四章 仕組まれた事故
4-1
「あら、大分元気になってきたわね」
一時は命も
「ほら、感謝祭のパンくずよ。お前も、マーガス様に感謝をするのよ」
「この鳥は
「言葉のあやよ」
「わかってますよ」
小鳥はパンくずを食べ終わると、
「奥様には、
と、ミューティが言った。
「ないこともないけど……役には立たないのよ」
「効果があったじゃないですか、ほら」
ミューティは小鳥を指さした。けれど、それは自然
「絶対に羽はまっすぐにならないと思いましたし、
「痛みを
それができれば家であんな
廊下に出ると、
そっと近寄ってみたが、部屋の中で
「マーガス様?」
返事はなかった。いつかのようにそっと部屋を覗き込むと、マーガス様がソファーに横になって、目を閉じていた。
毎晩
それとなく「
ら平気だ。少しだけ
だから、私はマーガス様がお
横になるとすぐ眠れると言うのは才能の一つか、あるいは生きるために
マーガス様は私の
今日も、
まぶしいのかもしれないと、カーテンをそっと閉めたけれど、安らかな眠りは
差し出がましいのは重々承知で、私は以前のようにマーガス様の額に手をかざした。効果があるのか、ないのかは不明のままだけれど、効果があってほしいと願っている。
――でも、いつまでこうすべきなのかしら。
「最近夢見はどうですか?」なんて尋ねるのも変なので、私の行動がマーガス様にプラスになっているのかはわからない。けれど、近頃は心境の変化とともに、私の癒やしの力が少しずつ――ほんの少しずつだけれど強まってきている、そんな感覚がある。だから、もしかすると、いつかマーガス様のお役に立てる時が来るかもしれない……。
「なんて、そんな都合のいいことあるわけないか」
ただでさえ私にとっていいことがありすぎているのに、これ以上を望むのは
独り言を口に出して顔を上げると、マーガス様と目が合った。
――バレた。
「ひゃっ!」
「も、ももも……申し訳ありません!」
「謝罪は必要ない」
マーガス様はゆっくりと体を起こし、少し乱れた
「大分前から、君がこうしているのに気が付いてはいた」
「し……知っていらっしゃったのですか?」
「寝る前にはなかった毛布が置いてあれば、誰でも……それにまあ、人の気配がすれば」
い私が馬鹿なのだ。
「す、すみません、
「嫌な気持ちだなんて、そんな訳はない。効果はあった……悪夢にうなされている時、君の声が聞こえた。その声に耳を
どうやらお
「君がそばにいてくれると、悪夢を見ないんだ。しばらく
「は、はい。私でよければ、喜んで」
再び横たわったマーガス様の額に手をかざすと、マーガス様の瞳に
「
「はい。私にはこれぐらいしかできませんから」
「……騎竜たちは、アルジェリータがいなくなって、さぞや残念に思っているだろうな」
急に名前を呼ばれて、再び顔が赤くなったのがわかる。
「……そう思っていてくれたら
「騎竜の里に、戻りたいと思うか?」
「……私はここが好きです。里のことは気になりますが……できればずっと、ここにいられたらな、と思います。でも、落ち着いたら、
「人間の男にか?」
「騎竜ですよ」
「そうか。なら、良かった。……騎竜の話をしてくれないか」
マーガス様は
「ここにくる直前まで、
「その名前は……君が?」
「いいえ。本当はよくないのでしょうけど……」
騎竜の里に連れてこられた騎竜は、人間の手を
「騎竜の胸のあたりの、心臓に近い所に名札をつけますよね。里に来る時、名札をそのままにしておく人が多いんです。その場合は、そのまま同じ名で呼んでいました。
だからラルゴはラルゴのままなのだ。彼もきっとそれを望んでいるだろう。あんなにも、主人のことを
「そうか。他にも……似た
「はい。春先まで、ウェルフィンというおじいさんの竜がいて。三十歳ぐらいだったと思いますが、そう見えないほどにとても立派な騎竜だったんです。彼にも名札がついていました」
「その、ウェルフィンの話を……聞かせてくれないか」
マーガス様の瞳に、何かの強い感情が
「ウェルフィンが来たのは、おととしの夏
ウェルフィンと出会った日のことはよく覚えている。
「ウェルフィンは、私にとてもよくしてくれました。力に気が付いたのは……彼が足の関節を痛めていて、少しでも役に立てるかも、と思ったことがきっかけです。彼はとても
ある日、ウェルフィンは口に
「終戦になって、これから傷ついた騎竜が
そこまで話すと、静かに話を聞いていたマーガス様は
「……用事を思い出した」
マーガス様はそのまま、私に
あとには私と、毛布だけが残された。
*****
調子に乗って
マーガス様はそれきり書斎に戻ってこなかったので、私はポルカに夕飯を
「……はあ……」
騎竜の話となると、喋りすぎてしまう。私とマーガス様をつなぐほぼ
――それに、すがりすぎた。
「げっ、げっ、げーっ!」
ポルカは私とマーガス様が一緒にいないせいか、ご
「あなたったら、
不満を
「もう、本当に。あなたみたいな子、
「ぎゃっぎゃっ!」
私をからかうように、ポルカはより一層
「ちょっと……大分
「俺の教育が悪かったようで申し訳ない。
思わず口から飛び出た八つ当たりの言葉に、反応があった。
「あ……」
いつの間にか、マーガス様が私のすぐ背後に立っていたのだ。
……気まずい。
「も、申し訳ありません、今のは……その……じゃれ合っていただけで、本当にポルカのことを憎たらしいと思っているわけではなくって」
「……」
「あの、私、話し相手がいないので。よくこうやって騎竜に勝手に性格付けをして、話しかけてしまう
しどろもどろになりながら言い訳をする。マーガス様からは返事がない。
大事なポルカが不当な扱いを受けているかもしれないのだ、怒るのは当然だろう。今日付けで、
「その……」
顔を上げると、マーガス様は困った顔をしていた。
「今のは、
「冗談……ですか」
「ポルカがおとなしくやられっぱなしになるわけがないし、本当に憎たらしいと思われていたらそれこそポルカに問題がある」
すとんと
「申し訳ない。場を
マーガス様の冗談に乗ることができなくて、私の方こそ申し訳ない……と思うけれど、ここで謝り合戦をすることは、なんだか時間が
――ここは、多分……笑うところ、かしら。
ぎこちないながらも、にっこりと
少しずつだけれど、マーガス様のことがわかってきた。いや、さっきそうやって調子に乗り、失敗したのだった。
「先ほどはその……恥ずかしい話だが、君の話を聞いているうちに昔飼っていた騎竜のことを思い出してしまって、飼育日誌を読んでいた。すまない」
騎竜が戦場に立てる時間は限られている。
「いえ、私も、もっと楽しい思い出について話せばよかったと」
「俺は……彼の
「マーガス様にそんなに思っていただけて、騎竜もきっと、幸せだったと思います」
人間には色々いるから、騎竜のことをただの
――騎竜の世話を人任せにしたい、という人たちのことを、私は騎竜の里で沢山見てきた。
けれど、彼は
マーガス様は変な顔をした。
「すみません、差し出がましいことを」
「いや……そんなことはない。ありがとう。それで……」
それで、の後が続かなくて、
言葉を待っている。
「明日、何か用事はあるか」
「ありません」
「では、市街地へ……」
「はいっ。どこへ向かえばよろしいでしょうか」
お使いの用事かと思ったが、どうやらそうではないらしく、マーガス様は口ごもった。
「どこへと言うよりは……一緒にどこか行かないか、と」
どこかって、どこだろう。心当たりがあまりなかったし、どこかということはつまり、マーガス様にも明確な目的地はないのだ。
「私、ポルカのお世話がありますから」
なんとなく、断らなければ、いけないような気がした。
「若くて健康な騎竜は半日放っておいても平気だと、君も知っているはずだが」
「いえ、私の仕事はポルカのお世話です!」
「君の仕事は他にもあったはずだが」
妻としての仕事があるだろう、とマーガス様は言いたいのだ。
「わ、わかりました。何をすればいいでしょうか」
「その……服をだな」
そう言われて、さっと血の気が引いていく。
今着ているのは使用人の制服――
ても気にしないけれど、ここではそうもいかない。お金や実用性より、人にどう見られるか気にしなくてはいけない。姿がみすぼらしい、俺に
「申し訳ありませんでした」
「謝る必要はない。欲しい服がないのか?」
「必要性を感じませんし……」
「必要性を、感じない?」
衣装棚に
確かに子どもの頃は、
けれど、今になって手に入りますよと言われてもこの生活にはそぐわない。
「それに……たとえ私がどんなに
「はっ?」
マーガス様は私が何を言い出したのかと、切れ長の瞳を大きく見開いた。その瞳の中に、
「今の発言は忘れてください……」
「いや。確かにポルカは……と言うより、騎竜は美しいからな。中でもポルカはいっとう美形だ。まあ、人間の
「はい」
ポルカは褒められたことを理解しているらしく「きゅ?」などと可愛い声で小首をかしげたりしている。私の前では絶対に、そんなにきゅるきゅるした瞳をしないのに。
「しかし、それとこれとは別だ。騎竜がどんなに美しかろうと、君は人間だ」
「はい、
マーガス様のお気持ちは一向に不明のままだけれど、
「先ほど服には興味がないと言った。それはつまり、俺の気に入った服を着せてもよいと言うことか?」
「はい。マーガス様が用意してくださるものなら、なんでも着ます」
マーガス様が
*****
「……来ないなあ」
私は一人、
マーガス様とお買い物に行く計画を立て、家から出るところまでは予定通りだったのだけれど、馬車に乗ろうとした
「この時間までに来なければ帰ってくれ」と言われた時刻を告げる
――残念。
マーガス様と出かける、という予定が私の心を
けれどお出かけが
何しろ急ぎの用事だという王宮からの手紙を受け取ったマーガス様は苦虫を
マーガス様からのお給金には手をつけていない。いい加減何も買わないのも
別に、一人でも行動できるもの。
どうせならミューティについてきてもらえばよかった、と思う気持ちを
「もうやだ、デリックったら。だから荷物持ちを雇いましょう、って言ったのに」
「ルシュカ、
ルシュカと、デリック!
なかったかと、悪いこともしていないのに心臓がバクバクと嫌な音を立てている。
――会いたくない。
別に未練があるわけではないし、わざわざ二人と顔を合わせたくはない。息を
「
「大通りで馬車を
「無駄? 何を言っているのよ! もうすぐ
「は、恥だなんて。それに、その件についてあまりお、大きな声では……」
「別にいいじゃない。あなたが相続人のいなくなった公爵家の養子に入ることはもう決まっているんだから。こっちが
――やはり、私の推測は正しかったみたい。
ルシュカはデリックのもとに
小さくため息をついたけれど、二人が私に気が付く様子はなかった。そのまま細い路地を抜けて、中通りに移動する。道を一本入るだけで、|途
《と》
二人の興味を引くものはないだろう、とこちらの通りを見て回ることにする。
「お
「え、は、はい……」
肉屋の前で声をかけられて、立ち止まった。食料自体は毎日屋敷に配達されるから、買う必要はないけれども。
「これはポルカが好きそうだわ……」
騎竜は雑食だが、肉は格別のようで、とても食いつきがいい。
今はポルカに細かくミンチにしたお肉と豆などを混ぜたものを与えているけれども、新鮮なお肉はとても喜ぶだろう。
騎竜の里にいた子たちはある程度
「すみません、このお肉をひとかたまり、いただけますか」
「はい、ありがとうございます! 配達しましょうか」
「自分で持ち帰ります」
少し考えてから、ブラウニング
配達を頼むと時間がかかってしまうし、いつ来るかわからない。今すぐ屋敷に戻れば、ポルカの晩ご飯になる。
屋敷に戻れば、ポルカもきっと喜ぶ。服を買うのはひとまず後回し。だってマーガス様がいないのだもの。
包んでもらったお肉を
やっぱり、いないわよね……。
マーガス様を乗せた馬車がこちらに向かってやしないかと、一応あたりを
――帰ろう。
噴水に背を向けて歩き始めたその時。
「お嬢さん、危ない!」
「え……」
誰かが、
ようやく振り向いた私の視線の先に、こちらに向かってまっすぐに、暴走した馬車が
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