3-2
*****
翌日。いつものように手紙を仕分けていると、私
一通は、騎竜の里からの手紙。人手が足りなくなって大変だけれど、大量の寄付をいただいたので今はなんとかなっている、そちらは元気ですか、という内容のもの。
私が抜けて、困っていなくてほっとしたような、もう必要とされていないのがわかって少し残念なような。
お気遣いありがとうございます。私は元気に過ごしています。またお手紙をください。と返事を書いて、貰った手紙はトランクへ戻す。
だけど、どうして私がここにいることがわかったのだろう。首を
――ウェルフィン。
かつて羽根の持ち主だった、年老いた銀色の騎竜のことを思い出す。もし天国があるのならば、彼は
「私は今、とても楽しいわ。あなたはどうかしら」
窓から差し込む光に羽根をかざしてみると、うっすらと表面が青く光って、返事をされたような気がした。
そういえば、日誌はどうなったのかしら。
お墓参りにやってきたご遺族とはついぞお顔を合わせることはなかったけれど、やはり大変な名家に連なる騎竜だったのか、寄付金を
のお
……もし、本当に騎乗訓練をさせていただけるなら。練習を重ねて外で乗ることができるようになったなら。騎竜の里へ行って、世話をしていた子たちの様子を見て、そしてウェルフィンのお墓参りをしよう。マーガス様はご一緒してくださるかしら……。
そんなことを思いながらもう一通の手紙を見て、思わず顔をしかめてしまった。差出人はクラレンス
「まったく……」
別に特段
おそらく、毎月送金されていた私の給金が
――でも、両親がマーガス様にもお金の無心をしていたらどうしようかしら……。
その考え通りに、マーガス様に
げんなりするやら、恥ずかしいやら、情けないやら。色々な感情が胸によぎったけれど、私宛の手紙ではないものを勝手に開封できないし、ましてや
「マーガス様、お手紙をお持ちしました」
「ありがとう」
結局、定められた業務通りの行動をすることにした。手紙を振り分けて、マーガス様にお渡しするのだ。クラレンス家からの手紙は山の一番下に
「あの……」
「……見ているなら、座るといい」
「は、はい」
あまりにも手紙の行く末が気になりすぎて、もじもじしていたのを
ブラウニング公爵家の印章が押された少し大きめの
「……っ」
中の印章を見て、思わず身を乗り出してしまう。王家からの手紙だ! マーガス様が受け取らなかったので、ブラウニング公爵家を経由してきたのだろう。
どうするつもりなのかしら、と思う間もなく、マーガス様は手紙を
すると暖炉に、ぽっと火がともって、あっと言う間に灰になる。マーガス様が
「……」
あまりの
「不要な手紙だ」
そうは見えませんでしたが、とは言ってはいけない
マーガス様は
けれど、それを聞いてはいけない。私より長い付き合いの人でもわからないことは、私が尋ねるべきではないのだ。
「そうですか……判断がつきませんでしたので。申し訳ありません」
「責めるつもりはない」
マーガス様はそう言いながら、クラレンス家からの手紙に手をかけた。問題はこちらだ。マーガス様はおそらく王家の誰かに怒っているのだけれど、その仲は私に関係ない。こちらの方が死活問題、それだけは
マーガス様は差出人をちらりと見て、私に向けて、いたずらっぽく笑った。
――
その事実にほっとするような、できれば中身を改めずに燃やしていただきたかったような、なんとも言えない気持ちだ。
「も、燃やしてくだ……」
「中を
それはそうなのですが、と口の中がねばついた。
マーガス様はゆっくりと
「……妹の
……あまりに気まずくて、情けないことに私は、愛想笑いをしてしまった。家族が支度金を着服したことがマーガス様のお耳に入っていないとは
「あの……お手数をかけて、申し訳ありません。その手紙は、無視してください」
「……あの金庫の中身で、家族を助けたいか?」
「いいえ」
自分でも思ったより、はっきりとした声が出た。マーガス様は、私が家族に
「
「これは遠慮ではなく、自分の意思です。あの屋敷を出る時に決めました――私はもう、あの家には戻りません」
そう答えると、少しだけ、マーガス様の
「それならいい。もう君はこの家の人間だ。ブラウニング家の利益になることを考えて過ごすように」
私もマーガス様を見習って、手紙を燃やすことにした。とは言っても私は火の魔法なんてもちろん使えないから台所で、だけれど。
かまどに手紙をくべていると、ミューティが背後から、からかうように声をかけてきた。
「あー。奥様もこの家のお作法がわかってきたみたいですね」
「そうね。この家の利益にはならないものだから、勢いよくやってしまうわ」
「それがいいと思いますよ」
ミューティは目がいいから、私の
そこまで考えて、利益にならないこととマイナスではないことは違うのだ、と思う。
利益、つまりは私がいることによって、この家をよくしていかなければいけない。私がこの家に呼ばれた理由はわからないけれど、少なくとも今はここに必要とされている。いつまでもうだうだしていても仕方がないから、自分自身が納得できる行動をしなければ。
けれど、利益……?
「ねぇ、ミューティ。ブラウニング家の利益になることって、何だかわかる?」
振り向いたミューティの黒い瞳が、いたずらっぽく
「わかりますよ!」
ミューティは自信満々に言ってのけたが、待っていても説明はなかった。
「参考までに、私にも教えて」
「では。
ミューティはぴっと指を一本立てた。夕食のメニューは肉と魚が
「マーガス様がいいと言えばね」
「そこを奥様からおねだりしていただければ、今週は全部魚でもよくなるわけです」
「わかったわ……
「お願いしますよ。では……お答えしますね。この家にとっての利益、それは……」
「それは?」
ミューティは
「えー。なんて言うのかな。
「愛と平和?」
随分
「そうです。
「好きなものは好き、
「そうです。だから奥様……アルジェリータ様もですよ。自分の意見ははっきりお言いくださいね。悲しい気持ちの人がいると、足並みが乱れますからね」
ミューティは白い歯を見せて、むりやり
「愛はわかったわ。平和って、平和でいいのよね?」
「まあ、家の中では
波風が立っていなくて、訳のわからない
「わかったわ。つまりポルカが
「まあ、それも一つではあるかもしれません」
「つまり、ポルカが騒ぎ立てなくて、問題が起きなくて、私がいじいじしてなければいいってことね」
「そうですよ。……わかっているなら、最初からそうしてくださいよ!」
「いじいじなんて……」
「してないと言えます?」
「し、してるけれど。最近は、こう、ちょっと調子に乗っているわ」
「ええ~? 例えば、どんな?」
「朝は林檎のほかにプラムを食べたし、お昼のお茶の
私の言葉に、ミューティは大げさにため息をついた。
「あ~、もう、いいです。でも、食べるものがあるのに、あえて
ミューティの言葉に感心する。確かに遠慮と見せかけて、
「考えたこともなかったわ。あなたって色々考えているのね」
「村の若者の中で気の
ミューティは
「本当に、
「というわけで、私と兄の見識をさらに深めるために、奥様には奥様活動を積極的に行っていただきたく」
「わかったわ。魚料理ね」
「それ以外にも。ブラウニング家の一員である奥様の、利益になることはなんですか?」
「私の?」
「私は奥様係なのですから、何がしたいのか、それともしたくないのか。お付き合いしますので、聞かせてください」
わかっていないと自覚したことを尋ねられても、わからないものはわからない。
少し前までは、仕事をして、いつかはデリックと結婚して、仕事を
それがあっさり
正直、今の生活は、楽しい。デリックには心底呆れてこんな人と結婚していなくてよかったとも思うし、騎竜の里に心残りはあるけれど、あまりにも楽すぎると
望みは現状
「……私に優しくしてくださるマーガス様が幸せに暮らせることかしら?」
「うーん、なるほど。今より幸せ、ですか……。これはなかなか手ごわそうですね」
そう。壮大な話だ。けれど、マーガス様は立派な、これからの国を
「そうなのよ。大変なことよね」
「なんで
ミューティの言葉に私は目を丸くした。だって、そんな
「考えてください。何もなくても、奥様が旦那様のことを考えるだけで旦那様は幸せなんですから。よかったですね、仕事が見つかって」
ミューティは両手を合わせてにっこりとした。微笑まれても、何も
「ええ……邪魔せずに、マーガス様を喜ばせること……?」
家をピカピカにする。ポルカをピカピカにする。それはもうやっている。おいしいお料理……それはミューティがやっている。けれど、この案はいいかもしれない。失敗したとしても、自分で処理すればいいのだから。私が上手くできそうな料理……。思いつかない。
視点を変えよう。平和からアプローチする。平和、料理、平和に感謝……。
「わかったわ!」
「ええ?」
パンと手を
「いいことを考えたの。今から、感謝祭のパンを作りましょう」
驚いていたはずのミューティの顔が、すっと落ち着いたものになった。
「……なぜパンを? 店から取り寄せた、ふかふかのパンが沢山ありますし、明日も配達が来ます。今日のパンは今日中に食べてしまわないと」
「感謝祭と言うのはね、この国で代々行われている国家
「それは知っていますよ。かったいかったい、かったーい保存食のパンを作って、神妙な顔でお清めした水と一緒にその固いパンを流し込む風習ですよね?」
「そう、それよ。すごいわ、今年この国に来たばかりなのに文化にも
マーガス様は愛国心の強い方だ。屋敷で感謝祭をすれば、ラクティスとミューティに文化を伝えることができる。マーガス様もお
「嫌ですよ」
ミューティは手の平を私の目の前に出してきた。「
「どうして。見聞を広めるためにやってきたんでしょう? なら、損にはならないわ」
「経験の上では損にならないかもしれませんが、せっかく食べるものが選び放題の
「そんな……一緒にブラウニング家のために
「私はおいしいものが食べたいです。今日は舌平目のムニエルにすると決めました。牛乳とバターたっぷりのソースを作って、それにふかふかのパンを
「結構、慣れると
これは私の押しつけでしかない。材料だけは用意してもらって、台所で一人きりでパンの
「非常食を作って、山歩きでも?」
感謝祭のパンに使う材料は少ない。私が
「感謝祭のパンを作っています」
「そうか。感心なことだ」
ミューティの言った通りだ、と私は心の中でほくそ笑む。
「はい。愛と平和は、何よりも大切なことですから」
私の言葉に、マーガス様は首をかしげた。どうやら、家庭内で標語として
「君がそう思うのなら、そうなのだろう。俺も手伝っていいだろうか」
「閣下にパン作りを!?」
「野営をすることもある。
「失礼しました……」
マーガス様が私の
「君は手慣れているな。毎年やっていたのか?」
「ええ。家では毎年」
「そうか」
マーガス様には少し、意外だったのかもしれない。ああ見えてクラレンス家は外聞を気にする家なので、こういったお祭りや風習などには積極的に参加していた。感謝祭のパンは作るけれど、おいしくないと言って家族は一口も食べなかった。世間体のために作られたパンを処理するのは全て私の役目だった。
かまどにパン生地を入れ、焼き上げる。今日食べる分を取り分けた後、保存のために二度焼きをする予定だ。それによって、非常に固く、保存性のあるパンになるのだ。
二人でじっとかまどの火を眺めていると、ふと騎竜の里にいた時のことを思い出した。騎竜は食欲
「
焼き上がったパンを、マーガス様が一つ取って味見をした。生地自体は固くて味気ないものだけれど、焼きたてはなんでもおいしい。
「君は、すごいな」
「私の力ではありませんよ」
「そんなことはない。子どもの頃に食べたものよりずっと美味い」
本当かしら、と私も一つ、食べてみる。確かに一人で作っていた時よりもずっとおいしい。素材が良質だからか、それともマーガス様が褒めてくださったからだろうか……。
「子どもの頃は悪さをすると食事がこれになった。祖父は厳しい人だったからな」
これなら別に毎日でも構わない、とマーガス様はもう一口食べた。
「マーガス様のようなよい子でもですか!?」
「よい子だと言われたのは、数えるほどしかない。俺は祖父
「そんなことは思いません。マーガス様は、優しい方ですよ」
「そう思ったままでいてもらえるように、努力しよう」
マーガス様はばり、と音を立ててパンをかじった。
「子どもの頃は嫌で嫌で、家にいた騎竜にこっそり分けてやっていた。……あんまり喜ぶから、悪さをしたのを忘れてまるでよいことをしているような気分になったものだ」
どこの騎竜も皆、パンは喜んで食べるのだと、
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