三章 一緒にお散歩を

3-1


 私がこのおしきにやってきて、五日がった。朝が来るとポルカのめんどうを――彼女の様子を見てやって、食事と水をあたえる。次に小屋のそうをして、食後のづくろいをしてやる。

 そのあとはマーガス様にあいさつをし、自分の朝食を食べてから通いの使用人をむかえる。あとは彼らに任せるだけで、たまにポルカが鳴いたら様子を見に行く。郵便が来たら受け

取って、それを分別してマーガス様にわたす。合間にポルカの様子を見ながら、マーガス様に差し入れるお茶の用意をする。

 それ以外は、することがない。馬の世話でも手伝いましょうか、とラクティスに言ったら「これは私一人で作業したいので」とすげなく断られてしまうし、ミューティは食堂の仕事を明け渡してはくれない。マーガス様のいらっしゃるしょさいから本を借りて勉強をして

いるけれど、それも集中力が長くは続かない。

 何か仕事を、と思っても「奥様はごゆっくりなさってください」と気をつかわれてしまって、手伝わせてもらえない。というより、私が声をかける前に終わっている。


「仕事がない……りゅうが一頭しかいない……」


 テラスのに深くこしけてつぶやいたところで、返事はない。

 思い返せば、今まで何もすることがない、というじょう|況

《きょう》はほとんどなかった。だから今、余計に困っているし、ひまを持て余した結果、マーガス様や実家のこと、これからの自分についての悪いことを考えてしまうのだ。

 ポルカの所にでも行こうかな、と目線を庭に向けると、マーガス様がポルカに乗っているのが見えた。

 乗り運動をしている!

 思わぬ出来事に、体を起こす。

 マーガス様の表情はうかがい知れない。風に乗って何かポルカに話しかけている、あるいは指示を出している。そんなことがわかるくらいだ。

 けれど、きっと彼はやさしい顔をしているにちがいない。そう思うと、なんだか目がはなせなくなって、なんとかマーガス様の顔が見えやしないかと、目を細めてみる。

 やわらかな日差しを浴びながら一緒に過ごしているマーガス様とポルカは、まるで物語に出てくる伝説のと騎竜だ。

 ――あ、こっちを見た。

 しつけな視線に気が付いたのか、ポルカがゆっくりと首を上下に動かしながら近づいてくる。もちろん、マーガス様も一緒に。


「日光浴かな」

「ええ、はい。そんなところです。ポルカに乗り運動をさせていたのですね」

「構ってやらないと、すぐねるからな。俺と一緒だ」

「まあ、そんなことは……」


 ありませんよ、と返事をしようと顔を上げると、目が合った。急にこの前の書斎での出来事が思い起こされて、思わず目をらしてしまう。

 ――あやしまれる。

 別に悪いことをしたつもりはないけれど、地位のある男性にとっては、悪夢を見てうなされているところを他人がながめていたなんて、いい気分がしないだろう。


「……先ほど、ポルカに話をしているのが聞こえたか?」

「いいえ」


 ゆっくりと首を横にる。もし私が耳のいい動物だったなら、会話をぬすきすることができただろう。でも、人間はそんなことができないのだ。


「そうか」


 ちらりと視線をもどすと、マーガス様は少し残念そうな顔をしていた。……まるで盗み聞きしてほしかったみたいに思える。

 せっかくのお散歩を中断されてれたポルカが、あしみをして私から離れたがる仕草を見せた。


「ポルカも走り回りたいでしょうし、私、じゃをしないように戻りますね」

「……。君は、騎竜に乗れるか?」


 背中を向けると、まるで引き留めるように声をかけられた。


「い、いいえ」


 あわてて、先ほどより大きく首を横に振る。じょうの訓練は決められた場所で行わなければいけない。私ができるはずがないのだ。……できたら、大問題。そういうことに、しなければいけない。


「そうか」


 優しいけれど、もくな方ではある。マーガス様は私を見ているけれど、そのひとみの奥では何か別のことを考えているようだった。


「では、私はこれで……」


 マーガス様はポルカにまたがったまま、すっとこちらに向かって手をべた。


「……っ」


 初日にあくしゅをしたはずなのに、なんだかずかしくて、その手を取るのを躊躇ためらった。

 私を本当に妻にしようと思って呼び寄せたのなら――それは、私を使用人ではなくて、異性としてにんしきしているということだ。その可能性に気が付いてしまうと、なんだか非常に落ち着かなくて、あせが出てくる。

 マーガス様は私にレッスンを付けてくれるつもりなのだ。騎竜には乗りたい。乗りたいけれど、その手を取っていいものか。だって、つまりそれは相乗りをしよう、の意味だから。何しろこのお屋敷には騎竜が一頭しかいないのだもの。もちろん、いやなわけではない。でもずかしい。でも、乗りたい。


「こちらをじっと見つめていたから、乗りたいのかと……」

「乗りたくないわけでは、ありませんが……お手間をかけさせては、と……」


 どうしようかともじもじしていると、ポルカが再び焦れたように足踏みをする。彼女に台詞せりふをつけるとしたら『ねえマーガスったら、こんな女のことは放っておいて、早く向こうに行きましょうよ!』だろう。


「ポルカが早く乗ってくれと言っている」

「ぎーっ」


 一対二でかされては、さすがに断り切れない。おそるおそるマーガス様の手を取り、体を引き上げてもらう。


「……ぎっ」


 ポルカは首を曲げて、じろり、と私を見た。はく色の瞳は『今回だけなんだからね』と言いたげだ。

 マーガス様のうでの中にすっぽりと体をおさめると、ポルカはのそのそと動き出した。人間で言うなら、あし差し足――そのぐらいのゆっくりさ。


こわいか?」

「いえ。だいじょうです」

「筋がよさそうだ」


 怖くないのには訳がある。実は、私は何回か騎竜に乗ったことがある。もちろんこっそりで、騎乗めんきょを取れるほどではないひよっこだけれど。里の騎竜にはまだ元気な子もいて、人から求められていた時代をこいしがって鳴くことがある。そういう時は気晴らしに遊んであげるか、散歩としょうして外乗りに行くのだ。もちろん、お預かりした騎竜だから、大っぴらにはできない。あんもくりょうかいというやつだ。

 だから、私はけして筋がいいわけではないのだけれど、預ける側の貴族であるマーガス様にそのようなことを言うのははばかられて、あいわらいをするしかない。

 それにポルカはさすがに人を乗せるのに慣れていて、不承不承ながらも、私に気を遣って歩いてくれているのがわかる。

 なんだかんだ、お世話係としては受け入れられているのよね。

 ここよいリズムにられていると、自分のほおゆるんでくるのがわかった。


「騎竜にれていると落ち着く。アルジェリータ、君はどうだ」

「私は落ち着くと言うより、心がうきうきします。ああ、なんてわいいんだろう、って。でも……そうですね。慣れてきて、首とか胸のあたりをさわらせてくれるようになると、羽毛の中に手を入れて、冬は暖を取ったりしていました。その点で言うと落ち着きますね」


 私とマーガス様の共通点は人間であること、あとは騎竜が好きということ。騎竜の話ならいくらでもできる。


「人間相手では、心が落ち着かないか?」

「……このお屋敷の人は、好きです。みないい人ですし。ちょうどいいあんばいなんですよね。たよりにはなるけど、そこまで固くはないので話しかけやすいんです。人当たりのよさを見習いたいぐらいですね」

「……そうか。俺もあの二人を見習うことにしよう」

「い、いえ。マーガス様はそのままでいてください。ラクティスみたいなしゃにならないじょうだんを言い出したら、どうしていいかわからなくなります」

「洒落にならない冗談とは?」


 失言だった。気持ちがはずんで、マーガス様にお世話になっているにもかかわらず、きんちょうを忘れてじょうぜつになっている自分を感じる。


「申し訳ありません、それは何とも……」

しっはするが、深追いはしないでおこう」


 もごもごと言い訳をすると、マーガス様は許してくださった。会話が途

れても、ポルカはゆっくりと歩いている。まだ、彼女はまんをしてくれているみたいだ。


「もう少し、ポルカが嫌になるまではこのままでいいでしょうか」


 何しろ、こんな立派な騎竜に乗れるなんて、人生でそう何回もないだろう。


「君が同じ気持ちでいてくれてうれしい」


 マーガス様が足で小さく合図をすると、ポルカは方向てんかんして、庭の反対側へと向かい始めた。どうやらぐるりと屋敷の周りを一周するつもりのようだ。


「子どものころは、自分は大きくなったらりゅう便びんの配達員になるのだと思っていた」


 マーガス様の言葉に静かに耳をかたむける。


「祖父は軍人だったから、物心ついた時から騎竜がそばにいて――それこそ仕事や社交でいそがしい両親といるよりも、騎竜と顔をわせている時間の方が長かったぐらいだ」

「騎竜便って、騎竜に乗って物を配達するのですよね。街では見かけませんけれど……」

「ああ、そうだ。市街地で走行するには危険があるが、こうでは馬より騎竜の方が速い」


 マーガス様の言葉に、ポルカは嬉しそうに声を上げた。


「ある程度大きくなってからは、訓練と称して祖父に色々な場所へ連れて行かれた。その頃にはもう自分は騎竜便の配達員になれないと理解していたが――寒い所では犬ぞり、暑い所ではラクダ。色々な動物を使えきした結果、騎竜が一番好きだから騎士でいいか、となっとくできたのは救いだな」

 彼の話を聞くたび、私は自分の世界の小ささを感じて、きんしんながら――本当に戦場帰りの人に対して不謹慎だとは思うけれど、少しうらやましいと感じてしまうのだった。


「騎竜に乗れると、いろんな仕事があると聞きます。……楽しそうです」

「今からでも十分だ。体幹がしっかりしているから、すぐに人並み以上になるだろう」

「そ、そんなことは……」


 私は、少しばかりズルをしているから、褒め言葉に素直になれない。……でも、マーガス様になら、あの立派でだいな騎竜――ウェルフィンの話を、してもいいかもしれない。


「騎竜のらしさを広めるのも、俺が祖父からいだ役目の一つだ。貴婦人は騎竜を敬遠しがちだから、ぜひちょうせんしてみるべきだ。……もちろん、君が望むなら」


 騎竜に乗るためには、専門的な訓練が必要になる。もちろん設備や場所、時間。いっかいの市民の習い事としては、かなり高額の部類に入るだろうけれど。


「もしできるなら、私も――」

「きゅっ!」


 ぜひ騎竜の騎乗訓練をしたいのですけれど、と言う前に、ポルカが予備動作もなく高くがった。


「――っ!」


 マーガス様の腕が私を引き寄せた。思わず体重を預ける形になってしまうが、さすがと言うべきか、がっしりとした腕にきしめられると、怖さは感じない。


「ポルカ!」


 マーガス様がするどい声で指示を出したけれど、ポルカはジグザグに走行したり、小さく跳んだり、大きく跳んだり、ぐるぐると同じ所を回ってみたり。


「――ポルカっ!」


 マーガス様が今度は少しきつめに指示を出したけれど、ポルカは聞き入れない。本気を出せば人間をはらうなんてたやすいのだから、彼女は遊んでいるのだろう。いや、もしかして私だけを振り落とそうとして、でもマーガス様がしっかりがっしりと私を抱きしめているから上手うまく行かなくて、結果こうなっているのかもしれないけれど。

 私が平気な顔をしているのが気に食わないのか、あるいはためしているのか。ポルカは素晴らしいきゃくりょくで高く跳び、馬小屋の屋根に乗った。


「わぁ……」


 目の前が一気に開けて、庭木の向こうに市街地が見えた。色とりどりの屋根が、まるで花畑のようだ。


「……は、はは、あはははっ」


 なんだか楽しくなって、とうとう声を上げて笑ってしまった。


「怖くないのか?」


 耳元で、マーガス様の意外そうな声がした。


「全然、怖くありません。……ポルカには、期待外れでしょうかね」

「そうか。助かる。このまま、遠乗りにでも……」


 と、マーガス様が言いかけたしゅんかん、ポルカはぴょんと馬小屋から飛び降りて、ぴたりと動きを止めた。マーガス様が押しても、手綱を引いても、気まぐれでわがままなポルカは言うことを聞かない。――私を振り落とせなかったのが誤算で、少しへそを曲げているのかもしれない。


「本当に、お前は……戦場では、こんなことはなかったんだが」


 マーガス様はあきれたように、まえがみをかきむしった。

 国一番のえいゆうに対して『あんたの事情なんて知らないわ』とばかりにマーガス様を振り回しているポルカがおもしろくて、とうとう我慢ができずにしてしまった。


「今日はずいぶん、笑うな」

「も……申し訳ありません。楽しくなってしまって……」

「楽しいのはいいことだ。この数年、俺は人を笑わせるということがとんとできなくなっていた。そんなはずもないのに、俺の前では笑ってはいけないとか、そうをしないように気をつけよう、と皆が勝手に気を遣う」


 その点ではポルカはわがままに見えて、マーガス様の素の表情を引き出して、心を解きほぐすのに一役買っているのかもしれない。……前向きな物の見方をすれば、だけれど。


「ありがとうございました。とても、楽しかったです。また乗りたいですけれど、ポルカは嫌そうですね」

「そうか? ……そうでもない。信用できないかもしれないけどな。君が騎竜に乗りたいなら、もう少し、のっそりとした動きの騎竜を連れてこようか。もうすぐはんしょくの季節だし、小さいのから育ててもいいかもしれない。そうしたらとおけか、あるいは競技会に出るとか……」


 マーガス様はそう言って、ふわりと、ほほんだ。

 とつぜんの提案を頭が理解すると同時に、全身の血が一気に回り始めて、体温が高くなる。

 自分だけの騎竜。もう少しおとなしい性質のを、小さい頃から育てて、一緒に訓練をして、野を駆ける……?


「考えただけで、胸がどきどきしてきます」


 ……顔が真っ赤な気がして、思わず頰を押さえると、マーガス様は目を逸らした。


「?」

「なんでもない。しゃべりすぎた」


 ポルカは私たちを降ろすと、悪びれもせず、いつもより激しくおねだりの仕草をした。二人乗せたから、二倍おやつをもらう権利がある――そんな風に言いたげだ。


「はいはい、りんね」


 ちゅうぼうから持ってきた林檎を差し出すと、ポルカは二口で平らげてしまった。


「君は本当に、楽しそうに騎竜の世話をするな」

「最初は怖かったです。騎竜がその気になれば人間なんて、弱いものですからね。でも、言葉は通じなくても、しんらいには応えてくれるでしょう? ほこたかい生き物ですから」


 ポルカは自分がめられたと思ったのか、ごろごろとのどを鳴らした。


「……元々騎竜にえんはなかったはずだ。なぜはくしゃくれいじょうである君が、騎竜の里に?」


 マーガス様の問いはもっともだった。私も、クラレンス家も、元こんやく者のアシュベル家だって騎竜と関わることはほぼない。


「……私はそこないなので、せめて人様のお役に立つことをしろ、と」

「それで、親の言われたままに老人の後妻になることをりょうしょうしたのか?」

「……わかりません。たとえ自分が生きるためだったり、面倒事を押しつけられただけだったとしても、だれかに必要とされることが、嬉しかったのかもしれません」

「では、俺が必要とする限り、ずっとここにいてくれるな?」


 マーガス様が私を必要とする理由が、私にはまだわからない。けれど、うなずいた。

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