2-2
「この辺に乗合馬車なんて
と散歩から戻ってきたラクティスに告げられ、おとなしく
「奥様が買い物に出てくださると、出かける口実が出来て助かります」
「お出かけが好きなのね」
「山から都会に出てきたんです。楽しまなければ損でしょう? その分、仕送りだのお
「仕送りをして、家族思いなのね」
どうやら二人は本当に純粋に観光、あるいは一旗あげるためにマーガス様についてきたらしい。悲しい話は特に何もなく、故郷には親族が沢山いると聞いて、
「家族思い? 奥様ほどじゃありませんよ。マーガス様にいただいた
その言葉に、ゆったりと背もたれに
「その件でマーガス様は、怒っていらっしゃるかしら」
今更、何も持たないでやってきて全ての支度をお任せしてしまった私が言うことではないだろうけれど、家族が私の権利を
「まあ、
「……マーガス様はクラレンス家の人たちがどのような性格かご理解の上で、話を
「奥様があの家に
家単位ではなく、私個人を見て採用の可否を決めてくださったことはありがたい。けれど、やはり元々の疑問が頭をもたげる。
「その、奥様って……何だと思う?」
問いかけに、ラクティスはまるで言い聞かせるようにゆっくりと口を動かした。
「私とミューティはマーガス・フォン・ブラウニングがあなたを妻と定めた理由について、知りません」
すぱっとした物言いに、
「……私たち二人は初め、ブラウニング公爵邸に勤める予定でした」
ラクティスの話にじっと耳を
「部隊が王都に
「ですが?」
「いざ合流。となった時、公爵邸から、カンカンになった旦那様が飛び出してきて、そのまま祖父であるローラン様の屋敷に移り住んだのです。それで、我々も一緒に」
「その時、どうしてマーガス様は怒っていらっしゃったの?」
「さあ……それはなんとも。ただ一つ言えるのは、どこからの
王家からの書簡を突き返したマーガス様の様子が
「マーガス様のご両親からも?」
「もちろん、真っ先にお父上であるご当主様から連絡が来ましたよ」
「でも、駄目だったのね」
「ええ。……旦那様はお父上になんて言ったと思います? 『俺が跡取りにふさわしくないと思うなら、
何も教えてもらえないのだから、その件については気にするつもりはない、と言ってラクティスは馬に
「ローラン様の後妻探し、あなたは聞いていた?」
「いいえ、まったく」
「……では、世話役の嫁探しはマーガス様の独断で?」
あの方が、独りでそのようなことを考えて実行に移すとはあまり思えない。
「ありえません。お隠れになる直前までよくお二人は話し込んでいましたし、何よりローラン様は
「マーガス様とローラン様の関係はよかったのね」
「おじいさん子だったそうですからね。すでにお察しかもしれませんが、旦那様はご両親とは仲がよくありません。ご両親がなんでも勝手に決めてしまうので
ラクティスはまるで喋りすぎたから口をつぐもう、と襟を正したみたいに言葉を切った。
「まあ、そのようなわけで。反抗期なので、あの屋敷に引きこもっているのです。理由は知りません」
何か勝手をされたことにマーガス様は怒っている、というところまではわかった。
「ローラン様は生前その件については仲裁されなかったの? それともそれでも聞く耳を持たない、と?」
「大人のすることですからね。『孫の味方になってやってくれ』とは言われましたが」
「マーガス様の、味方に……」
つまりローラン様は何かしらのゴタゴタについて、マーガス様の側についていた。
「ですから私たちは公爵家ではなくて、マーガス青年本人の味方、ということですね」
微笑みながら振り向いたラクティスは年相応の青年の顔をしていた。
どうして二人があの屋敷の住人なのかがわかった。公爵家になんのゆかりもない、生まれ育った国も身分も違う、けれど信頼できる人をマーガス様は選んだのだ。
「ですから、彼の個人的な決断に口を挟むことはいたしません。ローラン様の
「私を……」
とうとう、
「もちろん尋ねましたよ。なんのためにですか、と。そしたら『妻にしたい』と。そうですか、と言われた通りの日時に、その女性を
「騎竜のお世話係として、私を呼んだのではないの?」
「ポルカは暴れ竜ですが、投げ出さない程度の
ラクティスが静かに馬に鞭を入れた音がした。山岳民族であれば、
「何がどうなってそうなったんだ、と思いましたが
私ではなくても、ポルカの世話はできる。それは当たり前だ。けれど、人出不足なわけでも、騎竜の世話係でも、老将軍の後妻でもない。
――マーガス様は、もともと私を知っていたのだ。知っていて、最初からそばに置くつもりで私を呼び寄せた。
「どうして……?」
「旦那様が妻の条件として提示した内容に、完全に
それだけで、接点のない私をマーガス様が妻に求めるとは思わない。けれど、ラクティスはマーガス様のお心までは知らないと言う。
「……そんな人は、沢山いるわ」
「そうですかね? ま、詳しい話はそれこそ旦那様にお
「……早朝にする話じゃないって」
「なら、夜に行けばいいでしょう」
「よ、夜って……!」
あまりにさらりと言われたので、絶句してしまう。
「何も
呆れたような物言いに、
「……そうね。でも……お邪魔じゃないかしら?」
「
「なるほどね……」
あの屋敷では私が奥様である。そういう「ルール」で動いている。だから
*****
小鳥の餌や
林檎の木箱の中で、小鳥は小さな胸を膨らませて、じっとしている。なんとか付け焼き刃の知識で添え木をしてやってから、餌と水を用意したけれど、小鳥は相変わらず民芸品のお土産物のように
「痛くないわ」
そっと手をかざして魔力を
「よかった……」
少しずつでも餌を食べ、体力を回復してゆけば、飛べるようにはならなくとも命をつなぐことはできるだろう。
嬉しくなって、そのまま小鳥がついばむ様をじっと見つめていると、すっかり夜が
水でも飲もうかと思って廊下に出ると、書斎の扉が少し開いていて、
昼間の会話が蘇る。お手伝いをするのも、妻の務めだと。
何か、できることはあるだろうか? 私が妻だと言うのなら、書斎を訪ねるのは別におかしなことではない。だって、本当の事情はマーガス様しか知りえないのだから。皆がそういったルールで行動している以上、私が輪を乱すのもよくないことだ。
――お声をかけてみよう。これは、大事な話なのだから。
深呼吸をしてから、
「マーガス様……?」
返事はなかった。すでに寝室へとお戻りになったのかもしれない。
おそるおそる扉を開けてみると、机の前に
……話をするのはどうやら無理なようね。
起こすのは気が引けるし、抱きかかえて運ぶことなんてできやしない。毛布を持って書斎に戻ると、マーガス様の
先ほどまではそんな様子ではなかった。どうやらマーガス様は今、嫌な夢を見ているみたいだった。
「マーガス様」
もう一度、声をかけてみる。返事はないけれど、眉間のしわがより一層深くなった。
「……失礼します」
うっかり触れてしまわないように、そっと額に手をかざして魔力を込める。ぼんやりとした魔力では、まぶしさで目を覚ますことはないだろう。
しばらくそのままでいると、マーガス様の表情が少しずつ和らいできた。効果があった……のかもしれない。
普段の
――いけない、そんなこと思ってはいけないのに。
私はあくまで雇われている立場。出すぎた感情を持てば、きっと、またつらい目に
「アルジェリータ……」
マーガス様の手が伸ばされて、私の手首を摑んだ。
「……っ」
心臓が飛び出そうになった。
「……」
名前を呼ばれたけれど、マーガス様のまぶたが開かれて、その瞳が私を見つけることはなかった。どうやら夢に私が出演していて、
――起きなくて、よかった。
もし、マーガス様が目覚めてしまっていたら、きっと嫌な気持ちになっただろう。眠っているところをじっと見られていたなんて、恥ずかしいに違いないもの。
息を押し殺して硬直していると、マーガス様の手が
毛布をかけて、足音を立てないように静かに書斎を出て、一息つく。
マーガス様はきっと、戦場だったり、ご両親とのいざこざだったり、とにかく嫌な夢にうなされているのだろう。
それに比べると、私の悩みなんて、なんて些細なことなのかしら。
煩わせるようなことはやめようと、静かに部屋に戻った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます