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「この辺に乗合馬車なんてまりませんよ。貴族のお屋敷なんですから」


 と散歩から戻ってきたラクティスに告げられ、おとなしくそうげいをお願いすることにした。ぎょしゃ台に座っている彼の表情は読めないけれど、少なくとも機嫌はよさそうで、聞き覚えのないみんようを口ずさんでいる。


「奥様が買い物に出てくださると、出かける口実が出来て助かります」

「お出かけが好きなのね」

「山から都会に出てきたんです。楽しまなければ損でしょう? その分、仕送りだのお土産みやげだの、かさみますけどね」

「仕送りをして、家族思いなのね」


 どうやら二人は本当に純粋に観光、あるいは一旗あげるためにマーガス様についてきたらしい。悲しい話は特に何もなく、故郷には親族が沢山いると聞いて、他人ひとごとながらほっとしてしまう。


「家族思い? 奥様ほどじゃありませんよ。マーガス様にいただいたたく金を、そのままご家族にお渡ししてしまうんですからね」


 その言葉に、ゆったりと背もたれにしずめていた体を起こす。急に不安になったのだ。


「その件でマーガス様は、怒っていらっしゃるかしら」


 今更、何も持たないでやってきて全ての支度をお任せしてしまった私が言うことではないだろうけれど、家族が私の権利をばいきゃくしたお金をそっくり着服したのは明らかだ。何も尋ねられていないけれど、なんて失礼な一族だと呆れられていてもおかしくはない。


「まあ、よめにするための必要経費と思えば安いものですよ。これでクラレンス家とのえんが切れるならね」

「……マーガス様はクラレンス家の人たちがどのような性格かご理解の上で、話をけてきたということ?」

「奥様があの家にめていないのはよくご存じですよ」


 家単位ではなく、私個人を見て採用の可否を決めてくださったことはありがたい。けれど、やはり元々の疑問が頭をもたげる。


「その、奥様って……何だと思う?」


 問いかけに、ラクティスはまるで言い聞かせるようにゆっくりと口を動かした。


「私とミューティはマーガス・フォン・ブラウニングがあなたを妻と定めた理由について、知りません」


 すぱっとした物言いに、うそはないと思えた。


「……私たち二人は初め、ブラウニング公爵邸に勤める予定でした」


 ラクティスの話にじっと耳をかたむける。彼は私の知らないマーガス様を知っている。注意深く話を聞いておかなければ。


「部隊が王都にとうちゃく後、妹と一緒に移民の居住許可しんせいの列に並んでおりました。手続きが終わりだい公爵邸でこの国の常識を学んだあと、しかるべき部署に配属されるはずだったのですが……」

「ですが?」

「いざ合流。となった時、公爵邸から、カンカンになった旦那様が飛び出してきて、そのまま祖父であるローラン様の屋敷に移り住んだのです。それで、我々も一緒に」

「その時、どうしてマーガス様は怒っていらっしゃったの?」

「さあ……それはなんとも。ただ一つ言えるのは、どこからのちゅうさいも断っていると」


 王家からの書簡を突き返したマーガス様の様子がのうよみがえった。


「マーガス様のご両親からも?」

「もちろん、真っ先にお父上であるご当主様から連絡が来ましたよ」

「でも、駄目だったのね」

「ええ。……旦那様はお父上になんて言ったと思います? 『俺が跡取りにふさわしくないと思うなら、かんどうしてください。俺は一向に構いませんから』ですよ。それで、もう何も言えなくなってしまったのか、そのままです。まあ、こちらの方が城にも近いですし、特に不都合もなかったので、我々はそのままローラン様の屋敷に居着きました」


 何も教えてもらえないのだから、その件については気にするつもりはない、と言ってラクティスは馬にむちを入れた。


「ローラン様の後妻探し、あなたは聞いていた?」

「いいえ、まったく」

「……では、世話役の嫁探しはマーガス様の独断で?」


 あの方が、独りでそのようなことを考えて実行に移すとはあまり思えない。


「ありえません。お隠れになる直前までよくお二人は話し込んでいましたし、何よりローラン様はくなられた奥様一筋の方でした。付き合いの短い俺たちにもわかることです」

「マーガス様とローラン様の関係はよかったのね」

「おじいさん子だったそうですからね。すでにお察しかもしれませんが、旦那様はご両親とは仲がよくありません。ご両親がなんでも勝手に決めてしまうのでおくれてきたはんこう期と……」


 ラクティスはまるで喋りすぎたから口をつぐもう、と襟を正したみたいに言葉を切った。


「まあ、そのようなわけで。反抗期なので、あの屋敷に引きこもっているのです。理由は知りません」


 何か勝手をされたことにマーガス様は怒っている、というところまではわかった。


「ローラン様は生前その件については仲裁されなかったの? それともそれでも聞く耳を持たない、と?」

「大人のすることですからね。『孫の味方になってやってくれ』とは言われましたが」

「マーガス様の、味方に……」


 つまりローラン様は何かしらのゴタゴタについて、マーガス様の側についていた。


「ですから私たちは公爵家ではなくて、マーガス青年本人の味方、ということですね」


 微笑みながら振り向いたラクティスは年相応の青年の顔をしていた。

 どうして二人があの屋敷の住人なのかがわかった。公爵家になんのゆかりもない、生まれ育った国も身分も違う、けれど信頼できる人をマーガス様は選んだのだ。


「ですから、彼の個人的な決断に口を挟むことはいたしません。ローラン様のそうをひっそりと終えた後、突然『アルジェリータ・クラレンスという女性をここに連れてこようと思う』と言い出したとしてもね」

「私を……」


 とうとう、かくしんに触れることができるかもしれないと、身を乗り出す。


「もちろん尋ねましたよ。なんのためにですか、と。そしたら『妻にしたい』と。そうですか、と言われた通りの日時に、その女性をむかえに行った。そうしたら、急に騎竜の世話係だ、なんて言い出して」

「騎竜のお世話係として、私を呼んだのではないの?」

「ポルカは暴れ竜ですが、投げ出さない程度のこんじょうはあるつもりですよ」


 ラクティスが静かに馬に鞭を入れた音がした。山岳民族であれば、あらっぽいことには慣れている。それは当然のように思えた。


「何がどうなってそうなったんだ、と思いましたがそうほう納得しているようでしたし、まあいいかと。ミューティはもう少し、奥様のじょっぽいことをしたいらしいですけどね」

 私ではなくても、ポルカの世話はできる。それは当たり前だ。けれど、人出不足なわけでも、騎竜の世話係でも、老将軍の後妻でもない。

 ――マーガス様は、もともと私を知っていたのだ。知っていて、最初からそばに置くつもりで私を呼び寄せた。


「どうして……?」

「旦那様が妻の条件として提示した内容に、完全にがっしているからじゃないですかね」


 それだけで、接点のない私をマーガス様が妻に求めるとは思わない。けれど、ラクティスはマーガス様のお心までは知らないと言う。


「……そんな人は、沢山いるわ」

「そうですかね? ま、詳しい話はそれこそ旦那様におうかがいしたらどうですか」

「……早朝にする話じゃないって」

「なら、夜に行けばいいでしょう」

「よ、夜って……!」


 あまりにさらりと言われたので、絶句してしまう。


「何もしんしつとつげきしろとは。……旦那様は夜おそくまで書斎にいらっしゃるんです」


 呆れたような物言いに、じょうに反応したのがとてつもなく恥ずかしくなった。


「……そうね。でも……お邪魔じゃないかしら?」

つかれている時にお茶の差し入れの一つもするのが、妻ってものです。そのために、奥様の部屋は階段を下りると食堂に、そして書斎に近いわけです」

「なるほどね……」


 あの屋敷では私が奥様である。そういう「ルール」で動いている。だからなぞが解明されるまでは、私も彼らのりゅうにのっとらなくてはいけない。



*****



 小鳥の餌や無花果いちじくのジャムをこうにゅうして、特に寄り道をすることもなく、小鳥のもとへ向かった。

 林檎の木箱の中で、小鳥は小さな胸を膨らませて、じっとしている。なんとか付け焼き刃の知識で添え木をしてやってから、餌と水を用意したけれど、小鳥は相変わらず民芸品のお土産物のようにこうちょくしたままだ。


「痛くないわ」


 そっと手をかざして魔力をめると、小鳥はわずかにぶるいをした後、ゆっくりと餌を食べ始めた。痛みが和らいだのだろう。私の力は騎竜だけではなく、小鳥にも効果があるのかもしれない。もしそうだとしたら、嬉しいことだ。


「よかった……」


 少しずつでも餌を食べ、体力を回復してゆけば、飛べるようにはならなくとも命をつなぐことはできるだろう。

 嬉しくなって、そのまま小鳥がついばむ様をじっと見つめていると、すっかり夜がけてしまっていた。

 水でも飲もうかと思って廊下に出ると、書斎の扉が少し開いていて、やわらかな光が漏れているのに気が付いた。マーガス様はまだお仕事をしているのだ。

 昼間の会話が蘇る。お手伝いをするのも、妻の務めだと。

 何か、できることはあるだろうか? 私が妻だと言うのなら、書斎を訪ねるのは別におかしなことではない。だって、本当の事情はマーガス様しか知りえないのだから。皆がそういったルールで行動している以上、私が輪を乱すのもよくないことだ。

 ――お声をかけてみよう。これは、大事な話なのだから。

 深呼吸をしてから、ひかえめに扉をノックした。返事はない。


「マーガス様……?」


 返事はなかった。すでに寝室へとお戻りになったのかもしれない。

 おそるおそる扉を開けてみると、机の前にひとかげはなかった。代わりに、マーガス様がソファーの背にもたれかかって眠っているのが見えた。お疲れのようだ。

 ……話をするのはどうやら無理なようね。

 起こすのは気が引けるし、抱きかかえて運ぶことなんてできやしない。毛布を持って書斎に戻ると、マーガス様のけんにしわが寄っていた。

 先ほどまではそんな様子ではなかった。どうやらマーガス様は今、嫌な夢を見ているみたいだった。


「マーガス様」


 もう一度、声をかけてみる。返事はないけれど、眉間のしわがより一層深くなった。いかりというより悲しみ、苦しみ――ランプのあかりに照らされたマーガス様は、とてもつらそうに見えた。


「……失礼します」


 うっかり触れてしまわないように、そっと額に手をかざして魔力を込める。ぼんやりとした魔力では、まぶしさで目を覚ますことはないだろう。

 上手う まくいくかどうかはわからないけれど、きっと何もしないよりはマシだと思う。悪夢を見て、あせをかきながら目覚めることほど嫌なものはない。夢の中で痛みや苦しみを感じているのなら……私の力が、少しでもいい方に作用してくれたら嬉しいのだけれど。

 しばらくそのままでいると、マーガス様の表情が少しずつ和らいできた。効果があった……のかもしれない。

 普段のげんのある姿とは違って、少年のようながおを見ていると、不思議と私の気持ちまで温かくなってくる。

 ――いけない、そんなこと思ってはいけないのに。

 私はあくまで雇われている立場。出すぎた感情を持てば、きっと、またつらい目にう。これ以上を望むのはやめようと、かざした手をそっと引っ込めようとした、その時。


「アルジェリータ……」


 マーガス様の手が伸ばされて、私の手首を摑んだ。


「……っ」


 心臓が飛び出そうになった。さけぶのをこらえた自分を褒めてあげたいぐらいだ。


「……」


 名前を呼ばれたけれど、マーガス様のまぶたが開かれて、その瞳が私を見つけることはなかった。どうやら夢に私が出演していて、ごとで名前を呼ばれただけのようだ。

 ――起きなくて、よかった。

 もし、マーガス様が目覚めてしまっていたら、きっと嫌な気持ちになっただろう。眠っているところをじっと見られていたなんて、恥ずかしいに違いないもの。

 息を押し殺して硬直していると、マーガス様の手がゆるみ、手首は解放された。口元がわずかに微笑んでいるので、私が夢の中で怒られている可能性はないみたいだ。

 毛布をかけて、足音を立てないように静かに書斎を出て、一息つく。

 マーガス様はきっと、戦場だったり、ご両親とのいざこざだったり、とにかく嫌な夢にうなされているのだろう。

 それに比べると、私の悩みなんて、なんて些細なことなのかしら。

 煩わせるようなことはやめようと、静かに部屋に戻った。

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