらん。ただ……話を聞くだけでもええだろう」


 至って冷静に……、いつもと変わりないように声をかけるワイズだった。だが彼の額からは汗が滲み出ており、少しだけ青ざめた表情で声を震わせながら話している姿を見ていると、彼がかなり緊張して話をしていることがわかった。


「……ゼプス、私からもお願い。……話を聞くだけ聞こ、……ね」

「……くっ」

「ブレーブさん、せっかくのチャンスなんです。お話、聞かせてもらえませんか?」

「……お嬢さんには敵わないな、まったく……」


 ブレーブは息を整え、静かに話し始めた。


 


 *****~


 王家に仕える私はある日、ドラゴンの世話役に任命された。この話を聞いたとき、正直なところ私は仕事を辞そうと思った。得体の知れない存在のドラゴンの世話なんて……。だが、そんな気持ちは彼女を見て一瞬で消え去った。


「……綺麗な瞳だ」


 私が初めて彼女に伝えた言葉だった。

 深緑の瞳に一瞬で恋に落ちた。だが、そんな私とは反対に、彼女は私に一切心を開かなかった。


 ある日、陛下のお供として視察へ向かった彼女が大きな怪我をして帰って来た。すぐに怪我の処置をしようとしたのだが、彼女は頑なに拒んだ。私が何度も何度も説得するうちに観念したのか、彼女は私にこう言ったのだ。


「愚か者め……。バラウル一優秀な私がこんな怪我を治せないとでも思うのか」


 そう言うと、彼女は私の目の前でドラゴンから人の姿となり、あっという間に傷を治した。


「うぇっ!?……えぇっ!」

「うるさいぞ人間!」

「ちょっ……あの……ふ、服をっ」

「ん?……あぁ。見苦しいものを見せたな。……すまぬ」

「見苦しいなんてことありません……む、むしろ……綺麗過ぎて……目のやり場に困ります」

「なっ……この変態め!」

「いやいや……服を着ていない貴女の方が……変態です」

「たまたま持ち合わせていなかっただけだ!」


 この日以来、私たちは言葉を交わすようになり、気づけば互いに惹かれ合っていた。


 幸せな日々が続く中、私は彼女の仲間たちが住んでいるという里に連れられ、里から少し離れた場所に建つ屋敷で共に暮らし始めた。あの時は本当に幸せだった……。ゼプスくんとクレジョスくんも始めは警戒してたけど、段々と懐いてくれてね……。年齢的には彼らの方が上だとわかっていても、私には弟のように思えてた。

 

 何気ない日常にヒビが入り始めたのはそれからまもなくの事――。私は王城へと呼び出され、魔導師の願いを叶うべく、ソアレを説得するように頼まれた。だが、私はその命令を断り続けた。奴等の考えは間違っている、奴等の言う事を聞けばこれまでの築いてきた関係性が崩れる、そう陛下に申し入れても私の言葉は届かなかった。


 

 そしてあろうことか……、

 ソアレと私を引き裂くために陛下は……、

 私を幽閉したのだ。


 

 彼女が亡くなったと聞かされた時、私は私自身を許せなかった。――彼女を守ることが出来なかった。


 あの時隙をみて逃げれば良かったのだろうか……、

 私に力があれば守ることができたのだろうか……、

 後悔先に立たず、とはまさにこの事だ。

 どれだけ悔いても時間を戻すことはできない、彼女は戻って来ない……。


 私にはわからなかった。陛下がどうして魔導師と手を組み、互いに助け合っていたバラウルの民たちと戦わざるを得なかったのか……。


 王城から追い出された私は、生きる気力を失くしネグルの街をさ迷っていた。そんなとき、この店に辿り着いたんだ。店主は人柄が良くて、こんなみすぼらしい姿の私に料理を振る舞ってくれたんだ。手持ちも無くなり、いよいよ私の命も終わろうかとしていた時に、お嬢さんがこうして食べ物を恵んでくれた。



 

 *****~

 

「……私のつまらない話を聞いてくれてありがとう」


 ブレーブの話を聞き終えた私たちは、どう声を掛けてよいのかわからず、その場で立ち尽くしていた。

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