一章 解せない求婚

1-1


 ――むかえは、すぐにやってきた。

 もしかして夢かもしれない、いつも通りにほの明るくなった空と、りゅうの鳴き声で目を覚ますかもしれない。

 そんなあわい期待はくだかれて、ほぼ早朝と言ってつかえない時間に、ブラウニング家のもんが入った馬車がクラレンスはくしゃくていの前にまった。

 どうやら早く来てほしい、と言うのは本当のことらしい。


「アルジェリータ。お務めが終わったら、ここにもどってきていいのだからね」


 母の言葉はやさしく聞こえるけれど、ぶんされるかもしれない財産に期待しているのは明らかだった。


「早く行け。誠心誠意、お仕えするようにな。子どもができれば、それはそれでいい」

「……はい」


 ほとんどたたされるようにトランクをかかえ、よろよろとげんかんポーチを降りた私を、しつ服を着た青年がむかえた。私よりいくつか年上だろうか、ゆるいウェーブのかかった黒いかみに、黒曜石のひとみ。浅黒いはだは日焼けではなく生まれつきのものだろう。


「アルジェリータ様。お早いお返事をありがとうございます。主人も大層喜んでおりました」


 異国からやってきたのか、わずかななまりはあるけれど、使者はりゅうちょうに言葉を使いこなしているし、私のみすぼらしい身なりを見てもまゆ一つ動かす様子はなかった。


「持参品はそれだけですか?」


 他の荷物はないのかと、使者は私の背後をのぞく。


「このトランクだけです」


 片手で持ち上げられる重さのトランクをると、カラカラと音がした。今まで働いた分の賃金はクラレンス家に送金される仕組みで、私の手元にはほとんど残っていない。だから買い物をすることもない。はっきゅうとは言え、ある程度まとまった金額になっていたはずだけれど、仕送りをめておいて、家を出る時に持参金としてわたしてくれる……そんなささやかな思いやりのかけらすら、私の家族だった人たちは持ち合わせていないらしかった。


たく金で何もこうにゅうされなかったので?」


 準備のためのお金をもらっていること自体が初耳だった。もしかしてとついでくるのにその格好は何事だと、お𠮟しかりを受けるかもしれない。

 一体、これからどうなってしまうのか――うまい返事を思いつけずにへらっと笑う。


「左様でございますか」


 気のない返事とともに、馬車に乗るようにうながされる。彼にとってはこれ以上の追及は無意味と言うか、職務外のことなのだろう。


「必要なものは全てブラウニング家でご用意いたします。くれぐれも、ご心配なく」


 乗り込んだしゅんかんに『一刻も早くここからはなれよう』とばかりに、馬車が動き出す。

 ほどなくして王都の中心部にある大広場に辿たどいたが、混雑のために進みがおそくなり、外の景色がよく見えるようになった。何やら、新聞の号外がっているみたいだ。

 騎竜の里ではらくがないし、情報もあまり入ってこない。活字読みたさに馬車の窓から手をばすと、運よく一枚つかみ取ることができた。

 内容は半年前に終結した戦争の勝利を改めて告知するものだ。国のしんを高めるために、大々的に費用をかけてけんでんしているのだろう。

 先の戦争で戦果をあげた勇猛な若き将軍である、マーガス・フォン・ブラウニング――私が嫁ぐローラン様の孫にあたる方だ――が父である公爵様からとくを引き継ぎ、新たに国内で最年少の公爵となること、戦争のせいで延期されていた第三王女セレーネ様のこんの準備が進められるであろうこと。

 たくさんのめでたい記事よりも私の目を引いたのは、くろわくに囲われた、めでたくはない別の記事。


『フォンテンこうしゃく令息のゆくぜん不明。もうまもなく死亡にんていか』

 同じくとして戦争におもむいていた、フォンテン公爵家のあとむすが戦地で行方不明になり、見つからないまま二年が経過しようとしていることを告げる記事。

 公爵家には跡取りが他におらず、家を存続させるためにとおえんだんしゃく家から養子を取るだろう、と書かれていた。

 その記事を読んで、不可解な色々になっとくがいった。

 デリックはことあるごとに、自分はフォンテン公爵家の遠縁だとまんしていたから。

 彼は次男だ。公爵家から養子のしんが内々であったのかもしれない。


「なるほどね……」


 号外を小さくたたんで、トランクのすきにしまい込む。

 デリックがどろにまみれた私より、ルシュカの方を好ましく思っていることはたまにしか顔を合わせない私から見てもいちもくりょうぜんだったけれど、はなやかな社交界で暮らす妹は彼に見向きもしなかったから、ちがいは起こらないだろうと考えていた。

 けれど、デリックのもとにばくだいな財産と格上の爵位がやってくると知ったルシュカはこれ幸いと彼をゆう

わく

し、結果二人は「そういうこと」になったのだろう。

「まあ、いいきっかけだと思うべきかしら、ね」

 家督相続と私の「新しい就職」のどちらが先かなんて、私には関係のないことだ。

 けっこんしてしまった後にしゅうぶんに巻き込まれなかっただけマシだったと、前向きに考えた方が自分のためになる。

 何しろ人間は騎竜とちがって言葉が通じるし、公爵家だもの、ローラン様をった後は、騎竜の里に戻る交通費程度は貰えるだろう。そうしたら頭を下げて、もう一度やとってもら

って││ 私は二度と、あの家には帰らないことにする。

 トランクの内ポケットから、銀色の騎竜の羽根を取り出す。


「ウェルフィン。私、あなたが教えてくれた通りに、やってみせるわ。見守っていてね」


 決意とともに、羽根をトランクにしまい込んだ。



*****



 とうちゃくしたのはやはりブラウニング公爵家のほんていではなく、ゆいしょ正しい貴族街から少し離れた新興貴族やごうしょうが居を構える地域の、べっそうのようなこぢんまりとしたしきだった。

 それにしたってクラレンス家の古びた屋敷よりはじゅうこうで、ずいしょほどこされたそうしょくの細かいしょうはさすがに公爵家ゆかりのていたくだと思わせる。


「それでは、失礼します」


 使者けんぎょしゃだった青年は馬車をつなぐためにさっさといなくなってしまったので、待っている間、に周囲を観察する。

 庭のしょくさいれいに手入れされているけれど、だんやアーチなどの女性的な装飾はほとんどない。屋敷の大きさからするといなほど広々としたしきいっぱいに、緑のしばが青々とした葉を風にそよがせている。

 かざはないけれど、このぐらいの広さがあれば騎竜だって飼えてしまうだろう。

 騎竜を愛する人の中には老いた相棒を騎竜の里に預けずに、最後までめんどうを見ようとする方もいると聞く。ここがそうだったらいいのにと思うけれど、じっと緑を見つめても、騎竜の姿はない。

 建物に目を向ける。いくつかの窓は開いており、真っ白なカーテンが風にそよいでいた。

 窓の向こうに人の気配はなく、公爵家ゆかりの人物が住む屋敷としては不思議なほどのせいじゃくに包まれている。けれど、人が居着かないと言われるような重苦しい空気ではない。

 これからの職場について好き勝手に思いをせている間にも、私の視界にひとかげはなく、物音もしない。

 ――大分待ったような気がするけれど。

 使者が戻ってくる様子は一向になく、私を出迎えるためにいそいそととびらが開いてくれるわけもなく、意を決してひかえめに扉をノックする。返事はやっぱり、ない。


「あの! 本日からお世話になります、アルジェリータ・クラレンスです!」


 最初からいんどんくさい女だと思われるぐらいなら、仕事と割り切って堂々とした方がいいのだと、今までの経験からわかっている。


「すみませーん!!」


 再び大声で呼びかけると、ゆっくりと扉が開いた。

 中から顔を覗かせたのは、若い男性だ。くずしているけれど一目で上等な品だとわかる服装とそのふうぼうはどう考えても、使用人ではないだろう。

 すらりとした長身にちょうこくのような均整のとれた体つき。それに何よりも印象的なのは、あいいろまえがみの隙間から覗く、れる吹雪ふぶきや寒々しい冬の空のようなアイスグレーの瞳。

 絵画にえがかれた伝説上の人物が飛び出してきたのかとさっかくしてしまうようなじょうきょうに、言葉が出なかった。


「アルジェリータ・クラレンス?」


 少しかすれた低い声が、私の名前を呼んだ。


「は、はい。私が……アルジェリータ・クラレンスですっ!」


 背筋を伸ばして返事をすると、青年はふっと目を細めた。


「間近で顔を合わせるのは初めてだな。よく来てくれた」

「いえ……」

「俺はマーガス・フォン・ブラウニング。じき、ブラウニング家をぐ者だ」

「将軍閣下でしたか……」


 新聞に書かれていたのはこの人だ、とあせが流れた。

 私は王城にのぼったことがなく、次期公爵である彼の顔を知らなかった。城で師として勤務するルシュカならお顔を拝見する機会があっただろうけれど……。

 将軍を知らず、ぼけっとっているだなんて、れい知らずな女だと思われただろう。せめてここからはきちんとしなくては……。

 私をじっと見つめるマーガス様から視線をらすことは、できない。何しろ、ちゃんとしなくてはいけないのだから。


「軍隊ではないのだから、そうかしこまる必要はない。君も今日からここの住人だ」


 その言葉にほっとする。彼は私のことをきちんと知らされているのだ。


「はい、今日からお世話になります。ふつつかものですが、よろしくお願いいたします。まずはローラン様に到着のごあいさつを……」

「君は老ブラウニング公の世話をする必要がない」


 その言葉はきょぜつではなく、ただ事実をたんたんと告げている……そんな風に聞こえた。


「……どういうことでしょうか」


 だって、私はちゃんと、ブラウニング家の家紋のついた馬車に乗せられて、お屋敷までやってきたではないか。人もいた。何より、マーガス様は私の名前を知っていた。

 つまり、私が何のためにここにいるのか、わかっている、はずなのに。


「彼は二週間前に、この世を去った」


 時が止まった。思いもしなかった言葉に、私は何も言えないでいる。


「ローラン・フォン・ブラウニングは二週間前にこの世を去った。すでに墓地にまいそうされた後だ」


 しょうげき的な言葉が続く。やっとのことでこれが現実かどうか確かめるために何度かまばたきをしたり、ほおを引っ張ってみたりするけれど、状況は何も変わらなかった。

 そうしている間にも、マーガス様ははらって、無様な私を観察中だ。

 ――いけない。

 あわてて姿勢を正し、くわしい話を聞くために、再び、目の前の青年を見上げる。

 私だって背が低い方ではないけれど、彼は非常に背が高い。このままだと首がつかれてしまう……もう少し、後ろに下がった方がいいだろうか。しかし、わざわざ後ずさるのも失礼にあたるのではとちゅうちょし、結局はそのまま、私はマーガス様をじっと見つめた。

だいな方がくなられて、何も国民にお知らせがないというのは……」


 なんとか言葉をしぼすことができた。いくらなんでも、クラレンスはくしゃく家にその情報が入ってきていないとは考えられない。


「故人のゆいごんだ。自分が死んだことはしばらくせておくように、とな」


 よどみなく告げられる言葉にはまったくうそがないように聞こえる。戦争が終結したばかりで、国は戦勝のこうよう感にいしれている。そこに水を差すのはやめようと、愛国心の強

い方が考えてもおかしくはない。


「左様で……ございますか……」


 会話は続かない。状況はわかった。けれど、ならどうして私はここにいるのだろう? 

 何かの行き違いがあった? 手紙が届くのが遅すぎて、私はローラン様の死に目に間に合わなかったのだろうか。

 先ほどまではなし崩しに売り飛ばされてきたとは言え、まだやるべきことがはっきりとしていた。けれど、今はどうだろう。私は寄る辺を失って、宙ぶらりんだ。

 ――どうしよう。

 寒くもないのに、体がふるした。このまま追い返されて、またあの家に戻って、役立たず、となじられるのだろうか? 騎竜の里は、私をもう一度雇ってくれるだろうか? 

そもそも一文無しだ。そこまでの交通費を一体どうしたものか……。

 頭の中でぐるぐると思考をめぐらせたところで、疑問は一向に解消されない。


「なら、どうして迎えの馬車がやってきたと思う?」


 マーガス様の言葉にはっと顔を上げる。彼の顔つきは一見れいだけれど、その瞳には、どこかきらきらした少年のようなかがやきがあるのだと、自分が置かれている状況を忘れて、いっしゅん見入ってしまった。

 確かにそう。マーガス様は私がやってくることを知っていた。

 ローラン・フォン・ブラウニング様が本当に故人ならば、わざわざえんだんの話を持ち込む必要はないのだから、何か理由があるのだ。


「入りなさい。俺は君をかんげいする」


 マーガス様はそううすく笑って、私を迎え入れるために体をずらした。かたしには、日中の淡い光でもぎらりと輝くシャンデリア。

 屋敷の外観は地味と言ってもいいぐらいだけれど、この中は確かに公爵家の領域なのだ。


「……っ」


 私が、こんな着古した服装のままで立ち入っていいのだろうか? 裏口に回るべきだろうか? しゅんじゅんしていると、マーガス様は気まずそうに口を開いた。


「今はちょうど人が少なくてな。屋敷の中に入るのが不安なら、テラスでも構わないが」

「い、いえ、ぼーっとしてしまい、申し訳ありません」


 私はブラウニングていに一歩足をれた。

 そのまままっすぐ、マーガス様の後について行き、長いろうの角を曲がって、視界に入ったものに息を飲んだ。

 しらのいかめしい顔をした男性のしょうぞう画。この方がローラン様、だろうか?

 思わず立ち止まり、まじまじと見つめてしまった。絵の中の人物は老境に差しかかっているけれど、するどく、意志の強そうな目元はマーガス様とよく似ている。


「祖父の遺言だ。肖像画で失礼、とな。……おどろいたか?」


 その問いに思わず目を伏せた。


「少し……」


 写実的な絵は、思わず本人が目の前に現れたのかと驚いてしまうほどだった。


「無理もない。夜に帰ってくると俺でもびっくりすることがあるから」


 マーガス様の言葉はじょうだんめいていた。きんちょうで冷や汗をかき、口調も足取りも、何もかもおぼつかない私をなんとか落ち着かせようと、気をつかってくださっているのがわかる。


「ここに」


 私が通されたのは一階にある応接室だった。一応使用人がいたらしく、程なくしてメイドが一人、飲食物をせたカートを押してきた。

 年のころは十五くらいだろうか。働いていてもおかしくないねんれいだけれど、この屋敷はずいぶん若い人ばかりだ、と思う。

 かたの上でそろえられたつやのあるくろかみに、大きな黒目がちの瞳。先ほどの使者によく似ているけれど、にゅうふんだった彼に対して、彼女の方が勝ち気でこうしんおうせいそうに見えるのは、若さの割に堂々とした立ちいのせいだろうか?


がんって用意しました。沢山がってくださいね」


 しげしげと見つめていると、メイドはにこりとほほんで、そんなことを言った。


「え、ええ。いただきます」


 ぎわよく並べられていく飲食物をながめていると、なるほどわざわざ『頑張って用意した』と言うのもうなずける量だ。


「後で感想を聞かせてくださいね」


 小さなテーブルにめるだけ敷き詰めて、メイドはカートを残して部屋を出て行ってしまった。続けてきゅう係が来る様子はない。


「よろしければ私が……」


 給仕のために立ち上がろうとすると、マーガス様に手でさえぎられた。


「身の回りのことぐらい自分でできる」

「し、失礼しました」


 高位貴族は身の回りの世話を全て人任せにしていると聞いたけれど、戦地に赴くことが多い軍人だとそうもいかないのだろう。マーガス様は長い間厳しいかんきょうに身を置かれていたはずで、信用のできない人間を自分の飲食物に近づけるわけがない。少し考えればわかる気配りができておらず、情けなさに顔が赤くなった。


「早朝から連れ出して、食事をひまもなかったろう」


 今まで食べたこともないような高級そうなすすめられたものの、口の中がかわいて乾いて、それどころではない。


「甘いものはきらいだったか? 体力を使う仕事だ。塩気があるものの方がいいか」

「い、いえ、そ、そんなことは……とても、おいしいです。ただ、食べ慣れていません、ので」


 おいしいのは間違いがないはずなのだけれど、じっと見つめられると自分のしゃく音がいやに大きいのではないだろうかとか、座り方が不格好なのではとか、さいなことが気になってしまって、味わうどころではない。


「果物の方が好きだったか?」

「は、はい。私はりんが好きです」


 質問に反射的に答えた結果、なんだかみょうな空気になってしまった。


びんめならあるはずだ。パイでも焼いてもらおうか」

「い、いえっ! さいそくではなく、質問に答えただけのつもりで……」


 マーガス様に落ち着け、と言わんばかりに手をかざされた。私はまるで訓練でもたついている新入りの騎竜みたいに慌てているのだ。


「すみません」

「……どうにも、俺は人を緊張させてしまうらしい」


 なかなかうまくいかないものだ、とマーガス様は紅茶に口をつけた。もう変なことをしないように、マーガス様といっしょに紅茶を飲む。


「あ、林檎の香りがする……おいしいです!」


 家ではいつも水か出がらし、里では野草茶ばかりだったので、こんなに上等な紅茶が飲めることがとてもうれしい。せいいっぱいの感謝を表すためにマーガス様を見ると、目が合ってしまって、顔が赤くなるのを感じた。


「林檎が好きなのは……騎竜と一緒だな」

「は、はい、そうです。騎竜の里には林檎の木があって……それを食べるのが楽しみなのですが、騎竜も林檎が大好きなので、しゅうかくの時期になるとしいしいとねだられて……まったく数が足りないのです。それでですね、去年は種を取って、森の日当たりのよい所にいたのです……やっと小さい木になったのですが、あと何年したら収穫できるのでしょうね……」


 もうやめようと思ったのに、また彼にとってはどうでもいいことを口走ってしまった。

 マーガス様はどうしてこうもまともに話ができない女が連れてこられたのだろうと、きっとあきれているだろう。


「ここにも林檎の木がある。残念なことに、今は季節ではないが」

「申し訳ありません」


 うまく、会話が、できない。

 あてが外れて、ここからどうしようか、という大事な大事な局面なのに、こんなしょうもないことしか口にできない自分が情けない。


「謝る必要はない。俺も林檎は好きだ」


 私がしょうもないことを口走ったせいで、話が思わぬ方向へ転がっていってしまったけれど、マーガス様はさすが人の上に立つかたと言うべきか、げんがありながらも私の話をまんづよく聞いて、あいづちを打ってくれる。とてもよく出来た方だ。かく対象が私の家族、というのを差し引いても。


「サンドイッチでも?」

「あ、はい。ありがとうございます」


 おそらく、言動から私がはくしゃくれいじょうとは名ばかりのしみったれた生活をしてきたことは、とうにバレているだろう。づかいがありがたくもあり、恥ずかしくもある。


「朝から疲れただろう。俺は仕事があるから、ゆっくりしていてくれ。家の中のものは全て自由に使っていい」


 私がサンドイッチを食べ終えるやいなや、マーガス様はそんなことを言い出した。ここでひとりにされてしまっては、今後どうしたものだかまったくわからなくなってしまう。


「ま、待ってください……」


 立ち去ろうとしたマーガス様を、思わず引き留める。


「ここで……働かせていただけないでしょうか」


 言いにくいことだけれど、これからは自分の力で生きていくと決めたのだから、ためらっている場合ではない。

 マーガス様は呼びつけた人物をそのまま突き返すのは失礼だと、家に引き入れて一晩の宿を提供してくださるつもりなのだろう。けれど、それは問題の先延ばしにすぎない。

 厚かましいけれど、ここはその優しさに甘えて、一時的に雑用係でもいいから雇ってもらわないと……。


「働く必要はない」


 ――だった。


「それは……困ります。私、お金が欲しいんです」


 食い下がるしかない。ここであきらめたら、本当に路頭に迷ってしまう。


「いくらだ?」

「ええと……五万ギットほど……」


 そのくらいあれば、今日明日の宿をとって、騎竜の里行きの貨物馬車に乗ることができる。人出不足の仕事だ、たのめばまた雇ってもらえるはず、多分。


「そのくらいなら、しょさいの引き出しに入っている。いつでも自由に使えるように多めに置いておこう」


 マーガス様にとっては数万ギット程度のお金はぜに同然ということだろう。


「あの……お返しできるアテがありませんので、何か、対価として労働を」

「仕事が欲しいのか?」

「はい」

「それなら話は簡単だ。俺の妻になればいいだけだからな」


 と、マーガス様はなんのかんがいもなく言ってのけた。


「……え?」

「俺と結婚すればよいと言っている」


 思わず素で聞き返してしまったが、マーガス様はしれっとした顔でかえした。真面目そうな表情は、とても冗談を言っているようには見えない。


「わ、私が……マーガス様と……? なん、なん……なっ……なんでそうなるんです?」


 昨日からよくわからないことしか起こっていない。とうとう、れつまで回らなくなってきてしまった。


「君を呼んだのは、俺だ」


 マーガス様はすっぱりと言い放った。彼の言葉にはまったく噓がないように思える。


「な、なぜ……」

「ブラウニング家に嫁ぐためにやってきたのだから、別にそれが俺に変わったところで問題ないだろう?」

「問題は……あるに決まっています」

「例えば?」


 まっすぐな視線におじくけれど、それでもちゃんと言うべきことは言わなければいけないて思う。


「……そんな冗談を言うのは、よしてください」

「ふざけたつもりはない。それに、問題があります、の答えになっていないが」

「私がブラウニング公爵家に嫁ぐなんて、そんなことを許すはずがありません」

「おかしな話だ。だれが誰を許さないって?」


 問いかけに、再び頭がぐるぐるする。確かに、両親も一度はりょうしょうしたわけだし……いや、それは私の結婚相手が老将軍だと思っていたから。許されるはずがない。……許さないのは誰だろう。ルシュカ? 両親? それとも……自分? いやいや、私がお断りするのは、それこそおかしな話。


「私には……とても、務まりそうにありませんので」


 しばらく考えたのちに、ようやく答えを絞り出すことができた。私には務まりません。社交界にも出ていないし。これでかんぺきだ。


「俺が妻に求める条件は二つ。健康であることと、同じ方向を見ていてくれること」

「それだけですか……?」

ていせいしよう。三つ目。騎竜が好きなこと」


 将軍閣下が妻に求める条件にしては、いささか緩すぎるような。それだけでいいなら、マーガス様のはなよめに立候補する女性はこの国にいる騎竜よりも多くなるだろう。


「ああ。これさえ満たせば、あとは君の好きなようにしてほしい。俺は君が望むこと全てに応えよう」

「私の、望み……」


 私の望みは、なんだろう。騎竜の里へ帰ること? 衣食住に困らないこと? いや、今はマーガス様の発言について考えよう。そもそも、健康はともかく、同じ方向、とは? まさか方角なはずはない。


「それは一体、どういう……」


 そう問いかけた瞬間、マーガス様の背後から、にゅっと黒いかげが顔を出した。


「……っ!」


 騎竜だ! それも、とびきり立派で、美しい。ガラス窓の向こうから、興味深げにこちらを覗き込んでいる。マーガス様は、気が付いていないのだろうか?

 いいや、ここは町中だ。いきなり野生の騎竜がお屋敷に乗り込んでくるなんてあり得ない。つまりこれは彼にとってなんてことのないだん通りの展開でしかないのだろう。


「彼女は俺が戦場で乗っていた騎竜。名をポルカと言う」


 マーガス様の言葉に納得する。騎竜と騎士は一心同体の相棒だ。戦時中でなくとも一緒にいるのはおかしくない。これほど広い敷地を有する屋敷なら、庭に放し飼いにしておくことも十分にありえるだろう。


「これからは戦後処理のために王都にたいざいする期間が長くなるのだが……」


 そこでマーガス様は言葉を切った。ポルカが鼻先でぐいぐいと窓を押しているのだ。このままだと圧力でガラスが割れてしまいかねない。

 マーガス様が窓を開けると、ポルカはすっと鼻先を室内にもぐませてきた。

 頭をマーガス様にすりつけ、甘える仕草を見せているけれど、はく色の瞳は私を――見慣れないしんにゅう者をじっとにらみつけたままだ。

 ――けいかいされている。

 冷や汗が流れる。騎竜は情が深い生き物だけれど、ひとたび敵と見なした相手にはようしゃしないから。


「ポルカが君を警戒しているようだが、気にすることはない。他のおすにおいを察知して、不安になって様子を見に来ただけだ」

「わ……私、匂うでしょうか」


 急に恥ずかしくなって、意味もないのにそでをこする。

 騎竜は生き物だから、完全なるしゅうという訳にはいかない。せんたくはしているけれど、みついた匂いがあるのだろうか。


「騎竜は鼻がいいからな」


 ポルカはマーガス様の話を完全に理解したかのように、すっと窓から顔を離して再び庭へとけていった。変な匂いのするやつは主人をおびやかす相手ではないと判断したのだ。きゃうっと若い騎竜らしい鳴き声と、草を踏む足音を聞いてから、マーガス様は窓を閉め、再び私に向き直った。


「……」

「……」


 ――何の話をしていたんだったかしら。話がどんどんだっせんして、何が何やら……そうだ、老公爵ブラウニングがおかくれになって、後妻のはずの私は後妻ではなくて、かわりにマー

ガス様が私を貰ってもいいとおっしゃった……そんな話だったはず。

 まとめてみると、こんなに都合のよいことが私に起きるはずがなかった。


「あいつは気位が高い。人を見るんだ――君はひとまず、認められたようだ」

「あまり、歓迎されていないように見えましたが……」


 こうげきされないだけマシだが、ぼうの騎竜は歓迎とは言いがたい雰囲気をかもしていた。よくて無関心、だろう。合格したかどうかはわからない。


「気をいて走っていったのがそのしょうだ。納得できなければ部屋に侵入しようとするだろうからな」


 語り口からするに、ポルカは相当元気が有り余っているようだ。彼女のそばに行く時は、気をめなければいけなさそうだ。

 マーガス様はカップに口をつけ、ポルカが庭を駆け回る足音に耳をかたむけているように見えた。私も耳をすませる。騎竜の里にいる大人の個体とは違って、足取りは軽く――若い力を持て余しているのは明らかだった。


「ポルカは戦場で生まれ育ち、群れのあらくれどもからひめのようなあつかいを受けてきた。そのせいですっかりわがままが板についてしまい、城のきゅうしゃに押し込まれるのが性に合わないと問題を起こすようになった」


 マーガス様はカップを置き、小さくため息をついた。


「すぐ暴れる。気に入らない人間がいればをさせない程度に脅かして、自分から遠ざけようとする。そのせいで何人雇っても世話係が居着かない」


 居着かないのは老将軍のお世話係ではなく、騎竜のお世話係だった、ということだ。


「戦場では勝ち気さはたよりになったが、ここはもう王都だ。わざわざポルカのために王城に勤めている職員を引き抜くのは人手不足の昨今、申し訳なくてな。祖父のべっていでこうしてかくしている」


「マーガス様は、とても騎竜を大事にして……」


 いるのですね、と私は無難な相鎚を打とうとした。


「というのは噓ではないが、全てが本当というわけでもない」


 マーガス様はいたずらっぽく片方の目をつぶった。


「俺も元々、貴族の社交だなんだは好かん。今は……二人で人間社会にむ練習をするついでに、きゅうまんきつしている、という状況だな」


 ポルカはのびのびできるし、マーガス様はお城できゅうくつな思いをしなくてよい。つまり二人は相棒であるがゆえの共犯関係なのだろう。


「しかし、ポルカの世話と事務仕事をこなすには体が二つ必要だ」


 マーガス様は背もたれに寄りかかり、うでを軽く上げて天をあおいだ。


「そんな折、とある筋からアルジェリータ、君の話を聞いた。祖父は反対しなかったが……大変申し訳ないが、君の家族には難色を示した」


 そこまで聞いて、話がつながった。

 マーガス様が何を言わんとしているのかわかったのだ。先ほどの言葉。「君を呼んだのは俺だ」と彼は言った。

 同じ方向――つまり騎竜を大事にしてくれるお世話係を探しているのだ、そのために結婚という、重要なカードを切るほどに。

 彼はそれだけ、戦場で自分の命を預けた相棒を大切に思っている。

 つまりこれはこんいんではなく、労働だ。

 彼は騎竜のお世話係を探している。私は職がない。能はないけれど、騎竜の世話には一家言ある。

 私はマーガス様のために、ここでポルカの世話をすればいいのだ。別に妻の座が欲しいわけではない。ただ衣食住と賃金が保証されれば、私にとってこれより素敵な話はない。


「そうだったのですね、理解しました……!」

「わかってくれたか?」


 マーガス様はちらりと私を見やった。その表情にはすでに、初対面の時に感じたあつ感はなかった。私たちは育ってきた環境も身分も違うけれど、騎竜が好きという点では、同志なのだ。


「はい。お任せください。きっとお役に立ってみせます」

「そうか。ありがとう。よろしく頼む」


 マーガス様が差し出した手をにぎかえす。恥ずかしいことはない。

 だって、彼は私の雇い主なのだから。

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